6月の梅雨を迎え、春の塩の道あるきもいよいよ終盤。5回目の今回は大網峠を越えます。
スタートは大網集落からなのですが、小谷村の南端・栂池高原に住んでいる私にとってはめったに行かない場所。同じ村内でも車で約1時間かかります。内心では「だって、ほら、あそこはほぼ新潟だしさ……」と思っている。それには理由があって、大網へ行くには、長野→新潟→長野、と一度県境を越えなければならないからなのです。そしてゴールは新潟県糸魚川市の山口集落。何となく遠征気分の塩の道です。
大網集落は県境を越えないとたどり着けないことからもわかりますが、信越国境の最前線。上杉軍と武田軍がせめぎ合った場所でもあります。この集落には竹田さんという家が多く、普通に読むと「たけだ」ですが「ちくだ」と読むことが多いそう。これは上杉軍優勢のときに「さすがにたけだはバツが悪いよなぁ」と空気を読んだのか(?)、読み方を変えた名残だそうです。
この大網峠越えの新道は、姫川を渡る大網橋が架けられたことで発展しました。それまでは前回の地蔵峠越え、次回予定の鳥越峠越えと険しい山道を越えなければならなかったのです。大網峠越えの最難所の横川ですが、川が狭まったところに吊橋を架けて渡れるようにして解決したそう。古道と新道、どちらにしても先人の苦労が偲ばれます。
吊橋を渡ってからは、なかなか急な坂道を延々と登っていきます。大日如来や牛の水飲み場があり、足の速い馬ではなく牛を連れて歩いていたことを示しています。歩みは遅いけど、牛のほうが確実に峠を越えられるというわけです。坂を登り切ると、少し見通しがいい高台にでます。ここには「菊の花地蔵」が祀られています。見下ろすと、大網集落の少し奥にある笹野集落が見えます。ここで牛が鳴くと集落の人は「そろそろ歩荷たちがやってくるころだ」と夕飯の支度などを整えたそう。音を聞く=菊、見通しがいい場所=突き出た場所=鼻=花、と転じた名前なのです。
大網峠の周辺にはブナ林があるのですが、ここがなんとも清閑で気持ち良い場所! ウトウ(人や牛が歩くことでU字にえぐられた道)を歩きながら、何度も深呼吸してしまいます。でもブナの木としては根元が曲がっていることでもわかるよう、雪に耐えて春を迎えた美しさなのです。ここに来るまで所々に杉の木が見られますが、これは人工的に植えたものだそう。閉ざされた冬の季節のあいだに道を見失わないよう、目印として植えてあるのです。
大網峠に着くと道標があるのですが、上が小谷製、下が糸魚川製。現代も信越がせめぎ合って(?)います。