地域に根づいたクラフトビールブルワリーを紹介するシリーズ。第19回は埼玉県秩父で2017年に創業した秩父麦酒醸造所。ビール醸造と地域にかける思いを丹広大さんにインタビューした。
秩父に移住してすぐ大雪に降られたクマさん
秩父麦酒のビールはかわいいクマラベル。代表の丹広大さんは北海道出身。若いころから愛称は「クマさん」だった。ラグビーや格闘技で鍛えたがっしりした体格、丸っこい風貌、Zoom越しでもすばらしいクマさんぶりが伝わってくる。
丹さんは2014年の冬、秩父へ引っ越してきた。妻の仕事の都合だったという。丹さん自身は大宮の職場まで通勤していた。越してきて間もなくのこと、数十年ぶりの大雪が関東圏に降った。秩父は県道が寸断され、鉄道も止まった。
高齢者の多い地域である。丹さんはあちこちの雪かきに駆けつけた。畑で雪に埋もれたビニールハウスを掘り起こす作業にも加わった。雪かきが引っ越しのあいさつ代わりになった。
農家の老夫婦にこう声を掛けられた。「畑が余っているから、丹さん、やってくれないか?」
交通路の寸断が長引き、やがて丹さんの家の冷蔵庫も空になり、近くの酒屋を訪ねると、茹でたうどんが手に入った。毎日雪をかき、うどんを食べて過ごしているうち、酒屋の親父さんと仲良くなった。そして、「今、新しいワイナリーをつくる計画を立てているんだが、丹くんも手伝ってくれないか?」と誘われた。
こんな話もされた。
「この坂の下にある日本酒蔵にビールの醸造設備があるんだけど、丹くん、ビールは好き?」
今、丹さんが経営する秩父麦酒の醸造所は、昔からある日本酒蔵の敷地内にある。酒造所の一角にビールの醸造設備があるのだ。2000年代にそこでビールを醸造する計画があったが、準備段階で断念されたそうだ。もともとビールは好きで醸造にも興味があった丹さんは興味をそそられた。
「ちょっと、その設備、見てみたいですね」
ある日、酒屋の親父さんと坂の下の酒造所を訪ねた。誰にも使われないままの醸造設備。このままだとスクラップにされてしまう。もったいない。秩父にクラフトビールがあったらおもしろいのに……。
町で知り合った人たちとの縁も感じ、丹さんは決断した。酒造所内にひっそりたたずむ醸造設備でブルワリーを始めることになった。資金節約のため、醸造所の改修はほとんど自力で行った。足腰に自信があるクマさんとはいえ重労働だった。
他のクラフトブルワリーを見て回って勉強するうちに、自分の造るビールのイメージが湧いてきた。ビールファンがグイグイ飲むようなバリバリのIPAより、あまりビールを飲んだことのない人でも手に取れる、楽しんでもらえるビールにしたいと。そしてラベルはクマになった。
2017年、秩父麦酒醸造所が創業。ラベルのイメージに違わず、ビールの味はやさしい。これまで造ったビールは約50種に上る。
300年の日本酒造所のある町でビールを造る
冬の「秩父の夜祭り」は江戸時代から続く豪華絢爛なお祭りだ。このあたりは700年代から史書に記録が残る、歴史の古い町である。日本酒の酒造所は300年以上の歴史をもつ。今はワイナリーがある。イチローズモルトの蒸溜所がある。酒にはうるさい土地柄だ。
「ここはビールの町じゃない」
クラフトビールの準備にとりかかる丹さんに、そう助言してくれる人もいた。秩父は広大ではあるが人口は限られている。日本酒、焼酎、ウイスキー、ワインがある町に、あとどれだけビールの需要があるのか……。ところが、秩父麦酒のビールが出来上がってみると、町の人は歓迎してくれた。
「秩父の町はバーが多いんです。まずそのバーに置いてもらいました」
バーに集まる町の人から秩父麦酒の評判は広まっていった。町のイベントやお祭りにも呼ばれるようになった。商工会とも生産者とも数珠つなぎにつながっていった。
秩父の農産物を使ったビールを次々と仕込む。桑の実、梅、イチゴ。かぼす、柚子、紅茶、ブドウ、ブルーベリー。果物屋さんのようなラインナップだ。
実は農産物は秩父だけにこだわらない。お隣の寄居町のみかんや梅。美里町のブルーベリーを使ったビールも造っている。
9月半ば、この取材も、丹さんが美里でブルーベリーを収穫した後の夕刻に行なわれた。
「これから醸造所に戻って実の選別をして、計量して、明日、生産者さんに代金を支払いに行きます」と言うので驚いた。廃棄予定のブルーベリーをゆずってもらうのではなく、買い取っているのだ。しかも市場価格で。
「ぼくらが適正価格で買い取っていかないと」
生産者の持続性を考えてのことだと言う。秩父に引っ越してきてすぐ、ある農家から山間地の畑を預かって栽培したことがある。ブルワリーを始める前のことだ。そこではビー玉くらいの小さなイモが採れた。「同じイモでもその山にしかできないイモがある。こうした農作物に付加価値がつけば」。農作物を適正な価格で仕入れ、生産者と土地の持続性につなげる。その取り組みはフェアトレードの考え方と共通する。
ビールを飲んで山の生き物を思い出してほしい
今はビール造りをしている丹さんだが、大元には山への思いがある。山が好きなのだ。
「野生動物と人間の境界線が崩れているんです。秩父でも町にクマやタヌキが出たりしますけれど、それは山と里の境界線の管理をする人がいなくなったからですね。そうすると動物と人間の陣地取りみたいになる。動物だって食べ物を求めて町の方に出てくるのは当然です」
野生動物が人里に出てきて畑を荒らす、人を脅かす……日本各地で見聞きする害獣という問題だ。
「ビールと直接つながるわけじゃないけれど。ぼくらが山の特産、たとえば桑の実を取って造ったビールを飲んでもらって、ちょっと山のことを意識してもらえればいいなと思っています。そうしたら山に遊びに行ったときにゴミを置いて帰ってきちゃうなんてことも減るのかなと。ビールがそのきっかけになったらいいなあと思いながら造っています」
クラフトブルワリーを始めて4年。秩父に暮らして7年が経つ。山への思いだけでなく、町の歴史や伝統への思いも強くなっている。町には300年以上の歴史をもつ酒造所がある。今につづく秩父の酒の文化はこの酒造所をなくしては語れない。しかし、老舗の酒蔵が生き残るのも、また並大抵のことではない。
「この町のお酒の文化を絶やしたくないという気持ちがどんどん強くなります」。北海道で生まれ育った丹さんは「数百年という歴史あるものへの憧れ」があると言う。
「ぼくらの時代にできることはちょっとかもしれないけれど、20年、30年とつづけていくことで残せる道があるかもしれない」と、ほとんど秩父に生まれ育った人のように話す。
実際、秩父の町ではすっかり馴染みのクマさんである。秩父神社の参道に生まれたオシャレな商業ビル「秩父表参道Lab.」にあるビアバー「まほろバル」には秩父麦酒のビールが週替わりで入る。
「これから栗の収穫期。この栗で何かおいしいものはできないかと考えているところです」
秩父麦酒はこれまでも桑の実や梅など数々の地産品を使ってきたが、今後は栗やクロモジ、桂皮、グミの実、山椒、サルナシなどを使ったビールを仕込む予定だ。数え切れない山の幸である。
ビールに限らない。秩父で採れるもので何かをつくり出したいと話す。北海道出身のクマさんが祭りの準備や農作業、あちこちから呼ばれて秩父の町を駆け回っている。当分は町でビールを造り、お祭りに参加していることだろう。
秩父麦酒醸造所
埼玉県秩父市下吉田3786-1 https://chichibubeer.shop-pro.jp