2010年から12年にかけて、103カ国、1021日間に及ぶ旅を続け、その経験を写真集『Walkabout』と書籍『The Songlines』(ともに小学館刊)に結実させた写真家、竹沢うるまさん。その後も多忙を極める中で次なるテーマを追い求めて旅を続けていた竹沢さんの最新写真集『Kor La -コルラ-』が、小学館から刊行されました。「祈り」というキーワードを持つこの写真集について、竹沢さんにじっくりとお話を伺いました。
——竹沢さんは、2010年から3年近く続けた旅について、『Walkabout』と『The Songlines』という2冊の本にまとめられていますが、その2冊を作り終えてから、新たなテーマで旅をして『Kor La -コルラ-』を作り上げるまでの経緯は、どのようなものだったのでしょうか?
竹沢うるまさん(以下竹沢):まず、その2冊の本の終わりにも書いたことなんですが、あの旅の終盤で、東チベットのカム地方にいた時、中国の公安とチベット人の衝突のようなものに出会ったんですね。
——乗り合いの車で移動していた時、公安の検問所で、同乗していた若いチベット人の方が公安の役人たちに引きずり出されて、何の理由もなく殴られ続けた……という話ですね。
竹沢:そう。僕はその時、「祈り」というものを目の当たりにしたような気がしたんですね。暴力というものに対して無抵抗で耐える、チベットの人たちに、ある種の「祈り」の強さのようなものを感じたんです。その時に感じた心の振幅があまりにも大きかったので、それが長い旅を終える決意をするきっかけにもなったんですが……。で、帰国後に『Walkabout』と『The Songlines』を作った後、その2冊が自分の中であまりにも大きな存在だったので、すっぽり抜け落ちてしまったような、行き先の見つからない、何をやっても無駄のような気持になってしまったんです。旅した地域の広さ、時間の長さ、そこで経験してきた一つひとつの心の揺れ……。それに匹敵するようなものって、そうそうあるわけないじゃないですか。
——確かに、それはそうですね。
竹沢:ただ、そんな折にふと思い当たったのは、旅を終えるきっかけになった東チベットでのあの出来事の時に感じた「祈り」について、その「祈り」というもの自体の意味を、自分はわかっていたのかな、と。正直なところ、そうは言えないと思ったんです。
——「祈り」といっても、いろんな捉え方やかたちがありますよね。
竹沢:僕の言う「祈り」というのは、宗教的なものというより、もっと根源的な、人間の行為としての「祈り」です。全部、「祈り」は「祈り」なんですよ。神に対する「祈り」もあれば、大地に対する「祈り」もある。でも、それって、どこから生まれてくるんだろう? そこがわかっていなかった。「祈り」が生まれてくる場所はどこなのか、それを知ることはできないかな、と思ったんです。
——その答えを探す場所として、チベット文化圏を選んだ理由は?
竹沢:ある意味、どこでもよかったと思うんですよ。キリスト教でも、イスラーム教でも、土着のアニミズム的なものでも、都会の中で「祈り」と捉えられるものでも。でも、全体としての「祈り」を紐解くためには、まず特定の「祈り」を見ていかないとわからない。そのサンプルとして、チベット仏教を選んだんです。「祈り」について考えるようになったきっかけの一つが東チベットだったので、チベット文化圏を選ぶのは自然な流れでした。ただ、僕はチベット仏教の「祈り」を知るために旅をしたわけではないんです。人間の「祈り」の行為の意味が、チベット文化圏を巡ることで見えてくるんじゃないかな、と思って。写真家として、写真を撮る上での興味の対象やイメージを考えても、当時の自分がチベット文化圏を撮れば、新しい写真を撮れるんじゃないかという感覚はありました。