自然の恵みをいただきながら命をつないできた日本の暮らし。日本の秘境100選のひとつでもある秋山郷には、いまもなお、自然とともに生きる生き方、暮らし方が受け継がれています。秋山郷のマタギ・山田磨盛さんに、自然の中で狩猟を行なうときにも必須となる焚き火術とナイフの極意を教えてもらいました。
秘境の山里に受け継がれてきた焚き火の知恵
むやみやたらに焚き火はできない。ここでならと連れてきてもらったのは、かつて焼き畑をしていた鳥甲山の麓。中津川を挟んだ対岸には、苗場山の西壁が紅葉と西陽で赤く染まる。
「日本百名山の苗場山、二百名山の鳥甲山と佐武流山、それと志賀高原の岩菅山の4座に囲まれた秋山郷は、昔から動物が集まるいい猟場でした」
秋山郷の屋敷集落に生まれた山田磨盛さん。秋田の旅マタギをルーツに持つ生粋の猟師一家の4代目だ。長野市で建具師として35歳まで働き、帰郷して猟師になった。
「かつて泊まりで山に入るときは火をおこしたけど、いまは日帰りだからおこさなくなった」
刃物を一切使わずに“足で拾った”枯れ葉や枝を無造作に積み上げて、マッチ一本から大きな炎を作り上げた。植生が豊かな森、その立地と樹種を知っているから成せる技である。
マタギの焚き火術
スギやツガなどの葉を火種に。「雪で曲がった大木の根元には乾いた葉や小枝が必ずある」
小指よりも細い小枝を束ねて、折って細かくして「炎の勢いがあるところにくべる」。
森に落ちている枝を拾ってきて、地面に叩きつけて短く折る。焚き火に刃物の出番はない。
炎が弱くなったら風上から息を送る。暖が目的なら空気が入りやすいよう薪は傘型に組む。
半世紀以上前に父が磨いて作った小刀
後輩マタギが撃った鹿肉に刃先を立てるとすーと沈み込んだ。
「これは自分で作った小刀。荒砥石から仕上げ砥石まで4種類の砥石を使って研いでいます」
柄と鞘に桜の皮が巻かれる。その皮に切断箇所はない。随所に建具屋の妙技が光る。
「こっちは父親が平ヤスリから作った小刀。昔はサンダーなんてなかったから、いちから砥石で磨いたんだろうね」
視線が焚き火から深山へ移ると、思い出話に花が咲いた。
「小さいころ、父親とよくウサギ狩りに行きました。鉄砲を持った父親が鳥甲山へ先に登って、おれが下からウサギを追って上がっていく。塩茹でにしたウサギは何よりのご馳走でした」
この小刀でクマ、ウサギ、ヤマドリ、イワナ……いくつもの命を殺めてきた。それは山奥で人間が生きていくための唯一の方法だった。山の恵みを得ることを『山騒ぎ』と呼んだ。
「猟や山菜採りなど『山騒ぎ』は人間の原点。秋山郷マタギは自分でこしらえた小刀だけで留めから解体まですべてやる」
マタギはなぜ刃物を自作するのか
鍛冶屋が作る刃物は、売ってなかったのだろうか?
「これがかかるでしょう?」
磨盛さんは、右手の人差し指と親指で丸を作ってそういった。
「昔、津南の街にも鍛冶屋がありましたよ。でも、裕福な人しか買えなかった」
2代にわたって研がれた小刀はだいぶ痩せて細くなったが、その輝きは衰えない。自然への畏敬の念さえ感じる。神々しい。
それは、人間が生をまっとうするために叡智を絞りだし、試行錯誤して生まれるべきしく生まれた生活の道具であった。
秋山郷マタギの流儀
一、森ではむやみに火をおこすな
二、刃物は使わず、足を使う
三、操るのは薪ではなく、空気
※構成/森山伸也 撮影/大森千歳 (BE-PAL 2021年12月号より)