漁師見習い2年生
「沖島に関わるまで、琵琶湖に漁師さんがいるコトも、こんなにたくさんの種類の魚がいるコトも、琵琶湖の魚が刺身で食べられるコトも、全く知らなかったんですよ」
大きな瞳をキラキラさせながら語るのは、沖島で漁師見習い中の塚本千翔(ちしょう)さん。沖島と同じ滋賀県近江八幡市出身だ。沖島とは、琵琶湖に浮かぶ周囲約7kmの小さな島。淡水湖に浮かぶ有人島としては、世界的にも珍しい。人口約240人。平均年齢は70歳を超えている。
そんな高齢化と過疎化が進む島で、塚本さんが漁師見習いになり、約2年が経つ。師匠は、沖島漁業協同組合組合長の奥村繁さん。師匠について、主にスジエビ漁を行う。スジエビは、3~5cmの小さな陸水エビ。釣り餌として重宝されている。
滋賀の郷土料理「えび豆」にも、なくてはならない食材だ。えび豆は、スジエビの旨味と甘く炊いた大豆が絡み合い、おかずにも肴にもピッタリの一品。
「漁に出るようになってから、生命をいただくというコトに真正面から向き合うようになりました。それまでの生活では、魚や肉はすでに切り身になっているモノや、加工されたモノしか接して来なかったんです。それが、漁に出て、自分で獲った魚を自分で絞めて捌いて調理するコトで、湖魚はもちろん、他の様々な食の流通などを自分でも調べるようになりました」
その言葉の通り、塚本さんのInstagramのストーリーズには、常日頃、湖魚(琵琶湖の魚の総称)の写真と名前、そして、それらを調理した写真が流れている。その中には、鮮度落ちが早いために市場に出回らない湖魚も見受けられる。同じ滋賀県民ですら、はじめて聞くような名前の湖魚も多い。
カマツカというキスによく似た湖魚の刺身だったり、ギギという硬いトゲを持つ湖魚の味噌汁だったり、イサザのじゅんじゅんやアヒージョ(「じゅんじゅん」とは、すき焼きのような滋賀の郷土料理)等々。さながら湖魚辞典のようだ。
“ほんまもん”の言葉で沖島の漁を語りたい
釣りが趣味だったわけでもなく、実家が漁師でもなく、沖島にルーツがあるわけでもないアラサーの塚本さん。なのに彼が漁師の道に進んだのには、理由がある。
沖島に関わるようになったのは26歳の時。島の人に声をかけてもらい、島内のイベント等に参加したり、手伝いをするようになったのがスタートだった。そのうち、定期的に島へ通うようになると、島人の知り合いも増え、話す機会も多くなる。必然と、沖島のコトについては、それなりにたくさん語れるようになっていった。
湖魚やその調理法、沖島漁師のコト、そして、漁師の担い手不足の問題等々。けれど、漁そのものについては、自分は見聞きするだけで、実際に体感したコトはない。沖島をPRする島外でのイベント中、沖島の漁について説明している自分の言葉が、とても軽く感じられてしまったのだという。
「だから、実際に自分自身で身をもって体感してから人に話したいと思って、漁師見習いになったんです」
漁師見習い期間は3年間。その間は、国の漁業人材育成総合支援事業の一環として、研修経費支援がある。現在、滋賀県内では、塚本さん以外にも数人が各漁協で漁師見習いとして学んでいる。
「今、沖島の漁師の中心となっているのは60~70代の方々です。なので、あと5〜10年したら引退されてしまう可能性が高いんです。今のうちにその方々から、それぞれの漁法を学んでおかないと廃れてしまうんじゃないかと思うんです」
通いスタイルという島暮らし
そういう塚本さんも、はじめから「沖島で暮らそう」「沖島の漁師になろう」と思って沖島に来たわけではない。島通いをはじめて1年と少しが経った頃、沖島町離島振興推進協議会が元漁師宅を改修して運営をはじめた民泊「湖心 koko」(以下、湖心)の管理人を任されるコトになる。
それでも、民泊の予約が入ったら、同じ市内の実家から沖島へやって来るという通いスタイルだった。片道約10分の定期船に乗って。
漁師見習いになってからは、日も昇らないうちから漁へ出るので、ほぼ島での生活だ。そのうち島人の多くに認知され、受け入れられはじめると、“島あるある”が、どんどん塚本さんの身辺に起こりはじめる。魚や野菜をもらったり、島人のお茶タイムに呼んでもらったり、行事や祭りなどの準備と後片付けの後に行なわれる島人の打ち上げや直会にも混ぜてもらうようになった。
「島の家にいると、おかずのおすそ分け持参で島の誰かしらが訪ねて来てくれるコトもしょっちゅうなんですよ(笑)」
私が民泊「湖心」に宿泊した際も、冷蔵庫に島人から塚本さんへの送りモノおかずがいろいろと詰まっていた。湖魚の煮物や刺身はもちろん、島では取れないメロンまで入っていたり。もはや、島全体がひとつの家族のようだ。人口約240人、平均年齢70歳以上の島だからこそかもしれない。
すぐそこにあった2拠点生活の場所
学生の頃から旅好きで島好きだった塚本さん。東京のゲストハウスやシェアハウスでスタッフをしたり、沖縄では石垣島の農園で働いたコトもあるという。
また、社会人3年目までは、滋賀県内で移動パン屋の会社に勤めていた。その際、自分がパン販売に来るコトを心待ちにしいてくれているお客さんたちの優しさとありがたさに触れ、地元滋賀県にUターンし、その人たちをはじめ、滋賀に恩返しがしたいという気持ちも常にあった。だからか、滋賀と “どこか” との2拠点生活も自然と考えはじめるようになっていた。
自分の好きな「旅」「島」「滋賀」それらが、すべて詰まった場所。他府県を巡って辿り着いた “そこ” は、自分が生まれ育った町と同じ市内にあり、湖上に浮かぶ有人離島・沖島だった。人生の答えは、意外とすぐ近くにずっとあったのだ。
「20代半ばは、自分がやりたいコトは何なのか? どこに住みたいのか? そんなコトをずっと考えていました」
2拠点生活の場所は、何も、遠くの都会と遠くの田舎である必要はない。同じ市内であっても、所変われば。そこには、自分とは全く違う生き方をして来た人たちが、その土地にあった生活を連綿と営んでいる。その中に交じり合い、良い意味で流されるコトで、自分でも思ってもみなかった未来が開けるかもしれない。
沖島の漁師見習いとして、毎日、漁船に乗り込み、夜明け前の湖上を行く塚本さんのように。
「沖島の漁業文化を次世代に繋いでいきたいんです。それは、漁師としてだけではなく、『湖心』の管理人としても。宿泊する人は、港から宿まで歩いて来られます。その途中には、漁船が何隻も停めてあったり、漁のカラフルな網が干してあったり、漁具の手直しをしている漁師さんの姿を見かけたりと、必然と視界に入ってきます。その時点で、少なからず、湖魚や漁ついて興味を持って『湖心』の扉を開けてくれます。そして、宿の管理人である僕が漁師見習いをしているという話をするコトで、湖魚の話にますます花が咲くコトも多いんです」
身をもって体験し、ほんまもんの言葉で語り継ぐ。沖島漁師の世界に、ほんのりと漁火が灯りはじめたような気がする。
●塚本千翔さんのInstagram
biwakoboy(沖島の人)@biwakoboy_okishimanoboy
●民泊「湖心koko」
滋賀県近江八幡市沖島町250-1
https://peraichi.com/landing_pages/view/minpakukoko/
●フリー冊子『沖島さんぽ』
滋賀県は琵琶湖に浮かぶ有人離島・沖島のガイド兼コミックエッセイ。
沖島が気になる方は、ぜひ、下記に連絡してお取り寄せしてみてください。
(冊子は無料ですが、郵送料は注文者さん側のご負担になります)
沖島町離島振興推進協議会もしくは沖島町離島振興推進協議会のInstagram 「もんて @montekite2017」 へメッセージで連絡。