18歳まで育った街から歩きはじめる旅
生まれ故郷の信州松本からバックパッキングの旅に出た。なぜ松本から歩いて、松本でどんなドラマがあったのかはBE-PAL6月号の『シェルパ斉藤の旅の自由型』を読んでもらいたい。めったにない貴重な体験だった、とだけ伝えておこう。
バックパッキングの旅のスタート地点は松本駅。高校時代の通学路だった駅前通りを東に向かって進み、正面にそびえる美ヶ原の向こう側をめざした。
国内外のトレイルを数多く歩いてきた僕だが、18歳まで育った街から歩きはじめた経験はない。高校時代に漠然と抱いた「山の向こう側へ歩いていきたい」という夢を、四十数年経ってようやく叶えることができた。
駅前通りを歩いたあとは、薄川(すすきがわ)に沿った道を歩いて美ヶ原方面をめざす。季節は、陽射しに温もりを感じる初春。山間部の道路をのんびりと歩き、車両通行止めの県道に入って、扉峠へ向かった。
通行止めが長期間続いているのだろう。倒木が道路をふさいでいる箇所がいくつもあった。驚いたのは、シカの死骸。扉峠までの区間で6頭もの死骸に遭遇した。
道路で天寿を全うしたのか? 猟師に撃たれて道路に放置されたのか? 転落事故に遭って道路で倒れたのか? なぜ道路にこれほどの死骸があるのか推察しながら歩いた。不気味さはなく、自然の奥深さを体感した。
扉峠を越え、テントで一泊
初日は扉峠を越えて少し下った場所にあった平地にテントを張った。標高2000m近い高所だからところどころに残雪もある。道路のすぐ脇だけど、通行止めの期間だから車は通らない。
たまにシカの鳴き声が聞こえる。この山域に自分しかいないことを実感して、満足感に浸った。
江戸時代の旅人の道「中山道」を歩く
2日目の途中で中山道に合流。ここから先は江戸の街道を歩く旅になる。適度な間隔で風情のある宿場町があり、中山道を示す標識もあって歩きやすい。
江戸時代から歩く旅人を受け入れてきた土地柄だから、地元の住民が歩く旅人を歓待する空気が感じられる。四国のお遍路道やスペインの巡礼路カミーノ・デ・サンティアゴと同じく、おもてなしの精神が中山道にも根づいていると思う。
権現山公園で野宿していると…
2日目は立科町の中心に近い権現山公園にテントを張った。園内には温泉施設もあって、テント泊に最高のロケーションである。
温泉に浸かってぐっすり眠った翌朝、テントを撤収していると和犬を連れた年配の男性がやってきて 「中山道を歩いているんですか?」 と声をかけられた。
「はい」 と返事をしたら 「寒くなかったですか? 温泉には入りましたか?」 と優しくいわれた。
やっぱりここは古くから中山道を歩く旅人をもてなしてきた土地なのだ。男性の心遣いがうれしくて、気分良く旅立ちの準備を整えることができた。
江戸時代の風情が残る宿場町
中山道に合流してからは和田宿、長久保宿、芦田宿、望月宿、八幡宿、塩名田宿という順に歩き、江戸の街道を歩く旅人の気分に浸った。
とくに気に入った宿場町は茂田井間の宿(もたいあいのしゅく)だ。『間の宿』とは宿と宿の間にできた休憩所の宿で、茂田井間の宿は芦田宿と望月宿の間にある。
細い通りに江戸時代を思わせる風景が残っているし、宿の入り口にはポストがあって、地元の住民が作成したイラストマップが置いてある。その地図を参考にぶらぶら歩きが楽しめる。
3日目、佐久平駅へ
後半は中山道の旅になったが、コースを忠実にたどったわけではなく、気のむくままに寄り道もした。そして3日目の午後、佐久平駅に到着。特急列車(あずさ)が停まる駅と新幹線(北陸)が停まる駅をつなぐ、約65kmのバックパッキングの旅が終わった。