本記事は「世界屈指の猫の島「相島」を家族で散策。福岡「新宮漁港」から船で20分!」の続編です。
島を歩くと出会いがある
「ミキモト真珠養殖」の清水さんとの出会い
みなさんは、福岡で真珠の養殖が行われていることをご存知でしょうか?
わたしは相島を訪れるまでは、その事実を全く知りませんでした。
初めて相島を訪れた日、レンタサイクルで島を一周しました。サイクリングの途中、絶景ビューポイントから海を見下ろすと、海に黒い浮きのようなものがズラーっと並んでいました。何か育てているんだろうな、海苔かな魚かな……と思っていました。島を一周して漁港近くに戻ってくると「ミキモト博多真珠養殖」の看板を見つけたことで、あの黒い浮きが真珠養殖のエリアであることがわかりました。
それからひと月後、2度目の相島へ。
家族が釣りをしている間に、島の購買部へワカメを買い求めて歩いていました。前回、丸山食堂で食べたワカメうどんのワカメが、あまりに肉厚コリコリで美味しかったので、次回は必ず買って帰ろうと決めていました。
ところが、その日は購買部の入り口に「本日ワカメの販売はしていません」と張り紙が貼られていました。残念……と肩を落としていると、「なにか探してますか?」と一人の女性が声をかけてくれました。
島に来てもう10年になるという清水さん。島の暮らしについて話しを聞きたいなと思い、家族で泊まりで釣りに来ていること、ワカメを買いたかったこと、相島について記事を書こうと思っていることを伝えたところ、「あっちの方で真珠の養殖をやっているから見においで、お父さんもいるよー」と言っていただきました。
真珠養殖って、レンタサイクルで島を回っているときに目にした「ミキモト真珠養殖」の看板のところかな……?えっ、あの……?まさかワカメを買いにきて、そこのお母さんに出会うことができるとは。
お母さんの優しさに甘えて、お父さんがいるところに連れて行ってもらうことにしました。
「奇跡の真珠」が生まれるまで
日本の真珠養殖の歴史
まずは日本の真珠養殖についておさらいしておきましょう。
明治26年、世界で初めて真珠養殖を成功させたのが、ハイジュエリーメゾン・MIKIMOTO(ミキモト)の創業者である御木本幸吉さんです。「ミキモト」といえば真珠や化粧品を連想するのではないでしょうか。三重県伊勢志摩の鳥羽湾に浮かぶ「ミキモト真珠島」では、養殖真珠発祥の地として真珠養殖の歴史を知ることができます。
ミキモトの創業者である御木本幸吉さんは、”日本10大発明家”の一人にも選ばれていて、真珠養殖の技術は日本の偉大な発明の一つであることがわかります。明治から昭和にかけて、日本は世界トップクラスの真珠生産国として君臨していて、地方の一企業が生み出したイノベーションから、世界を制する産業が創り上げられたと注目されていたようです。
真珠養殖に適した環境とは?
真珠は、三重県や長崎県など母貝の餌となるプランクトンが豊富な内湾が主な産地となります。
外海では潮流が速く、餌となるプランクトンが波に流されてしまうからです。さらに、波が高いと貝は殻を閉じ、餌を取ろうとせず成長しにくいことから、「外海は養殖地に適さない」というのが定説となっています。
外海の玄界灘に位置する相島で、なぜ真珠養殖が行われることになったのか?
相島にはもともとアコヤ貝が生息していたことから、福岡県が活用法を探ろうと九州大学に相談を持ちかけたところから話が始まりました。
九州大学が三重県で真珠養殖を手掛けるミキモトを紹介し、2001年に相島での真珠養殖に関する3者の共同研究が始まったのです。
- 相島にアコヤ貝が生息していた。
- 外海なのに、南側の博多湾からプランクトンが海流に乗り、大量に流れてくるため、母貝の餌となるプランクトンが豊富。
- 外海なのに、相島が防風壁の役割を果たすため、養殖場所の波はそれほど高くならないことが判明。
研究の結果、これらの条件が揃う相島は赤潮被害や感染症の被害に遭いにくい外海にありながら内湾のメリットをもつことがわかりました。
さらに実験を経て、真珠養殖が可能と判断したミキモトは「ミキモト博多真珠養殖」を2007年1月に設立。
「外海は真珠養殖に適さない」との定説を覆し、外海の玄界灘にある相島での真珠養殖が始まりました。
真珠養殖が始まって5年後、
「福岡産真珠、常識を覆す外海養殖 13年商品化へ」の記事で日経新聞でも取り上げられていました。
初収穫の2008年は8000個だった採取量も順調に生産量を増やし、5年目には約13万個に達したそうです。
https://www.youtube.com/watch?v=vgbci6ZqUa4
相手が”生き物”だから思うようにいかない、だから面白い
島の購買部の前で出会ったお母さんについていき、「ミキモト博多真珠養殖」の事務所におじゃましました。連休中で作業場はお休みでしたが、清水さんご夫妻に作業場を見せてもらって、お話しを聞くことができました。
清水さんは、2007年にミキモトの子会社として設立された「ミキモト博多真珠養殖」の代表として会社運営に携わっています。
会社から相島での真珠養殖の話しをもらった時は、体調も万全ではない中でそんな大役はもっと若い人に任せた方がいいのではないか……とも考えたそうです。
しかし、天然稚貝での真珠養殖は難易度が高く、何よりも豊富な知識と経験が必要なことがわかっていました。また、その真珠養殖を相島で根付かせていくためには、自分たちだけで事業を行うのではなく、その高度な技術を島の人たちに教えるスキルの必要性も感じられていました。
長きにわたり天然稚貝の真珠養殖に携わってきた清水さんにとって、相島での真珠養殖は誰もができるものではない、だからこそ挑戦しがいのある事のようにも感じられたといいます。考え抜かれた末に「よし、やろう」と、決意されたそうです。
当時を振り返りながら清水さんが語ってくれました。
「実際に事業をはじめてみると、大変なことが沢山あったよ。
でもね、一番大変なときに助けてくれたのは島の人たちだった。島の人たちに勇気をもらった。
この仕事の難しいところは、一日仕事を空けると、一週間仕事を空けたことと同じくらいの影響が貝に現れてしまうところだよ。
だから休み前には仕事の段取りをちゃんと整えておいて、休めるようにしておくんだよ。
相手が生き物でしょ。だから難しいんだよ。
でも、一緒に働く人たちがこれを楽しいと思ってくれると、教育がうまくいったなあと思うよ。
ここでは他ではあまりやっていない2年養殖をやっている。養殖期間が長くなるってことは、冬を越す間に貝が死んでしまう可能性が出てくる。
そこをうまくやらないといけない。大変だけど貝を上げる時が楽しみでやっているよ」
大変だったことも、大変なことも、笑顔で語るお二人がとても素敵でした。
相島の「奇跡の真珠」は、島を取り巻く自然環境や真珠養殖に情熱を注いできた人たち、そして、それを支えてきた島の人たちの想いが詰まった結晶なのだなあと思いました。
相島産の真珠ジュエリーはこちら
MIKIMOTO AINOSHIMA PEARL Collection
※次回は相島で出会った昭和レトロな酒屋さんをご紹介します。