ヘンリー・デイヴィッド・ソローが、二年間の森暮らし体験をもとにして書いたアウトドアライフの古典『ウォールデン 森の生活』。その最新日本語訳を手がけた動物学者・今泉吉晴さんに、ソローの魅力と、若い時期に触発された本につ いて、お訊きしました。
1940年東京生まれ。動物学者。京都大学理学博士。都留文科大学名誉教授。森に小屋を建てモグラやムササビなど森の小動物を研究。訳書に『ウォールデン 森の生活』『シートン動物誌 』。
『ウォールデン 森の生活』(上)(下)
ヘンリー・D・ソロー・著 今泉吉晴・訳
出版社/小学館(小学館文庫) 各¥850
「小屋を建て、畑を作り、薪でパンを焼く生活記。ソローの山小屋暮らしは2年2か月。私も山小屋で約30年暮らしたんですが、一向にそれらしい効力が出てきません(笑)」(今泉さん)
大工、猟師、子どもに共通する「自然の見方」
いまは動物学者でも哺乳類、鳥類……と分業ですが、ソローは、関連ある世界のすべてを書こうとしました。いわば「総合的な科学者=ナチュラリスト」なんです。
科学の場合、顕微鏡で見たり、発信器を付けたりといった世界標準の方法をとりますが、「自分の感覚器官で知る」というのがナチュラリスト的なものの見方。
大工さん、猟師、それからたいていの子供はこの見方でやっています。
自分の目で見て、自分独自の「自然の見方」を育てよう。そう考えたのがソローでした。
ソローは24歳のころ、ハーバード大学の先輩で、14歳年上のエマソンの家に居候します。
エマソンはもともと牧師で、優れた直感のある天才思想家です。
エマソンが33歳のときに書いた哲学的エッセイ『自然』(Nature)は、大学生時代のソローにも強い印象を残しました。
その冒頭で、エマソンはこんなことを書いています。
外にひとり出て、星を見上げるといい。もし星が千年に一回しか光らなかったら、誰もがその美しさに圧倒されるだろう。毎日見られるから誰も気にしないが、ひとり星を見ると、誰しも畏敬の気持ちがおこり、星と友達になれるよ、と。
仲間と一緒に行くと、人間の社会をそこに持ち込むことになる。自然を知るには、ひとり、それが大事だ、というのです。
人間が野生動物だったころの性質を育む
19世紀にエマソン、ソローが考えた自然観や、「自分の本来の性質を生かす」という考え方は、アメリカ社会に広く浸透しています。
「人間本来の性質=Human Nature」とは、人間が野生動物だったときに自然の中で生きるために培ってきた習性です。
そうしたワイルドな性質を引き出し、育むことを動物たちはみなやっていますが、それを人間もできるんじゃないか?
これがソローがめざしたことです。
以下に上げた5冊は、私が若いころ、自然と交流し、自分を育てるヒントになった本です。
時代が変わり、人間も自然も変化しているだけに、いま読むと、おもしろいと思いますよ。
↑今泉さん所有の『ウォールデン』原本。初版の刊行は1854年(ペリーと江戸幕府が日米和親条約を結んだ年)。
今泉さんが自分を育てるヒントになった本
『エマソン論文集』(上)(下)
エマソン・著 酒本雅之・訳
出版社/岩波書店(岩波文庫)
品切れ中(古書店で入手可)
「エマソンの世界観が書かれた本。彼は他の牧師が気になり、イギリスまで旅をして、自分の才能に確信を持つ(笑)。それで、自由な信仰をめざして牧師をやめるわけです」
『ソロモンの指環』
コンラート・ローレンツ・著 日高敏隆・訳
出版社/早川書房(ハヤカワ文庫NF)¥740
「動物行動学者のエッセイ。ガンの雛が最初に見た対象を親だと思う『刷り込み』が印象的です。私がムササビの赤ちゃんを育てたときには刷り込みはありませんでしたが(笑)」(今泉さん)
『山びこ学校』
無着成恭・編
出版社/岩波書店(岩波文庫)¥940
「1950年代のベストセラー。山形県の山村の中学生の作文集なんですが、炭焼きやヤギの飼育など、貧しいけれど目標をもって元気に生きる記述が見事です」(今泉さん)
『日本野生動物記』
田中光常・著
出版社/朝日新聞社
絶版(古書店で入手可)
「この本でムササビの滑空写真を見て、高尾山へ。ムササビは慎重で人の気配を嫌うと書いてあったんですが、実際は全然人を気にせず滑空していて驚きました」(今泉さん)
◎初出/『BE-PAL』2017年3月号