京都在住、女子3人+男子1人の4ピース・バンドのHomecomings(ホームカミングス)。
そこでボーカル&ギターを務めるのが畳野彩加さんだ。
2012年に結成して、2013年には1stEPを発売。さらにROOKIE A GO-GO枠でフジロックにも出演した。2014年には1stフルアルバム『Somehow,Somewhere』、2015年には初のシングル『HURTS』をリリース。フェスへの出演も増え、リリースした作品はすべてロングセラーを記録している。
彼女たちの特徴は、歌詞がすべて英語詞ということ。キュートな畳野さんの声と、ポップで愛らしいメロディー。耳馴染みのいいサウンドは気づくと、なんとなく口ずさんでしまう。フレッシュかつ、実力派の彼女たちが2016年の今年、セカンドアルバム『SALE OF BROKE DREAMS』を引っさげ、ワンマンツアーそして3年ぶりに再びフジロックへと出演する。
キャリアは浅いながらも、着々と階段を駆け上がり続けている彼女たちのバンド結成秘話から聞いた。
アイドル好きからバンドへ。高校で人生変わりました。
―――畳野さんが自分の意志で音楽を聞き始めたのは、いつからですか?
「高校1年生の終わりころですね。それまでは、いわゆる普通の女の子っていうか(笑)。ずっと部活でバレーボールをやっていたし、高校に入ってからもバレー部に所属していたんです。バンドにはまったく興味がなくて。MISIAやケツメイシといったランキングに入っているJ-POPばかり聞いていました。ミーハーな部分もあったので、モーニング娘。、KAT-TUN、NEWSとかアイドルも大好きで! 自分でいうのも変ですが、本当に女の子らしい、高校生だったんです」
―――まさかアイドル好きだったとは! それがなぜ、バンドをやるようになったんですか?
高校でバンドメンバーの福富くん(福富優樹・ギター)と出会って、彼がJ-ROCKを教えてくれたんです。福富くんの中学校は、カルチャー好きが多かったらしく、すでにバンドも組んでいて。GOING UNDER GROUNDとかELLEGARDEN、メレンゲなどのバンドの曲が入ったMIXMDをくれたんですよ。それで、大衝撃を受けて! いままで聞いたことのないサウンドと、歌詞にびっくりしたんです。マキシマム ザ ホルモンを初めて聞いたときには、正直「え!?」って気持ちもあったんですけど…聞いていくうちに、サビのよさに興奮しちゃって(笑)。そのなかでも、いちばん刺激になったのは、ELLEGARDENですね。そう思うと、福富くんとの出会いは、私の人生のなかで大きい存在ですね」
―――J-ROCKだと、いまの楽曲とはまた違う雰囲気ですね。
「そうですね。そのころは、バンドがすごく盛り上がっていた時代で、常に新しい情報が入ってきていたんですよね。雑誌で記事を読んだりしていたら、どんどん私も盛り上がってきて、ずっと続けていたバレー部を辞めて、福富くんのバンドに入れてもらったんです」
―――すごい勢いですね! 迷いはなかったんですか?
「やりたいと思ったら、行動に移さないと気が済まないタイプなので、バレーへの悔いもなかったです。むしろバンドがやりたくてしょうがなくて! 小さいときからピアノを習っていたり、街の小さな合唱団に入っていたこともあって、音楽を始めることに抵抗がなかったのもあります。歌を歌うことも好きだったので、福富くんのバンドでギターボーカルを担当することになりました」
―――ギターは自分で購入したんですか?
「母親がヤハマのアコギを持っていて、最初はそれを貸してもらっていました。そのあと、ギターとアンプ、ケースもついて1万円の初心者用を買って練習していましたね」
―――バンドでは、どんな音楽を?
「コピーバンドだったので、それこそELLEGARDENやBEAT CRUSADERSですね。高2のときにキーボードのメンバーが入って、それからはオリジナルを作るようになりました」
―――オリジナルは、いまの音楽に近いものだったんですか?
「いや、全然(笑)。ニューウェーブにハマっていた時期だったこともあって、4つ打ちの曲をやってたんですよ! いまとは、まったく違う音楽を作っていました」
―――4つ打ち! それは意外です。ライブも行なっていたんですか?
「地元の近くにライブハウスがあって、定期的にイベントがあったので、それに出演させてもらったりしていました。演奏はガタガタだったと思うんですけど、オリジナルができていることに満足していたんです。周りはみんなコピーバンドばかりで、ミッシェルガンエレファントとか、ちょっと上の世代だとチャットモンチーとか。ひとりで椎名林檎の弾き語りをしている人もいました。そういう人たちのなかで、自分たちはオリジナルをしている、君たちとは違うんだぞって、勝手に優越感に浸ってたんだと思います。高校生らしいですよね(笑)」
大学のフォークソング部でバンドメンバーと出会う
―――福富さんとは大学も同じですよね。
「そうですね。福富くんは、ZAZEN BOYSが精華大学の学園祭でライブをしているのをパンフレットで見て、決めたみたいです(笑)。同じところを受けるつもりではなかったのですが、私がほかの大学に落ちまして…。結果的に同じ大学に行くことに。もともと美大に入る予定ではなかったので、学部も人文学部という美大とは関係ないところなんです。映画だったり、もっと文学的なことを学んでいました」
―――高校でのバンドは続けていたんですか?
「バンドメンバーが就職をしたり、ほかの大学に行ったりして、自然消滅。ベースの子は同じ大学だったので、3人でフォークソング部に入ったんですが、いつの間にか彼は部活を辞めていて…。100人ぐらいいるサークルだったので、決まったメンバーとやるというより、いろんな人と組んで楽しんでいましたね。定期的にライブがあって、オーディションを行なうんです。それぞれ音源を録音して、投票で決めていました。部室がスタジオになっていて、24時間使えるから、好きなときに行って、やりたいだけ練習して。機材もあったので、スタジオに入り浸っていました」
―――そのいくつかバンドを組むなかで、いまのメンバーである石田成美さん(ドラム)、福田穂那美さん(ベース)とも出会ったのですか?
「そうです。ふたりは、私たちよりひとつ上で、先輩後輩だったんですけど、そのころ4人とも、The Pains of Being Pure at Heartなどのギターポップにハマっていて。聴く音楽が近かったから、一緒に音楽をやるのが楽しかったんですよね」
―――ニューウェーブを好きになったあたりから、聴く音楽は洋楽に変わったんですね。
「BEAT CRUSADERSが洋楽をリスペクトしていた影響で、高校から大学に入るころには、洋楽ばかり聴くようになっていました。主に80年代の曲を聞いていたんですけど、石田と福田がギターポップが好きだったみたいで、バンドもギターポップの曲をやるようになったんです。それで、新歓ライブに出て、新しい曲を作って、バンドとしてまとまってきたころ、京都でライブサーキットをやるから、フォークソング部枠で出てみないかってお誘いをいただいて」
―――まさに、グッドタイミング!
「そうなんですよ! そのイベントに、いま所属している事務所のセカンドロイヤルの社長、小山内さんが来ていたんです。そしたら『いいね、CD出そうか』って急に言ってくださって!」
―――夢物語のような展開ですね。
「私たちもめちゃくちゃとまどっていました。元々、セカンドロイヤルが好きで、主催のイベントにも何度か遊びに行っていたから、『え、待ってください、セカロイが? 私たちのCDを?』って感じで。まったく現実味がなくて」
―――それで、あっという間にフジロックの出演も決まるって、本当にすごいですよね!
「でも、2013年は福田と石田が大学を卒業する年と被っていて、解散するかという流れもあったんです。彼女たちは、大学でバンドを楽しんであとは就職することも考えていたみたいだし、急なことでそれぞれ気持ちの整理をつけられないまま、進んでしまっていて。だけど、私はそのとき、バンドでやっていこうって決めていたから、セカロイからCDが出せるなんて、しかもフジロックに出られるなんて、これを逃すわけには行かない! って説得したんです」
バンドとして、いまがいちばんいい状態って、思います。
―――その解散の危機を乗り越えて、2014年に1stフルアルバムを発売されたんですね。
「じつは、アルバムを出す前もバンドの雰囲気が落ち気味だったことがあって…。曲もできないし、いま思い返すと、状態的には2013年よりも悪かったかもしれません。それを乗り越えて、あのアルバムはできました」
―――畳野さん自身、曲作りに苦労していた時期だったんですか?
「期限がないとできないタイプで、この時期にCDを出しますって明確に言われてから動き出すから、遅くなるんですよね。性格上、ギリギリになっちゃって…」
―――今回のアルバムも、ギリギリに?
「前回、バタバタで作ってしまったので、今回は制作期間をきちんと取って作れました。4人で1曲、1曲練れたし、時間をかけられたと思います。ただ、本当はボーカルを録ってから完成させようというのが目標だったんですけど、どうしても私のメロディーが間に合わなくて、レコーディング当日にメロディーを考えるときもありました」
―――歌詞が間に合わなかったということですか?
「歌詞はできていたんですけど、メロディーができていなくて。精神的にも落ちてて、ずっとできなかったんですけど、ギリギリで追い込まれたら、アドレナリンがぶわ~っと出てきて生まれたんですよね」
―――とくに苦労した曲はありますか?
「全部苦労しているんですけど(笑)。捨て曲を絶対に作りたくなくて、全部サビまでしっかりやろうと、メンバーともこだわりを貫きました。『CENTRAL PARKAUDIO TOUR』はピアノのリズムから段々とコードが変わっていって、また戻って、と変調する曲なんですけど、メンバーから『メロディー次第だね』って言われて、すごく悩みました」
―――メロディーはリズムと別に作るんですか?
「普通は、歌があって、コードがあって、ベースがのかっていって、完成するんですけど、うちの場合は、最初にリズムを作って、そこにメロディーを乗せていくんです。変な作り方ですよね(笑)」
―――リズムに合わせて、メロディーを作るということですか?
「そうです。だから、ドラムとベースのふたりは、よくわからないまま進んでいくんです(笑)。ここで展開変えます、ここでCコード入れます、とか。最初のほうは、弾き語りで合わせていく作り方だったんですけど、1stのとき、メロディーが作れなくて、後づけで作った曲があったんですよ。そのあと「Hurts」のときも、同じ方法で作ったら、めっちゃいいね! って盛り上がりまして。今回は、全曲、その方法で作っています」
―――すごく特殊な作り方でびっくりしました。Homecomingsは歌詞が英語詞なのも特徴ですよね。
「洋楽をたくさん聴くようになって、こういうのをやりたい! って思ったとき、モデルとなる曲が英語なので、その流れもあって英語詞を書くようになりました。英語では歌っていますが、和訳にもこだわっていて、CDを買って、和訳を読んだときに、伝わるものがあるのって、いいなと思ったんです。あとは、自分自身、何かをしているときに音楽を聴くことが多くて。歩いていたり、電車に乗っていたり。そのときに日本語だと、自分のなかに入ってきすぎちゃう。それよりも、ふとした瞬間に言葉が引っかかったり、かっこいいなって思えるサビが流れるのが気持ちいい。そういう風になれたらいいなと思います」
―――英語の発音の練習はされているんですか?
「できるだけネイティブに近づけたいとは思っています! 気持ち的に! もう『ネバーキス』ってカタカナ英語では歌いませんよ(笑)」
―――最後に3年ぶりに出るフジロックの意気込みを教えて下さい。
「ROOKIE枠じゃない出演なんて、考えただけでも、ヒザがぷるぷるします! でも、とにかく楽しみたいですね。その前のワンマンツアーでは、アルバムを再現するライブをやって力をつけて、それの完成形をフジロックでは見ていただきたいです。いま、バンドを結成してからいちばんいい状態だと思っていて。ライブが増えて、4人でいる時間も多くなって、友だちでもないし、家族でもないんだけど、深い部分で繋がれていることを感じます。だから、前以上にライブをすることが楽しいんです。あとは、単純にフジロックを私自身、満喫したい! 大好きなBECKのライブも楽しみです!」
2016年5月11日発売、Homecomingsの2nd Album 『SALE OF BROKEN DREAMS』の
リード曲「Don’t Worry Boys」。
●畳野彩加
石川県生まれ。Homecomingsのボーカルを担当。ソングライターとして、メンバーの福富とともに曲を手掛ける。2stアルバム「SALE OF BROKEN DREAMS」が発売中。
http://homecomings.jp/index.php#top
◎文=中山夏美 写真=小倉雄一郎(インタビュー・ポートレイト)
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