世界一周に挑戦し約12万kmを走行中の自転車冒険家、シール・エミコさんが語る「冒険の先にある希望」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL10月号掲載の連載第15回目は、自転車世界一周挑戦中に末期がんと診断されたシール・エミコさんです。
「がんの治療はたいへんだったけれど、雨や雪の中を走るよりは楽でした」と笑って語るエミコさんは、末期がんを乗り越え、自転車に乗れるようになるまで回復しました。「がんとの闘い」という冒険にどのような気持ちで臨んだのか、関野さんが迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
シール・エミコ
1965年東京生まれ、大阪育ち。1989年、バイク旅行中のオーストラリアで出会ったスティーブ・シールとともに世界一周自転車ふたり旅を始める。2000年、パキスタンでがん罹患が判明。その後20年以上、闘病を続けながら、世界一周のゴールを目指している。
「自転車にまた乗りたい、外国をまた旅したい」
エミコ パキスタンに入り、イスラマバードの手前でようやくちゃんとした病院があったので、そこで診てもらうことにしました。年末だったため病院には若いインターンしかいなかったのですが、診断の結果はがん。インターンでさえすぐにわかるぐらいがんが進行していたんです。すぐに手術をしないといけないといわれました。年が明けて日本大使館に行って相談したら、すぐに帰国して治療するよう勧められました。私とスティーブはその夜の成田行きの便に乗って日本に帰りました。
関野 子宮頸がんだったのですね。
エミコ はい。進行がんでⅡ期のbに入っていました。左骨盤にも全面的に広がり、そのまま旅を続けていたら半年ももたなかっただろうと主治医の先生にいわれました。抗がん剤でがんを小さくし、3か月後に子宮全摘手術を受け、取り切れなかったがんは放射線治療や抗がん剤治療で叩きました。入院は7か月におよびました。
関野 治療は苦しかった?
エミコ 子供を諦めなければならないのがつらかったですし、死を考えると精神的にきつかったです。抗がん剤の副作用の吐き気、めまいなど治療自体も大変でしたが、雨や雪の中を自転車で走るよりは楽だったかな(笑)。自転車旅のきつさが糧になっていたと思います。それに、また自転車に乗りたい、また旅をしたいという強い思いがありました。「がんばったらまた外国に行ける、いろいろな人に会える、おいしいものを食べられる…。いいこといっぱいあるんだよ」と自分にいい聞かせて乗り越えました。
関野 そして2004年、自転車旅を再開しました。
エミコ 荷物を預けていたパキスタンからリスタートしました。日本まで一気に走るのは無理なので、期間を定めてその間に行けるところまで行くという旅でした。いったん日本に帰って治療し、体調を整えてから再び旅に戻るというやり方で、パキスタンからインド、インドからネパール、チベットから中国を横断してタイを走破しました。
この続きは、発売中のBE-PAL10月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。