半年間のドナウ川カヤック旅、ついに
ドイツ、オーストリア、スロバキア、ハンガリー、セルビア、クロアチア、ブルガリア、ルーマニア、そして、モルドバとウクライナ。約2,600kmにおよぶ半年間のカヤック旅行。漕ぎ始めたときはゴールなんて、ずーっと先のことだと思っていたのに。旅の終わりがいよいよやってきた。
モルドバ・ウクライナ
全部で10ヶ国の国境を行くこの旅。しかし最後の2か国、モルドバとウクライナは国境がドナウ川に面しているだけで、上陸はしない。戦争のせい、というよりも、そこにはタンカー船なんかが積み荷を降ろす殺風景な工業地帯が少しあるだけ。だから通常、ドナウ川を旅する人は対岸のルーマニア側に留まって通過するだけで、上陸はしない。
2022年6月下旬、ドナウ川からのぞむウクライナはこれまで見てきた川沿いの景色となんら変わらない雰囲気で、意外なくらい穏やかだった。幸い戦地は遠く離れていて、船の行き来もある。
ただし、ひとつだけ、今までのドナウ川と違ったのは、川の途中で2回もルーマニアの国境警備隊にチェックを受けたこと。
ウクライナの国境がドナウ川に接し始める地点と、川を下って両岸ともに再びルーマニアになる地点の2回、国境警備の船が来て、パスポートのチェックがあった。今までは、パスポートを見せるのは国境を越えて上陸するときに、自分から入国管理局へ足を運ぶ以外に無かったから、正直驚いた。
川の上でパスポートの受け渡しをするのは、あまり気持ちの良いものではない。もしなにかの拍子に間違えて川に落として沈んでしまったら、どうしよう。そんな心配をよそに、係官はパスポートをサッと受け取って、パラパラとめくり、「ドナウ川の中心から向こう側はウクライナになるので、なるべくルーマニア側に接近して運航してほしい」と簡潔に述べるだけで去っていった。
ルーマニア最後の町、トゥルチャへ
ドナウ川沿いにあるルーマニア最後の町、トゥルチャ。
海まではあと100km。ここから先はドナウ川沿いに町らしい町はなく、あっても極小規模の町か、道路が繋がっていない。ボートでしか行けないのである。いよいよ川の終わりが近づいてきた証拠に、川の地図で示される海までの距離が「km」ではなくナウティカルマイル、「海里」に変わった。
私がテントを張ったのは、町はずれの一角、廃船が岸辺に折り重なるように投棄された場所。もちろん計画的にここに投棄されたのか、船内を歩いてみてもほとんどからっぽで、なにも残っていないけれど、何隻も町の近くで野ざらしになっているのも珍しい。
私のお気に入りは、この船。川の底から泥を運び出したりする、いわばお掃除ボート。川に浮かんでせっせと仕事をしているのを今までたくさん見てきたけれど、廃船はレアだ。
ドナウ川にもあったデルタ地帯
河口に堆積してできた湿地帯のような地域はデルタと呼ばれていて、ドナウ川にもデルタ地帯があった。
デルタ地帯のなかは、細い水路が迷路のように広がっている。野生動物たちの楽園だ。
ドナウデルタの場合、船の通行のために大きく3本の水路があって、それぞれ北から順に、チリアカナル、スリヌカナル、セントジョージカナルと呼ばれ、すべて黒海につながっている。
タンカーや貨物船はもちろん、ヨットでも一定の大きさ以上の船は基本的にスリーヌカナルを通行する決まりらしく、セントジョージカナルは基本的に一部の観光船と小型ボート、そしてカヤックやヨットなど人力のボートにのみ通行が許可されているという。
ドナウデルタの湿地帯を漕ぐのはもちろん初めての体験だったけれど、私には、どこか懐かしさを感じる景色でもあった。2022年に漕いだアメリカ・ミシシッピ川と似ているところがたくさんあった。
デルタ地帯には、地面らしい地面は少ない。岸のギリギリまで背の高い草のような植物がたくさん生えていて、根本はちょっぴり水に浸かっていたりもする。デルタ地帯では、水分過多になりやすい環境でも根腐れしないような植物が地面を埋め尽くさんばかりに生えている。そのうっそうと茂る緑の中に暮らす鳥たち目当てに、各地からバードウォッチングの観光客が集まる。もちろんエンジン音で鳥を驚かさないように、カヤックやカヌーなど静かな船で行くのが理想的ではあるが、ここでは鳥もだいぶ人間に慣れているらしい。
ドナウ川、最後のキャンプでハプニング発生!
ミシシッピ川のデルタ地帯と似ているところはほかにもある。それは害虫問題、とくに蚊だ。ちょっと木陰に上陸して休憩しようものなら、露出している肌という肌を目ざとく見つけて刺してくる。ズボンは長ズボンで、腕は長そで。そうすると器用にも手や顔に刺してくる。肌に着陸(!?)してから刺すまでは一瞬だ。落ち着いてカップ麺も食べられない。
それから蚊で厄介なのは、お風呂代わりに水浴びをするとき。
水に入ったら、肩まで浸からないと、刺される。陸に上がったとたん刺されるから、体をふいている余裕はない。全身ぐしょぬれのまま、テントに逃げ込む。
ドナウ川でする最後のキャンプは、秘密基地みたいなロケーションで。
木の枝のトンネルをくぐると少しだけ平たい地面があった。川を行き来するほかの船からは見つからない、自分だけのプライベート空間。
川を下っていると、屋根と壁がある生活をしたいという気持ちがなくなってしまう。もうずっとテント生活でもなにも不満はない。雨風をしのぐテントがあって、足を延ばして眠れる空間があって、周りには自然がある。こういう生活をした人にしかわからない境地かもしれないが、それだけで満ち足りているから、明朝、海に出てしまうのが惜しい。それは旅の終わりを意味するから。
海まではあと5km。水平線がそろそろ見えてきそうなのが、楽しみなのと、寂しいのと。興奮で、なかなか眠れない。
2,600kmを経てドナウの果てへ
「海だ、海だ、海だ」
半年間、2,600kmの旅で目指してきた黒海を目の前にこぼれた言葉は、短かった。
川と海が合流する角に砂浜ができている。白い波がぶつかって、ザーザー音を立てている。確かに海だ。
ずっと川を漕いできたから、久しぶりに見る海の波はどこかちょっぴりおっかない。
まずは、あちこちで水をなめてみる。
ああ、やっぱり海は違うんだ。
川と海が合流する角の、ドナウ川側はペロッとなめても意外なくらい、ほとんど塩気を感じない。海側をなめると、少し塩っぱい。奥まで行けば行くほど、塩味がよりハッキリしてくる気がする。けれど、そもそもいろんな川の水が注ぐ内海で、地中海とつながっている入り口も極めて狭いから、黒海の塩分濃度はいわゆる普通の海の半分くらいしかないらしい。
黒海に出ても何もないと思っていたけれど、砂浜には観光客の姿もあった。もちろん、みんなここまではボートで来ている。カヤックで来た人はいない。
わざわざ時間をかけて苦労して漕がなくても、ドナウ川沿いに旅する方法はいくらでもある。ヨット、自転車、車にモーターボート。なぜカヤックでなければいけないのか、合理的な説明はない。ただひとつだけいえるのは、私にとっては、手漕ぎの舟で川を下って旅するのが、なによりもしっくりくるんだということ。
ゆっくり、ゆっくり。力いっぱい漕ぐというよりも、川の流れに身を任せるように、行けるところまで行ってみる。
それだけで毎日が楽しかったから、ドナウを終えるのが寂しい。次はどこへ行こうか。
日本に帰るまで旅は続く
旅は長く続けているうちに、どこがゴールなのかわからなくなってくることがある。
私の場合は、実は川下りの旅を考えた当初は、黒海に出たらそのまま海岸線沿いに1,000kmくらい南下して、トルコの地中海を目指す予定だった。ところが、ドナウ川最後の町トゥルチャで分かったのは、ウクライナ戦争で重要な役割を果たしているスネーク島が、ルーマニアにほど近い黒海沖にある関係で、ドナウ川を抜けたあとで海岸線沿いに黒海を漕ぐには特別な許可が必要ということだった。
黒海を漕ぐのをあきらめるという判断をしたのには、もうひとつ理由があった。私がミシシッピ川3,000kmの川下りをした際の現地の様子をまとめた旅行記「ホームレス女子大生 川を下る」が第七回斎藤茂太賞を受賞し、授賞式のために日本に一時帰国することになった。
セントジョージとヒッチハイク
私は、ドナウの果て、黒海をこの旅のゴールにした。それから日本行きの飛行機に乗るために、トルコのイスタンブールまでバスで向かうことにした。
ドナウ川と黒海の合流地点には町があって、今でこそ過疎化しているものの、昔はルーマニアでも有数の規模を誇る大きな町もあった。カヤックで漕いだセントジョージカナルの終わりには、その名前とそっくりそのままのセントジョージという町がある。町に道路はあるけれど、それは内陸の町にはつながっていない。町までは、みんなボートかフェリーでやってくる。
フェリーは来ないらしい。では、どうやって帰る?
私はフェリーに乗って帰るつもりだった。なのに、尋ねてみるとすべて欠航しているという。ならば明日は?明後日は?いや、ストライキかなにかで一週間ほど欠航するらしい。
フェリーのほかに、トゥルチャとセントジョージを高速で行き来する小型ボートを出している業者もいくつかあったけれど、フェリーが欠航しているせいで需要が高まったのか、まったくチケットが取れない。
ならばヒッチハイクだ。
1日港を歩き回ってみたけれど、内陸まで戻る予定のある人は見つからない。いても定員ギリギリで、フォールディングカヤックを載せられない。船も車も、今までヒッチハイクしてきたことはあるけれど、こんなにうまくいかないのは初めてだ。焦る。もう日が暮れる。だけどもう、今日は無理だろう。
諦めて川っぺりで、楽器を練習することにした。ドナウ川下りの旅をきっかけに始めたフルートは、旅を終えるころになって、ようやく何曲か吹けるようになった。
すると突然、子供が後ろから声をかけてくれた。両親たちのところへ連れて行ってくれて、なんと彼らのボートに乗せてくれるということになった。
旅の終わりは、旅のはじまり
これは、旅の終わりなのか。
それとも次なる冒険の予兆なのか。
旅から旅へ。
私はまだ当分、落ち着かないだろう。