ビールに欠かせないホップ。近年人気のクラフトビールでは、特に個性のあるホップが求められる。日本のホップ生産は農地も品種も限られているが、2016年、山梨県北杜市にホップ栽培のベンチャー農家が生まれた。ホップ農園「北杜ホップス」の小林吉倫(よしとも)さんにインタビューした。
人が少なくて低所得。そんな農業が「面白そうだな」
麦芽とホップと水。これがビールの主原料だ。麦芽を使ってアルコールをつくってもホップが入っていなければビールと呼ばない。
日本でつくられるビールの大半はアメリカやドイツ、チェコなど海外産のホップを使っている。国内でも栽培されているが、生産量はごくわずかだ。
日本におけるホップ栽培の歴史は明治時代に遡る。北海道や東北、長野、山梨などに生産拠点が広がり、最盛期は昭和40年代。しかしその後、買い手だった大手ビールメーカーが主に輸入ホップを使うようになり減反が進んだ。生産者の高齢化も重なり、ホップ生産量は年々減少。昭和50年(1975年)に2,184トンだった生産量は、平成23年(2011年)に335トンまで落ち込んでいる。(農林水産省の生産量統計は平成23年を最後に途絶えている。)
そんな農産品レッドリストに載りそうなホップで起業したのが山梨県北杜市の北杜ホップスだ。その名はすでにクラフトビール好きには知られている。
農家のせがれというわけではない。小林さんが小学生の頃、親が北杜市に別荘を買って以来、この土地を行き来してきた。目の前に八ヶ岳がそびえ、富士山も見える。冬の寒さは厳しいが、都心から車で3時間圏内だ。
「当時は棚田が連なる風景が広がって、いい所だなーと子どもの頃から思っていました」と小林さん。両親はリタイア後、ここで家庭菜園することを楽しみにしていた。
小林さんは大学の農学部に進んだものの、農業とは直接関係のない細胞研究を専攻していた。たまたま受講した農業経営学で、従事者の減少、割に合わない低所得など、日本の農業の実態を知る。しかしそこで「農業も面白そうだと思った」ところが、ちょっと変わっている。
日本品種「かいこがね」の発祥の地で農家始めました
大学卒業後は会社員になった小林さん。週末は北杜市に通いながら農業の起業を考え始めた。その頃すでにリタイアしていた父親は庭先で柑橘類など植えていたが、うまく育っていなかった。
父に農業を始めたいと相談すると、いくつか条件を出された。ちゃんと収益が上がる作物にしなさい。できれば地元の特産物がいい。他の人があまりやっていない作物がいいんじゃないか。毎年種まきするのはたいへんだから、1回植えれば長年もつ果樹みたいなものがいいんじゃないか—-。
この時点で、小林さんは農業についてまったくの素人。上の条件に当てはまる作物をインターネットで調べることから始まった。そして、すべてクリアする作物に出会った。
ホップだ。
北杜ホップスの畑が広がるあたりは平成の大合併前、長坂町という。日本原産のホップ品種「かいこがね」の発祥の地だ。麒麟麦酒により日本で最初に品種登録されている(1980年)。まさに土地の特産物であり、単価は農産物の中では指折りの水準である。そして、栽培している農家は、近所にただ一軒だった。
小林さんはその農家を訪ねた。浅川さんという。80歳だった。浅川さんは何十年もホップ栽培農家を続けてきた。しかし20年ほど前にビール会社との契約が切れた。それでも「かいこがね」の品種を残す、そのためだけに畑を維持し、栽培を続けてきたという。収穫してもまとまった売り先がないので廃棄していた。
「収量まで計算してから燃やしていたそうです。あと数年で農家も辞めるとおっしゃっていました。もったいないなと思って。かいこがねを栽培させてくれませんかと相談したんです。賛成はされなかったですね。売り先がビール会社に限定されているので。当時はフリーでホップを栽培して売るというスタンスがなかったんですよ」
日本のホップ生産は、ビール会社の契約栽培で成立していた。契約なしの、いわばインディペンデントなホップ農家はなかったのだ。それを知った上で、小林さんはホップ農家になると決めた。
「当時クラフトビールの人気が高まっていて、ブルワリーが280軒くらいありました。1軒に10kg買ってもらえれば、年3トンくらい売れる計算が立ちます。農産品でありながらペレットに加工すると3〜5年くらい保存できますし」
国内のホップ農家の多くが高齢者で、あと10年もすると、さらに生産者は減少するだろうことも考えた。
「国産ホップをつくる農家がなくなってしまう。10年、15年後までに、農園を大規模化していけば必ず買い手はつく」
特に経営ノウハウをもっていたわけではない。ホップについては何も知らなかった。はじめにホップの苗をプランターに植えて様子を見たというほどだ。そもそもホップをつくる前の小林さんはクラフトビールを飲んだことがなかった。それでもホップを選んだのは、ホップの香りが好きになってしまったから。香料や香水にも使われる、そのすばらしい香りにやみつきになる人は決して少なくない。
いつか生まれる新種のための品種改良も
2016年、北杜市内に4000㎡の農地を買って、小林さんは農家になった。ホップ農家の浅川さんから手ほどきを受けるだけでなく、北海道や東北のホップ生産地を訪ねて栽培方法を学んだ。
ホップはツル性の植物で、ツルは紐に巻き付きながら6メートル近く伸びる。4月〜6月半ばにかけツルは1日10センチ伸びる。専用の農耕機具がないため手作業が多く、決して楽な栽培ではない。
小林さんは地場産のかいこがねだけでなく、クラフトビール醸造家の間で人気の海外生まれホップも栽培している。IPA全盛の昨今、人気が高いホップは香りが強く個性のはっきりした品種だ。一方、日本品種のかいこがねや信州早生(しんしゅうわせ)などのホップの香りは、あまり個性が強くない。香りより苦み重視で改良されて生まれた品種だからだ。
ホップは植えてから収穫まで3〜4年かかる。気候も地質も肥料も異なる海外生まれの品種が、日本で、また甲斐の地でどのように育つのか。日本品種の栽培ノウハウについては長年の蓄積がある。しかし、海外品種のデータはない。
小林さんは農園開始当初から、輸入可能なホップ苗を仕入れて試験栽培を行っている。今年で7年になる。北杜の土地で順調に育ち、量産可能(商品化可能)な海外品種が10種類ほどに上る。このほかに試験栽培中の品種が20種類ほど。これだけの品種の栽培データが着々と北杜ホップスに蓄積されているわけだ。
ここから新種が生まれる可能性もありますか? とたずねると、「はじめからそれをめざしています」と答える小林さん。こんなに多くの品種を扱っているのもそのためだ。
「まずこの土地に合った栽培しやすく病害に強い品種を開発していきたいです。気候変動の影響もありますし、ここで収穫できるホップづくりが第一です。もちろん、強い個性のある品種ができればうれしいです」と語る。
「かいこがね」発祥の地で、次に生まれる新種は何と名づけられるだろうか。
日本産ホップの夢の宝庫だ!
北杜ホップスのホップはクラフトビールの醸造家の間で高く評価され、すでに人気商品になっている。需要に追いつかないので、これからも畑を増やしていく予定だ。
ブルワリーからはホップ栽培の相談をよく受ける。最近は小規模なホップ畑を栽培するブルワリーが増えている。秋に収穫したてのホップを投入するいわゆるフレッシュホップ仕込みのビールが大人気なのだ。
ただ、本格的にホップ畑を作ろうとすると、かなり高額な初期投資が必要だ。小林さんが「その資金でビール工場を造ってビールをたくさんつくって売ったほうがいいですよ」とアドバイスすると、たいがいは大いに納得して帰って行くと言う。
ホップ農園には加工場も必要だ。どんな農産物もそうだが、ホップの命ともいうべき香りは、収穫後1時間で劣化が始まる。だからホップの産地にはすぐ近くに加工場がある。北杜ホップスの加工場も畑から車で数分の所にある。
国産、海外産、いろんな品種の試験栽培を継続することでホップ栽培の貴重なデータが蓄積されていく。ここから新しい栽培ノウハウ、さらには新しい品種が生まれる可能性がある。
ほとんど絶滅の淵まで追いやられたといっても過言でない日本のホップ栽培。それが長く続けられる、かつ売れる農産物として再起する可能性が芽生えている。北杜ホップスにつづくインディペンデントの登場にも期待したい。
北杜ホップス 山梨県北杜市長坂町小荒間字小泉301-3
http://hokutohops.com