動物写真の既成概念にとらわれず、独自のテーマを50年間追い続けてきた宮崎学さんが語る「冒険的動物写真論」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL1月号掲載の連載第18回目は、動物の死と自然の循環などをテーマに写真を撮り続けている“自然界の報道写真家“宮崎学さんです。
極点や未踏の大岩壁に挑むことだけが冒険ではありません。常識の枠を超える――人のやらないことをやるということも現代の冒険だと考える関野さんが、動物写真は「かわいい」「美しい」ものという常識からはずれてチャレンジしてきた宮崎さんの写真家人生に迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
宮崎学/みやざき・まなぶ
1949年長野県生まれ。1972年にプロ写真家として独立し、以来自然と人間をテーマに社会性のある動物写真を撮り続ける。土門拳賞受賞作の『フクロウ』(平凡社)、日本写真協会賞年度賞受賞作の『死』(平凡社)、近著『森の探偵』(亜紀書房)をはじめ著書多数。
「そんな写真を撮っていても売れないよ」と大先輩からいわれた
関野 宮崎さんは、生まれ育った長野県の伊那谷を拠点に、「自然界の報道写真家」を自任して50年にわたって活動を続けてきました。撮ってきたのは一般的な動物写真ではなく、人間の生活空間近くに出没する野生動物の生態、外来動物の影響、動物の死と自然の循環などをテーマにした社会性のある写真です。また、動物たちの通り道に自作の赤外線センサー付きロボットカメラを設置して撮影困難な野生の姿を撮影するなど、独自の分野を開拓してきました。
このように、常識からはずれ、実験的なチャレンジをする姿はまさに冒険者だと思います。極点や未踏の大岩壁に挑むような到達主義的冒険だけでなく、常識とか体制といったシステムの外側に飛び出す行為、要は人のやらないことをやるということも現代の冒険だと考えるからです。
宮崎 たしかに僕は非常識が大好きです(笑)。他人と同じことはできないし嫌いなんです。動物写真というと、自然の美しさやかわいさを切り取るものだと思われてきました。でも、そうではないのではないか? エコロジーの発想でもっと大事なことを見なければいけないのではないか? 僕は動物や自然を通して人間社会を見つめ直したいと思って写真を撮ってきました。駆け出しのころ、大先輩に、「そんな写真を撮っていても売れないよ」といわれたことがあります。
「売れないのか」とショックを受けましたが、同時に、「しめた」とも思いました。きれいな動物写真、かわいい動物写真ばかりの業界なら、逆にチャンスはいっぱいあると思ったからです。それで、自分の目だけを信じてさまざまなテーマに取り組み、やりたいことをガンガンやってきました。とはいえ、やはり出版社は、きれいでかわいい写真以外はなかなか受け入れてくれませんでした。ギリギリのところでなんとか食いつないできたというのが本当のところです。それでも最近は市民権を得てきたのか、ようやくいろいろなところからお呼びがかかるようになってきました。
関野 宮崎さんが取り組んできたテーマのひとつに、「死」があります。
宮崎 動物のかわいさだけに目がいって、死については目が向いていません。生の数だけ死があるにもかかわらずです。それはバランスがおかしいのではないかと思ったのがきっかけです。
関野 さまざまな動物の死体が朽ちていくさまを時間をかけて追っていますが、あのアイデアは?
宮崎 最大のヒントはお寺にある九相図でした。九相図とは仏教絵画のひとつで、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく過程を紙芝居のように描いたものです。実際に撮影を始めると、自然の中で死は次なる生命を支えるということを学びました。
この続きは、発売中のBE-PAL1月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。