1998年7月、僕は耕うん機の旅に出た。近所の家から小型特殊自動車のナンバーがついた耕うん機をもらったことがきっかけだった。このマシンならスローな旅が楽しめる。そう思って、北海道の知床岬から沖縄の波照間島をめざす日本縦断の旅にチャレンジした。
“究極のオープンカー”耕うん機で楽しんだ日本縦断の旅
屋根もなければドアもなく、ドライバーを覆うものが何もない耕うん機は、究極のオープンカーである。開放感抜群のドライブが楽しめるが、このオープンカー最大の利点はゆっくり走れることにある。小型特殊自動車の法定最高速度は時速15km以下だ。その速度でサスペンションがない耕うん機を走らせると振動が激しくてつらいので、僕は時速8km程度で走っていた(といっても、耕うん機にはスピードメーターがないので時速8kmは推定速度。ジョギング程度の速度だった)。
普通のクルマはわき見運転厳禁だが、時速8kmだと景色を眺めながら運転しても支障がないし、好奇心のアンテナを刺激する何かに出会ったらすぐに停止できる。道草や寄り道を楽しむには最高のマシンである。旅先でしょっちゅう声をかけられるものだから、積極的に道草を楽しむスロートラベルに徹した。
一気に日本縦断をするのではなく、毎月1週間ほど旅をしたら現地に耕うん機を預け、翌月にそこから旅を再開する尺取り虫方式の旅である。
他のドライバーに迷惑がかからないように交通量の多い道路を避け、遠回りになる田舎道を選んで進んでいたものだから、耕うん機の旅は想定以上に時間がかかった。
北海道、本州、四国、九州と南下を続け、フェリーで奄美大島、沖縄本島を渡り歩き、2002年の11月に有人島としては日本最南端である波照間島にゴールした。知床岬をスタートしてからゴールするまで4年4ヶ月に及ぶ日本縦断の旅だった。
節目の年に日本最南端の島を再訪
あれからちょうど20年。節目の年に思い出深い最南端の島を再訪しようと、サッカーのW杯期間中に波照間島へ向かった。
波照間島は石垣港から貨客船のフェリーと高速船が就航しているが、フェリーはドック入りで高速船のみの運航になっていた。高速船は1時間から1時間半ほどで移動できるが、小型船のため波の影響を受けやすい。訪れた日は波が高く、1日3便ある高速船は8時発の便が欠航。乗船予定だった11時45分発の便は運航未定と表示されていて、11時過ぎに運航が決まった。
波照間島には渡れたものの、高速船が欠航して石垣島から帰る飛行機に乗れなくなるケースもある。日程に余裕がない旅人は、波に強い貨客船のフェリーが運航している時期を確認して旅の計画を立てることをおすすめする。
一周道路が約9kmの波照間島はほぼ平坦で、信号機がなく、クルマもほとんど通らない。どの宿にもママチャリのレンタサイクルが用意されていて、島を巡る有効交通手段となっている。
波照間島を訪れる旅人が必ず足を運ぶスポットが日本最南端の碑だ。竹富町が建てた立派な平和祈願の碑もあるが、沖縄本土復帰の1972年に日本列島を縦断して波照間島にたどり着いた学生が自費で建立した日本最南端の碑のほうが味があって、魅力を感じる。
最南端の碑がある高那崎は太平洋の波が打ち寄せる断崖絶壁になっていて、ここから海を眺めると世界に向かって羽ばたきたくなるし(個人の感想です)、振り向いて陸地を見ると日本列島を歩いて旅したくなる(これも個人の感想です)。
旅のゴールで泊まった民宿の思い出
レンタサイクルを使えば、島の見どころは半日ほどで巡ることができるが、波照間島は日帰りで去ったらもったいない島だ。波照間島には個性的な宿がいくつもあり、旅人同士や地元の人々と交流できる「ゆんたく」がほとんどの宿で楽しめる。
20年前に耕うん機で訪れたとき、僕は民宿「たましろ」に泊まった。当時は予約がとりにくい人気の宿で、食べきれない量の食事が出て、「ゆんたく」では幻の泡盛と呼ばれている波照間島産の泡波が飲み放題になっていた。老若男女を問わず誰とでも仲良くなれる雰囲気があって、ビーチに出かけて地元の住民が奏でる三線の音色に耳を傾けたり、満天の星を眺めて寝転んだりした。
4年4ヶ月かけた耕うん機の旅のゴールだった感動もあり、僕は波照間島にすっかり魅せられ、翌年も、そのまた翌年も波照間島を訪れて民宿「たましろ」に泊まった。
「たましろ」を愛した旅人として思うこと
かれこれ18年ぶりの再訪となった今回の旅でも僕は民宿「たましろ」に泊まった。
「たましろ」はすごいことになっていた。
ここでは詳しく書きたくはない。民宿「たましろ」で検索すれば、どんな宿なのかわかってしまうが、かつてこの宿を愛した旅人としては興味本位のネタとして扱われることに嫌悪感を抱いてしまう。
民宿「たましろ」の現状と、僕の思いはBE-PAL2月号の『シェルパ斉藤の旅の自由型』に記したのでそちらを読んでもらいたい。
耕うん機の日本縦断から20年の節目に波照間島を訪れたことで、時代の流れを感じつつも、自分が進むべき道を再確認できたように思う。