日本人女性として初めてK2に登頂し、現在はフォトグラファーとして活躍する小松由佳さんが語る「登山と取材の共通点」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL4月号掲載の連載第21回目は、登山から水平の旅に転進し、フォトグラファーとしてシリア内戦・難民を撮り続けている小松由佳さんです。
「山に命を懸けていた」という小松さんが、なぜ水平の旅に転じフォトグラファーになったのか。シリアのどこに惹かれたのか。そして、危険を冒してシリアに入った小松さんの覚悟に関野さんが迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
小松由佳/こまつ・ゆか
1982年秋田県生まれ。2006年、世界第2の高峰K2(8611m)に日本人女性として初めて登頂し、同年植村直己冒険賞受賞。フォトグラファーとなり、2012年からシリア内戦・難民をテーマに撮影を続ける。著書に、『人間の土地へ』(集英社インターナショナル)など。
命のリスクがあるところに向かうときの覚悟は山で鍛えられた
小松 私は秋田の田舎に生まれて、高校で登山部に入りました。その活動で、山登りというのは未知の世界に自分が立てる場なんだと実感し、高い山、大きな山に憧れるようになりました。東海大学の山岳部で本格的な登山を学び、卒業後は就職せずにひたすらヒマラヤに行き、戻ってきてはお金を貯め、またヒマラヤに行くという生活を20代半ばまで繰り返していました。その中で2006年にK2に登りました。
関野 小松さんは東海大学山岳部で主将を務め、K2でもアタック時に後輩男性をリードして登頂し、しかも下山中8200mの超高所でビバークして生還しました。山に命を懸けていた小松さんが、水平の世界に転進したのはどうしてなのですか?
小松 K2の後、ヒマラヤに登ることよりも、その山麓や草原・砂漠といった厳しい自然の中で生きている人間に惹かれるようになり、少しずつ登山から離れていきました。そして、水平の旅をする中で、さまざまな風土に根差した人間の営みを写真で表現するフォトグラファーを志すようになりました。ただ、水平の世界において垂直の世界の経験がとても役立っています。シリアやトルコの取材では状況が変化することが多いのですが、それに柔軟に対応する感覚は山で身に付けたものです。そして何より覚悟。命のリスクがあるところに入っていくときの独特の覚悟は、山で鍛えられました。
関野 シリアと出会ったのは?
小松 2008年です。ユーラシア大陸を西へ旅する途中で、シリアの砂漠で暮らす遊牧民と出会いました。厳しい自然の中、大家族でイスラムという信仰を軸にゆったりと生きる彼らの姿が新鮮で、何度も通うようになりました。ところが2011年、民主化運動が起こり、それを政府が弾圧したことから内戦状態になっていきました。その後、多くのシリア人が国外に逃れて難民となっています。私は、2012年からシリア難民をテーマに撮影をするようになりました。
関野 昨夏、シリアに入って取材をするという計画を聞いたとき、本当に心配しました。内戦がやや落ち着いているとはいえ、戦闘に巻き込まれたり誘拐される危険があります。
小松 シリアに入るのは11年ぶりでした。もちろん、非常に大きなリスクがあることは覚悟していました。
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画でもお話を紹介しています。