2021年12月、瀬戸内海を望む広島県江田島市にオープンしたキャンプ場「Hawk Nest Family Village」。オーナーのコージさんは、個人で、会社勤務を続けながら、数々の難題を乗り越えてキャンプ場の開設にこぎ着けました。どんなプロセスを経てキャンプ場の個人オーナーとなったのか、コージさんの奮闘記をお届けします。第1回は、キャンプ場作りの「構想」編です。
原風景をセカンドライフのステージに
私の生家があったのは、広島県の江田島。瀬戸内海気候の穏やかな地で、自然に恵まれ、しかも広島市などからのアクセスも良い場所です。実家の畑は高台にあり、周囲の海や対岸の広島湾の眺望が素晴らしく、コージにとっての原風景になりました。
小学校低学年のときに父の転勤で東京圏に引っ越し、以来、故郷から離れた生活が続きます。高校・大学では山岳部に属し、社会人になってからもアウトドアが好きでした。結婚して子供ができてからは、ファミリーキャンプとハイキング、子供が自立したあとは夫婦で涸沢までテントとワインなどを担いで登り、最高のキャンプ地で過ごすのが至高の楽しみでした。勤め先は電子部品企業で、東京の本社勤務時は満員電車に揺られる日々。休日に山やスキー、キャンプに行くことが励みになっていました。
そうした中、たまに帰郷して故郷である江田島の風景や空気に触れることもありました。当初はおぼろげながら、しかし年々高まってきた想いがあります。それが「この地にキャンプ場を作れないかなぁ」というもの。40歳前には、将来の構想として思い描くようになりました。
そのキャンプ場のイメージを、実際に具体的な計画として練り始めたのは59歳。いわば、定年を前にしたセカンドライフの構想という側面もありました。40年近い会社での職務と、キャンプ場経営とは、全くジャンルが異なります。ただ、詳しくは後述しますが、畑違いのキャンプ事業立上げに、職務の経験が役立った面もありました。
さて、そんな夢を一歩一歩、具体的な形にしていく過程、ぶち当たった壁、得ることのできたサポートなどなど、これから振り返ってお伝えできればと思います。
2018年2月、キャンプ場構想がスタート
2018年2月、2枚を絵を描きました。1枚は、キャンプ場を開業するにあたってのキャラクターであるタカの絵です。キャンプ場の名前をどうするか考え、この地のあった場所の名前“タカノス”をそのまま英語にし、「Hawk Nest Village」にしようと決めました。キャラクターもそのままタカノスをイメージし、スマホの無料アプリで指で描きました。我ながら、なんとも愛らしいキャラクターなったと自負しています。
もう一枚の絵は、実地の完成後をイメージして描いたもの。実は、キャンプ場予定地は何十年も放置された耕作放棄地になっていました。雑木林というより、ジャングルといっても過言ではないほどの状態です。そのため、完成イメージ図は、コージの幼少期のころの眺望を思い起こして描きました。ここに、“coming in 2021”と記載していました。実際のキャンプ場オープンが2021年12月28日でしたので、なんとギリギリ間に合ったことになります(正直にいうと、たまたまですが…)。
このようなイメージ図を持ちながら、次の段階である事前調査に入ります。実際に広島まで足を運び、実地を改めて確認したり、江田島市の観光課に相談に上がったりして、構想を具体化する材料をいろいろ仕入れ始めました。
そんな中、紹介されたのが、江田島市で毎年開催されている“創業塾”。起業を検討している人を対象に、毎年3ケ月にわたり週末に計6回(講義5回、個別相談1回)開催されます。実は、市の起業家への補助制度は、この創業塾の受講が条件のひとつでした。
まだこの時点では、会社に籍を置いていました。当時の職場は東京だったので、創業塾の受講のためには6回も広島を往復することになります。普通に考えたらそんなことはできなかったのですが、たまたま仕事やプライベートでフライト渡航歴を積み重ねてきたので、マイレージをたっぷり持っていました。これで6往復のフライト代が賄えました。
毎週金曜日、定時になったら大田区にある会社を出て羽田まで急ぎ、最終フライトに搭乗。広島空港から予約していた格安レンタカーで江田島の実家まで走らせ、到着はなんだかんだ、いつも夜中でした。なお、何回かは計画的に前後で有休を取り、市の関係部門や業者さんへのあいさつ回りなどに時間を使うこともできたので、まさに着手にあたっての良い機会になりました。こんな動き方を容認していただいた当時の会社にも、心から感謝です。
ちなみに、偶然ですが創業塾の講師の藤田先生とは大学の先輩であったこともあり、いろいろなやりとりをさせていただきました。広島市内でサシで飲みながら話をお伺いすることもでき、非常に有意義でした。