宿はただ泊まるだけじゃない!普段はなかなかできないフィールド体験を積ませてくれる宿が増えています。宿泊そのものを、旅するように楽しんでみませんか。
心底気持ちいい場所で田舎暮らし体験ができる「Norbulingka」(ノルブリンカ・大分県)
旅した人・旅行作家 石田ゆうすけ
「田舎暮らし体験」を謳い文句にした宿には、正直、これまでちっとも惹かれなかった。だって僕がもともと、田舎生まれの田舎育ちだから。
それだけに、今回初めて体験してみたら、予想だにしなかったことを心に感じ、かなり意外な気持ちになっているのだ。
向かったのは国東半島の先端、岐部という集落。谷が開け、田んぼが広がり、一本道に鳥居がふたつ、前後に並んで立っている。参道かな?──と、最初の鳥居をくぐると、ふいに光が辺りに降り注いでいるように見え、「うわあ、なんかいいなあ」とジーンとしていたら、目当ての宿、「ノルブリンカ」は奥の鳥居のすぐそばにあった。
「最初は違う地域で家を探していたんですが、結局ここが気に入ったんです」と主の武井啓江さんは話す。東京の生まれで、一流大卒業後はバリバリ仕事をこなしていたが、そんな人生に疑問を持ち続け、30代半ばでドロップアウト。流れ流れて沖縄の廃屋へ、友人と狩猟採集生活をし、自然の中で生かされていることをしみじみ感じながら、大地や海の恵みを食べているとき、“絶対的な幸福感”を覚えたんだそう。その後、職人の下で大工修業に励んで実力をつけ、築100年弱のこの家を改築して宿を始めたらしい。
まずは宿の前の畑で農作業をやった。鍬を振り、畑に刺すと、土の香りがふわり。──あれ?
鍬を振るたびに土が黒くなり、香りがだんだん濃くなっていく。なんだかやけに懐かしい感じがした。考えてみると、小学生のころに畑を耕して以来かもしれない。いや、それよりもっと根っこの、人としての記憶の部分に、土の香りが触れるような……。余計な思考が消え、自分の中で何か火が付いたように一心に鍬を振った。腰を伸ばすと、風の通り道のような谷が宿の前に広がっていて、やはりキラキラ光って見えるのだった。
柔らかくなった土にジャガイモを植えたあと、夕食の食材を摘んでいく。頭だけかわいく出ているニンジンを土の中から掘り出すと、変に曲がっていたり、いやに小さかったり、ついつい笑ってしまう。ああ、娘を連れてくればよかったなあ。
薬膳アドバイザーでもある武井さんは食べられる野草や薬草も教えてくれた。おひたしにいいというカラスノエンドウも、薬効がすごいというスギナやヨモギも、そこら中にわんさと生えているのだ。次々にちぎってサラダのように食べていたら、一瞬、大地全体が畑になったように見え、浮き上がるような気持ちになった。
夕方はウナギを釣りに近くの川へ。竿先を見つめていると、我を忘れ、ピンク色に染まる世界に溶けていくようだった。
次の日はバターナイフ作りをやった。図工教室もやっている武井さんの指導の下、無心に木を削っていると、やはり子供時代の甘い感覚に返っていくのだ。
ビーチコーミングも勧められたが、僕は海育ちなのでこれだけはまったく意味がわからなかった。すべてゴミに見えてしまう。ところが彼女の作る漂着物アート(ジブリっぽい!)を見た瞬間、またしても景色が変わり、近くの海に行くと、そこは実際、宝の山だったのだ。
ジオラマに使えそうなシーグラスを夢中で拾っていると、ふいに目の前が広がっていくような心持ちがして、あ、と思った。そういえば物心がつく前の自分の目にはこんな風に、海や、草花や、世界は、キラキラ輝いていたんじゃなかったっけ……。
もしかしたらそれが、“人の原風景”なのかもしれない。無条件に幸福だったころの光景なのだ。懐かしく感じるはずだな、と頬が緩んだ。
もうすぐ4歳になる娘に、僕は何を見せてあげられるだろう。そんなことをぼんやり考えながら、東京に戻った。それ以来、自分でも不思議なくらい、鳥居がふたつ並んだ、光あふれるあの谷を思い返している。
宿の名前「ノルブリンカ」はチベット語で、「宝の庭」という意味らしい。
野菜や野草を採って調理を手伝い、家主一家と一緒に食べるシステム。大工仕事、味噌作り、鹿の解体等々、田舎体験はなんでもできる。
住所:大分県国東市国見町岐部1918
電話:0978(83)0162
料金:8000円(2食付き)
田舎生活のノスタルジー
土と共に生きる暮らしを思い出させる体験の数々
1日目
9:00
宿に着いたらまず夕食の食材確保
宿主と共に収穫した野菜や野草。自然栽培だと菜っ葉類はたいして虫に食われないんだとか。その自然栽培のやり方も教えてくれる。
畑仕事
地中から野菜を掘り出す作業は無邪気に楽しい。自然栽培なので畑は雑草だらけ、ニンジンも小さく形がいびつだけど、味が濃い!
土を耕し、ジャガイモを植える。土の香りに子供時代がよみがえった。ちなみにへっぴり腰なのは取材前に腰を痛めたからです!
11:00
野草や薬草の知識を得ながら宿の周りで採集
野草&薬草摘み
食べられる野草を見つけては味見をしていく。意外といけるんだなという感想。僕は田舎者だけど、野草は食べなかったもんなあ。
スギナ
カルシウム含有率がほうれん草の155倍といわれるスーパー野草。干したお茶は万病に効くそう。
ビワ
「大薬王樹」の別称もあり、お茶や焼酎漬けのほか、生葉を当てて温めると炎症にも効くとか。
カラスノエンドウ
春が旬の野草。生で食べてもクセがない。夕食におひたしで食べたが、豆苗に似ておいしかった。
咳止め、血液浄化、メタボ抑止など、万病にきくとされるビワの葉茶。薬効ばかりではなく、甘みがあって味もいい。
自然の草で健康増進!
薬効たっぷりな野草茶たち。右上から時計回りに、桑の葉茶、マコモ茶、ビワの葉茶、スギナ茶、ハブ茶。
15:00
薪ストーブのためにパカパカと薪を割る
薪割り
腰痛持ちはやはりへっぴり腰。取材後、ビワの生葉を腰に当てて温めたらむしろ悪化したのだが、その後急に改善。ビワ効果?
16:00
暗くなるまでのひと時、無心に釣り糸を垂れる
ウナギ釣り
近くの川ではウナギが釣れる。宿で釣竿と道糸とリールは借りられるが、針や重りなどの仕掛けは各自で用意。餌のミミズは畑にたくさんいる。ちなみに僕は坊主でした。
19:00
薪ストーブの暖気の中、収穫した食物で晩さん
薪ストーブ&夕食
裏の神社で拾った杉の枯葉と小枝を薪の上にのせ、着火剤代わりの牛乳パックに火をつければ、あとは勝手に燃える。
自分でとった食物はうまい! 出された地元産鹿肉ローストはこれまでさんざん食べてきた鹿肉の中でも群を抜いていた。
2日目
9:00
宿内の図工教室で木を削ってカトラリーを作る
バターナイフ作り
朝食時、宿主手製のバターナイフに感動。バターがすぐ剥がれるのでパンに塗りやすい! 草木染めの予定だったけど、ナイフ作りに急きょ変更(笑)。
角材を小刀で削る。刃を平らにするのがやや難儀。サンドペーパーは染みの原因になるのでかけない。最後に食用油を塗って完成。
一番右が筆者作のバターナイフ。その横が武井さん作。やはり違う(でも塗りやすさは一緒!)。彫刻刀を使ってスプーンも作れる。
ビーチコーミング
宿の近くの海で"宝"を拾い集め漂着物アート作り
工作の先生もやる武井さんは作った作品を近くの店などでも販売している。時間がなくて筆者は作品作りを断念したけど、楽しそう。シーグラスはジオラマの海の表現に。
武井さんが作った漂着物の作品たち。ビーチコーミングの見方が完全に変わりました。
※構成/石田ゆうすけ 撮影/平川雄一朗
(BE-PAL 2023年5月号より)