北海道の宗谷岬から襟裳岬まで、積雪期の分水嶺670㎞を63日かけて単独で縦断した野村良太さんが語る「単独行のおもしろさ」
探検家・関野吉晴さんが、時代に風穴を開けるような「現代の冒険者たち」に会いに行き、徹底的に話を訊き、現代における冒険の存在意義を問い直す──BE-PAL6月号掲載の連載第23回目は、極地の単独徒歩縦断に匹敵する積雪期単独北海道分水嶺縦断を成し遂げた野村良太さんです。
「誰かと行く山のほうが楽しいけれど、単独で行く山のほうがおもしろい」という野村さんが挑んだ積雪期単独北海道分水嶺縦断の冒険の詳細に関野さんが迫ります。その対談の一部をご紹介します。
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
野村良太/のむら・りょうた
1994年大阪府生まれ。札幌在住の山岳ガイド(日本山岳ガイド協会認定登山ガイドステージⅡ)。北海道大学ワンダーフォーゲル部で登山を始める。同部62代主将。2022年、積雪期単独北海道分水嶺縦断を史上初めて一度も町に下りずに達成。同年の植村直己冒険賞を受賞。
リスクも含めて単独行のシンプルさ、奥深さを感じたかった
関野 単独行に惹かれるようになったのはいつごろからですか?
野村 ワンゲル部では単独行は禁止でした。部活動で登山を始めた僕は、単独で山に登るという発想自体なかったのですが、2年生のときに部室に置いてあったOBの単独行の記録を読んで、「ひとりで登るってどういう感じなんだろう?」、「OBになったら1回やってみたいな」と漠然と思うようになりました。それで、卒部後の2019年2月に知床、3月に日高山脈をそれぞれ単独で全山縦走し、単独行の魅力にはまりました。
関野 卒部して、冒険的登山に徐々に目覚めていったわけですね。
野村 自分のやりたいことを追求していくと、おのずとだんだんレベルが上がっていきました。そして、階段を一段ずつ登っていった先に北海道分水嶺縦断――北海道を縦断する分水嶺をつなげて歩こうというものがありました。分水嶺とは異なる水系の境界線のことです。たとえば尾根の右側の水は日本海、左側の水は太平洋へと流れるような境界線で、宗谷岬から襟裳岬まで延びている稜線を「北海道分水嶺」と僕は呼んでいます。
北海道分水嶺は、南北に連なる総距離670㎞にも及ぶ稜線で、その間に町がひとつもなく山がひたすら続く魅力的なラインです。計画のきっかけは、工藤英一さんの『北の分水嶺を歩く』と志水哲也さんの『果てしなき山稜』という2冊の本との出会いでした。工藤さんは、分割すること15回、足かけ17年かけて北海道分水嶺を初踏破しました。志水さんは工藤さんの報告書から着想して、12月から5月の半年間で12分割して踏破。ワンシーズンでは初めての達成でした。
ほかにも5名が達成しているのですが、いずれも何回かに分けての記録です。本の中で志水さんは、「これは比類のない美しいルートだ。」と表現し、工藤さんは、「完全単独ワンシーズンであれば、極地の単独歩行横断に匹敵する、最も困難で素晴らしい記録になることは間違いない。」、「これからの若き岳人に期待している。」と書いています。この「若き岳人」が自分のことにならないかなと思ったのが始まりです。僕は、単独・ノンサポートで一気に歩こうと考えました。
関野 なぜ、単独・ノンサポートにしたのですか?
野村 ノンサポートに関しては、「サポートしてもらうのはカッコ悪い」という考えが根底にありました。誰かの力を借り始めたらきりがなく、何でもありになってしまいます。そうならないためには、突き詰めると「すべて自力で」となります。単独については、自分ひとりの挑戦という意識が強かったからです。
僕は仲間と登るのが好きですが、こと挑戦となると、リスクも含めて単独行のシンプルさ、奥深さを感じたい。誰かと行く山のほうが楽しいけれど、単独で行く山のほうがおもしろいんです。こういった考えから、「単独・ノンサポート=可能な限り自分の力で」が計画の核となりました。
この続きは、発売中のBE-PAL6月号に掲載!
公式YouTubeで対談の一部を配信中!
以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。