昨年に引き続き、野田知佑さんのお墓がある福岡県久留米市の専称寺へ出かけた。
昨年は大阪からフェリーで北九州の新門司港に上陸し、そこから専称寺まで80kmの道を歩いて(一部はヒッチハイク)野田さんのお墓を参拝した。今年は墓参りをしてから、専称寺のすぐそばを流れる筑後川を下って有明海をめざすカヌーツーリングだ。1か月前にサラリーマン転覆隊が筑後川をカヌーで下って野田さんの墓参りをしたから、打ち合わせたわけでもないのに転覆隊からのバトンを野田さんの前で受け継ぐ旅となった。
理にかなったカヌーの運搬方法を発見!
専称寺から下流の筑後川は穏やかな流れが続く。ビールを飲みながら下れる程度の流れだ。カヌー初心者でも問題なくツーリングできるが、ハードルがないわけではない。
ひとつは向かい風だ。野田さんを追悼する長良川のカヌーツーリングのときもそうだったが、午後になると海からの風が吹く。河口に近づくにつれて川の流れがなくなるから、パドルを漕ぎつけないと風に押されて後退してしまう。
もうひとつは堰だ。専称寺から河口まで筑後川には2つの堰がある。カヌーでは越えられないので、堰の手前で上陸してカヌーやツーリングの荷物をすべてかついで堰の下流まで運ばねばならない。
わがカヌー、フェザークラフトの重量は約15kg。手で持って運ぶにはつらい重さだ。ふと思い立って、カヌーをひっくり返して頭に載せてみた。
楽ちんだった。コックピットのシートが適度なクッションとなって頭頂部に重量が集中しても痛くはない。シートの位置はカヌーの前後左右、ほぼ真ん中だから重量バランスがよくてホールドしやすいし、頭に載せると手で持ったときのような重さを感じない。実際の重量よりも軽く感じられる。アフリカの女性たちが頭に水瓶などを載せて歩いているが、なぜそうしているのか理解できた。あれは理にかなった運搬方法なのだ。
巨大な帽子を被って歩く気分で、僕はカヌーを運んで堰を越えた。
カヌーを漕ぎ続けて有明海へ
2日目は流れがほとんどなくなり、ひたすらパドルを漕ぎ続けるカヌーツーリングとなった。カヌーに驚いたボラが水面を跳ね、浅瀬に漕ぎ入れると大きな鯉が泳いで逃げていく。そういえばこの筑後川にはかつて「鯉とりまあしゃん」と呼ばれる素潜り漁の達人がいた。開高健の『私の釣魚大全』に書かれているが、「鯉とりまあしゃん」は初春の筑後川に裸で潜り、両腕や胸、口などで1度に数匹の鯉を抱えて捕まえる名人だったという。
その鯉たちを追うようにカヌーを漕ぎ続けて有明海に出た。静かな内海ではあるけれど、うねりをカヌーで体感できて、筑後川を下って海まで出た達成感を得られた。
柳川のお堀での人々とのふれあい
有明海に出たあとは筑後川の東側を流れる沖端川を遡って、柳川をめざした。
水郷として知られる柳川には清らかな流れのお堀があって、川下りの観光船が航行している。そのお堀を愛艇で下ろうと考えたのだが、ちょっとしたトラブルが起きた。その内容に関しては、BE-PAL7月号の『シェルパ斉藤の旅の自由型』を読んでもらいたい。
柳川のお堀は自艇でのツーリングが可能で、大河の筑後川や有明海とは異なるカヌーの旅を満喫できた。また川で出会う人々がカヌーで旅する僕に対して好意的だったことも、印象に残った。
バックパッキングなど陸上の旅では三脚にカメラをセットしてセルフタイマーで自撮りをしているけど、カヌーの旅ではそれができない(できなくもないが、かなり面倒くさい)。そこで柳川の町を歩く観光客にカメラを渡してカヌーに乗った自分を撮影してもらったが、撮影を快く引き受けてくれた人々とのふれあいも楽しかった。
カヌーを背負って柳川の名店へ
柳川といえば、うなぎのせいろ蒸し。カヌーを撤収しているときに通りかかった地元の男性にオススメの店を訊いたら、上陸した場所のすぐ近くにある老舗を教えられた。
そこは高級旅館を思わせる名店だった。靴を脱いで玄関に上がり、中庭のある廊下を通って奥に案内される料亭のような店である。川下りで衣服が汚れ、おまけにカヌーやバックパックを背負った旅人が入店できるか疑問だったが、ご主人は「カヌーで来たんですか!」と温かく僕を迎えてくれた。
うなぎのせいろ蒸しも絶品で、おおいに満足して帰路についた。