日本の伝統的なものづくりを縁の下で支えてきたのは切れ味よい鍛造刃物。その大事な道具の未来に赤信号が灯っている。後継者不足だ。職人文化はどうすれば守れるのか? 賢人にお話をうかがった。
岐阜県立森林文化アカデミー教授 久津輪 雅さん
鍛冶職人がつくる道具は、すべての伝統文化の重要なインフラなのです
岐阜県立森林文化アカデミーは、森林や木材に関わる分野で活躍する人材を育成するために設立された2年制の専門学校だ。林業や建築、木工、森林環境教育など森と木に関係するさまざまな専門知識と技術を教える。
木工担当教授の久津輪雅さん(55歳)は、日本の古くからのものづくり文化、技術継承の現状などについても研究調査し、積極的な提言を続けている。
──建築や木工の現場で、今一番の問題はなんですか。
「最も大きな課題は技術継承です。建築や木工に限らず、手仕事と呼ばれる領域全般で後継者の育成が滞っています。象徴的な例が岐阜県の伝統文化として知られる鵜飼です。2009年、知り合いの研究者から連絡があったのです。長良川の鵜飼いに欠かせない鵜籠をつくれる職人がもうひとりしかおらず、高齢の域に入っている。今技術を受け継がないと深刻な問題になる。森林文化アカデミーでなんとかならないかというものでした。
鵜匠を継ぐ人がいても、必要な道具をつくれる職人がいなくなってしまえば文化の土台そのものが崩れてしまうわけです」
職人仕事は道具があってこそ。それをつくる職人にも光を
──どう動かれたのですか。
「私たちが技術を受け継ぐことにしました。当時75歳くらいだった鵜籠職人さんに週1回学校まで来てもらい習ったのです。里山整備と竹細工がしたいと企業を早期退職し入学してきた50代の学生。卒業生と、生涯学習講座の常連がふたり。そして私の計5人。講師料もそれほど払えないので出し合いました。
竹伐りに始まり、ひごづくり、農作業用の簡単な籠、箕、芋洗籠とだんだん難しくなりました。1年を迎え鵜籠に到達した直後、その職人さんが体調を崩し引退されたのです。その後は教えを受けたメンバーが中心になり、鵜籠をつくり続けています」
──危うかったのですね。
「文化というのはひとつの職種だけでは守れないのです。さまざまな職人がいてはじめて担える。岐阜は和傘の産地でもありますが、和傘に欠かせないロクロも危機的状況にありました。ロクロは和傘の中心にある部品で、材には緻密で粘り強いエゴノキを使います。私がその危機を知ったのは2012年でした。
当時、ロクロをつくっていた木工所は1軒だけ。岐阜県で1軒ではなく日本でたった1軒でした。和傘の産地は各地にありますが、欠かすことのできないパーツのロクロはすべて岐阜から供給されていたわけです。
その木工所の方がたまたま知り合いで、ある日相談があったのです。エゴノキを収めてくれていた方が亡くなってしまい困っている。伐り出してくれそうな人を知りませんかと。ロクロのつくり手も1軒なら、材料のエゴノキを集めてくれる業者も1軒になっていたのです」
──提供先は見つかりましたか。
「大きな壁にぶつかりました。和傘の最盛期は昭和23年から25年で、岐阜市だけで月に100万本生産されていたそうです。県内の山からエゴノキを送り出す太いネットワークがあったはずですが、洋傘に置き換わったことでほぼ途切れたのです。
消失のもうひとつの原因はエネルギー革命です。たまたま別件で美濃市と郡上市の境にある限界集落を訪ねたとき、そこの自治会長さんが炭焼きを復活させるんだといって窯へ案内してくれました。ふと見ると、まっすぐな細い広葉樹が山積みになっている。これ、エゴノキじゃないですか? と聞くと、そうだとおっしゃるのです。
父親が炭焼きをしていて、自分も子供のときによく手伝いをした。炭にする木を伐るとき、エゴノキだけ炭にしないでまとめておくと、町内で仕入れをしている傘屋さんが毎月買ってくれ、値段もよかったそうです。ロクロに適したエゴノキは子供でも伐って運べるような細い径だったので、いい小遣い稼ぎになったのだけど、炭の需要がなくなってからは山へ入らなくなったというのです」
──かろうじて供給をつなぎ直すことができたのですね。
「ぎりぎり間に合いましたが、同様のことは随所で起こっています。たとえばお弁当入れの曲げわっぱをつくるにはヤマザクラの皮が必要です。板を縫い留めるのに使うのですが、これも調達が難しくなっています」
──関連業種をユニット的に支援しないと伝統技術や文化は残せないわけですね。建築や木工に使う刃物にも危機に瀕しているものがあると聞きました。
「刃物の問題に気づいたきっかけは、森林文化アカデミーの客員教授でもある左官職人の挾土秀平さんのひと言です。どの地域を訪ねても後継者育成はやっているけれど、その職人が使う道具をつくる職人が減っている。自分たち職人は道具に頼っているのだからその供給状況もわかっていないと岐阜県が誇る伝統技術は継承できなくなる。きちんと調べて対策を練っておく必要があるのではと、うちの学長に進言されたのです。
その話が県に伝わって調査予算がついたのですが、伝統技術に必要な道具といってもたくさんあるので調査が難しいという相談がありました。そこで刃物に絞り込んではどうでしょうと提案しました。うちは林業や建築、木工に関わる学校なので、まずは木を削る刃物に照準を当て現状を調べましょうと」
──何がわかりましたか。
「岐阜県といえば有名な刃物産地の関がありますが、じつは林業や木工用の刃物はつくられていないんですね。林業・木工用刃物の市場はかなり以前から高知県、兵庫県、新潟県の3つの産地が握ってきたのですが、これら本場でも鍛冶職人が減り、後継者問題に直面していることが浮き彫りになったのです。
鉈など林業系刃物が得意な高知県では親父さんと息子さんが一緒にやっている例も見られました。しかし大工道具で知られる新潟県や兵庫県では親子間の継承はわずか。高齢の職人だけという工房も少なくありませんでした。見えてきたのは、技術継承のシステムそのものがない現状でした。
戦後崩壊した徒弟制度に代わり、技術習得支援の役割を担ってきた存在に職業訓練校があります。木工科を置く訓練校はたくさんありますが、じつは家具づくりしか教えていないんですよ。家具産業は総体的には規模が大きいので人材供給ができる。けれど、同じ木を扱う技術でも桶樽、曲げわっぱなどは産業規模が小さいので扱う職業訓練校がありません。大分県には日本で唯一、竹細工を教える訓練校がありますが」
産地の壁を越え、実力ある中堅に技術継承を託すという選択
──同様に鍛冶技術を教える教育機関もないわけですね。
「産地も手をこまねいてきたわけではなく、さまざまな形で育成を試みてきました。それでもうまくいかなかった理由は制度設計の問題だと思います。高知は土佐打刃物、兵庫は播州三木打刃物、新潟は越後与板打刃物と越後三条打刃物として国の伝統的工芸品に指定されています。後継者育成の取り組みに補助金は出るのですが、産地単位の指定なので横断型のしくみづくりが難しい。もはや旗を振れるエネルギーがある人も少なく、制度があっても職人に丸投げされているのが実情なのです」
──来ても辞めていくケースが少なくないと聞きます。
「そもそも弟子入りって簡単なことではないんですよ。修業中はそれほどお金をもらえるわけではないし、今は年齢が離れているだけに価値観の差も大きい。しかも兄弟子はいないのでいつも師匠と1対1。悩みがあっても相談できない。とはいえ師匠の側にも言い分はあります。何もできない若者を預かるのはよいとして、教えている間は手が止まるので、納期やこなせる仕事の量に影響します」
──とりわけ危機的な刃物の種類はなんでしょうか。
「彫刻刃物です。私がその危機を知ったのは去年の3月でした。公益財団法人美術院という国宝修理所の職人さんが緊急報告会を開いたのです。仏像などの文化財修理に使われている道具の多くは曲面用の彫刻刃物です。たくさんの種類が必要で、その世界で絶大な信頼を得てきたのが東京の『小信』です。
奈良で開かれた緊急報告会で知らされたのは、小信最後の職人の齊藤和芳さんが廃業宣言をされたことでした。驚きました。
それを機に彫刻刃物鍛冶の現状を改めて調べたのですが、仏像修復のプロや作家が使う水準の刃物を鍛造できるところは、私たちが調べた限り11軒だけでした。このうち一番若い職人は52歳で、大半が60代、70代でした。また40歳以下の後継者がいるところはわずか1軒でした」
──職人が一人前になるまでには年数がかかります。
「刃物のなかでも彫刻刃物はとくに高い技術を求められます。ゼロベースからの育成では間に合わないのは明らか。同じ危機を感じ取ったのが調査員を引き受けてくれた兵庫県三木市の鉋鍛冶・森田直樹さんでした。まだ40代ですが、3代目『千代鶴貞秀』を襲名している確かな腕の中堅職人です。自から小信の齊藤さんに、1週間でもいいので研修に伺わせてもらえませんかと申し出たのです」
──小信さんはなんと?
「文化庁の方が、後継者育成を検討されるなら補助も可能ですと打診しても、もう無理ですというばかりだったそうですが、了承されました。森田さんが10数年精進して千代鶴貞秀を襲名したことをご存じで、この人なら受け入れてみてもよいと思ったのでしょう。
それを聞いた美術院の方が、自分の使っている小信の鑿50本を森田さんに送って貸してあげました。森田さんは1本ずつ図面に描き起こし試作をしていったそうです。森田さんは、技術的なことだけでなく職人としての心構えもとても勉強になったとおっしゃっていました」
──昔の武芸家がよその流派に草鞋を脱ぐような感じですね。
「森田さんの修業時代は、よその鍛冶屋を訪ねるのは憚られる空気があったそうです。余計なことを覚えてきてしまう、というのが理由だそうです。
しかし、私がほかの伝統技術のお手伝いをしていても感じるのは、規模が縮小してしまった産業の場合、教えないよりむしろ教え合ったほうがプラスになるということです。道具鍛冶の危機レベルはまちがいなくそこに来ています。産地同士が争う時代ではありません。むしろどんどん交流して技術や情報を共有したほうがいい。
たとえば廃業した他産地の職人を講師として勉強会に招くなど、今からでもすぐにできることはあります。産地間交流をネットワーク化して団体設立まで持っていければ、一から人材育成をするための新しいアイデアも生まれるはずです」
──具体的なイメージは。
「私が岐阜県内にできたらいいなと思っているのが鍛冶ラボです。今いったように技術や人脈を広くつなぐハブ機能の場。岐阜は日本のヘソのような位置にあるので、道具に関心のある人たちが一堂に会しやすい。他県の鍛冶産地の方たちとも対話を重ねながら実現に向けて動きたいと思っています」
「彫刻刃物の技術継承を考える車座集会」を飛驒高山で開いた理由
今年3月、久津輪さんは岐阜県高山市で『彫刻刃物の技術継承を考える車座集会』という会合を開いた。話題は彫刻刃物の現状と、鑿の最高峰と呼ばれた小信の廃業に伴い試みられた、中堅職人による技術継承(本文参照)。久津輪さんはいう。
「会場は高山市のほかにないと考えました。高山は飛騨の匠以来の木工の里です。一位一刀彫の彫師、大工、祭屋台の職人など刃物を使う人が数多くいますが、彫刻刃物が入手できなくなると一番困る人たちでもあります。危機意識を共有してもらいたかったのです」
車座集会にはさまざまな立場の関係者50人が参加。木工を活かした滞在型体験観光の可能性や、道具版アップルストアのような構想も披露された。「日本の打刃物はじつは世界中の憧れ。今は技術を残す好機でもあるんです」(久津輪さん)
久津輪 雅 流
手道具文化の応援につながる3つのアクション
1 まずは刃物を手に取って、軟らかい生木から削ってみる
軟らかな生木を削るグリーンウッドワークは手道具だけで完成させる木工。多種多様な道具があり木と刃物の両方の魅力が実感できる。
2 ちょっとだけ背伸びをして、いい道具や製品を手に入れる
いいものを使う人が増えるといいものをつくる人が増える。少しだけ背伸びしていいものを手に入れ、想像力を巡らせながら使おう。
3 地域の郷土資料館などにも足を運び、眼を肥やす
昔から愛用されてきた道具には存在理由がある。つくる体験だけでなく、地域の風土や文化にも目を配ると古いものが新しく見える。
※構成/鹿熊 勤 撮影/藤田修平 写真提供/久津輪 雅
(BE-PAL 2023年7月号より)