全国的に猛暑に見舞われた2023年夏。東京では猛暑の最多日数を記録した。一方、台風や長雨による影響も各地で見られた。
原因は複合的なものだろうが、気候変動の影響は無視できない。
ビールにも気候変動の影響が忍び寄る
私たちが日々おいしくいただいているビールも、気候変動の影響を受けている。ビールの主原料は麦芽(大麦、小麦)、ホップ、酵母、水。農産物である以上、その影響を免れない。
近年、クラフトビール人気の高まりととともにホップの存在感が増している。ホップは、ビールならではの苦み、香りを与えるだけでなく、泡立ちをよくする作用と殺菌効果をもつ。特に殺菌設備が整っていなかった時代、ホップは重要な役割を果たした。
品種は数百を超えるらしい。世界的に知られるのは、ピスルナーになくてはならないチェコのザーツ。ドイツのラガービールで有名なハラタウ。最近人気のIPAではアメリカのカスケード、アマリロ、オーストラリア生まれのギャラクシーなどが知られる。
各地でホップの収量が減少
このちょっと不思議な、かわいらしい形をしたホップへの気候変動の影響はいかに?世界的に見ると、すでにその被害がホップに及んでいる。
イギリスのガーディアン紙によると、昨年の夏、ドイツのホップ生産地域は35℃〜38℃という高温が続いた影響で、1ヘクタールあたり収量が28%減少。
いくつかのエリアでは80%の減収を被った。収穫できたホップは低品質だったと伝えている。また、2020年9月に発表されたチェコの分析によると、ドイツ、チェコ、イギリスなどにおけるホップの収量は、高温と乾燥の影響で60%以上、乾冷(dry-cool)による影響で約20%が減少しているという。
すでにヨーロッパの産地ではかなりの影響が出ているようだ。日本のビールの大半は輸入ホップを使用している。ドイツやチェコなどヨーロッパからも大量に輸入している。ヨーロッパの収量減は日本のビール生産に無関係ではない。
日本でも100年以上前から続くホップ生産
日本でもホップは生産されている。実は100年以上も前から栽培され、日本独自に開発された品種もある。
それらは主に東北、北海道、長野県、山梨県などで栽培されてきた。戦後の高度成長の中、ビール需要の急増に伴いホップ生産も拡大。1960年代には年間3000トンを超えた。しかし、その後は上に述べたような外国産に切り替わり、徐々に減少していった。
現在、把握できる数字としては、大手ビールメーカーの栽培契約農家によるホップが年間166トン、畑の面積約100ヘクタール。近年はビールメーカーの契約栽培農家以外の生産者が増えているが、その収量の統計は取られていない。
ちなみにドイツの生産量は約4万6900トン、アメリカ約4万7500トン、イギリス約900トン(出典:The Barthhass Report HOPS 2020-2021)。日本との規模の違いがおわかりだろう。
上富良野にあるサッポロビールのホップ畑へ
現在も日本のホップの育種、開発は脈々と続けられている。
サッポロビールは、ビールの大麦とホップの両方の育種と協働契約栽培を行っている世界的にも有数のビールメーカーである。良質なビールは良質な原料からが信条で、「畑からのおいしいビールづくり」を目指している。
日本のホップ栽培の黎明期になるが、前身の会社が北海道に「サッポロホップ園」を開設したのは1877年。1923年に上富良野村(現・空知郡上富良野町)にてホップの試験栽培を開始している。ちょうど100年前になる。
7月下旬、北海道・上富良野町にあるサッポロビール原料開発研究所を訪ねた。
上富良野町の試験栽培場では、現在数百種のホップが育成されている。すでに実用化されているホップ、ソラチエース、フラノマジカルなどの栽培も行われている。
気候変動は日本のホップ生産にどう影響する?
日本のホップ生産における気候変動の影響はどうだろうか?
サッピロビール原料開発研究所でホップ開発のリーダーを務める鯉江弘一朗さんは、「台風や乾燥もありますが、その頻度が過去と比べて顕著になっているかどうかは不明です。ただ、日本でもやや高温になる頻度が高まっているように感じられます」と説明する。
今のところホップ栽培に影響が出ているわけではなさそうで、とりあえずホッとする。
暑さにも“うどんこ病”にも負けないサッポロビールのホップづくり
サッポロビールでは気候変動に適応できるホップの育種、開発を進めている。同社はビール主原料の大麦とホップの安定調達のため、国内外の研究機関やサプライヤーと連携。2030年までに気候変動に適応できる新品種の開発を目指している。
ヨーロッパですでに被害を生んでいる高温、干ばつ。日本では梅雨などの長雨、台風による強風も脅威になる。
ホップについては、「水ストレスに強い品種開発」と、「うどんこ病抵抗性を含めた、環境変動に適応した品種開発」の2点に取り組んでいる。
ひとつめの「水ストレスに強い」とは、高温・乾燥によって生じる水不足への対応だ。現在、東京農業大学と共同研究を進めている。
ふたつめの「うどんこ病」対応については、園芸をしている人はご存知かもしれない。うどんこ病にかかると、葉にうどん粉(小麦粉)をまぶしたような斑点ができて、最終的には植物を枯らしてしまう。「うどんこ病に強く、なおかつ収量が高く、苦み成分と香り成分をより多く含む品種の開発を目指します」(鯉江弘一朗さん)
鯉江さんとともにホップの開発に携わる久慈正義さんは「(この取り組みが進めば)うどんこ病を防ぐための農薬を減らすこともできます。生産者の負担を減らすことも、ホップ生産の持続可能性にとって大事です」と話す。
生産者の労働負荷は少なく、かつ収量が多い。もちろん苦み成分、香り成分の質も高いホップ。予測の難しい気候変動に備え、ホップのプロたちが開発を急ぐ。
多くを輸入ホップに頼る国産ビールではあるが、国内にこうしたホップ研究の拠点があり、開発が進められていることは心強い。
第二のソラチエースが生まれるかもしれない
その開発途上で思いがけない新種が生まれる可能性もある。
たとえば、上富良野町がある空知郡の地名を冠したホップ「ソラチエース」。ヒノキやレモングラスを思わせる複雑な香りが特徴だ。
今から40年近く前になる1984年に開発された。当時は、その香りが「独特すぎる」として日本で普及しなかった。
それが90年代にアメリカに渡り、ホップ農家に魅力を見出され、クラフトビール人気の高まるアメリカでブレイク。その後ヨーロッパでも人気を博した。生みの親であるサッポロビールがソラチエース100%使用の「SORACHI 1984」を発売したのは、その開発から実に35年後の2019年のことである。
もうひとつ、上富良野から生まれた品種に「フラノマジカル」という名のホップがある。
「日本のホップは、トロピカルな香りを出すのはむずかしいと言われてきたのですが、これはマンゴーのような香りを含んでいたのです。まさに奇跡的なホップでした」(鯉江弘一朗さん)と、その驚きと喜びがネーミングに込められている。フラノマジカルを使用した期間限定ビールがつくられることもあるので、その発売を楽しみに待ちたい。
このように試験栽培場から生まれ育つホップはたくさんある。クラフトビール人気の高まりで、世界的にホップの新種開発はいっそう活発に行われている。その中で、気候変動にも適応できるたくましい新種の研究も進む。おいしいビールをずっと楽しめるように、サスティナブルなビールづくりに、今後も注目していきたい。