極端な旅嫌いの主婦が南極へ行ったら…!
一流IT企業に務める知的で穏やかな夫エルジーと、成績優秀で母親と親友みたいに仲良しな娘ビーと、シアトルの一軒家に暮らすバーナデット。
一見、彼女は何不自由ない暮らしをする幸福な主婦に見える。
けれど娘のビーが、中学をトップの成績で卒業したお祝いに「南極へ家族旅行に行きたいの!」と言い出す、それがすべての始まりだった。そもそも夫はず~っと仕事にかまけて家族には無関心だったし、年代ものの家は雨漏りやら不具合が続出で、明らかに相性のよくないママ友で隣人のオードリーとのやりとりはうんざりすることばかり。日常に潜んでいたイライラの種、問題のカケラは次第に表面化し、なかったようには出来ないことになっていく。
しかもバーナデットは極端な旅嫌いでもあった。「大勢の中が苦手」「人間が苦手」の彼女にとって、見知らぬ他人と一ヵ月も行動を共にするなんて!南極旅行は悪夢そのもの。でも愛する娘のために、買い物やらスケジュール管理までメールで依頼するバーチャル秘書を駆使して旅の準備を始める。
そうして、バーナデットの物語が動き出す---。
そんなバーナデットを演じるのは、有無を言わせぬ演技派であるケイト・ブランシェット。どんな役でも、いつでも静かな説得力を持って画面の中に揺るぎなく存在する、それが彼女。
今回も、他者から見たら行動が読めなくて突飛でただイラっとする変人、に終わってもおかしくないこの難役を、よ~く見たら他の人とは違う軸で生きるごく自然体の、なんともキュートな人としてごくナチュラルに、ときにコミカルに体現していく。
それでいてバーナデットという人物の肝はかつて、天才!と呼ばれた建築家であること。ところが20年前に理由も告げずに突然引退し、「建築界の謎」と世間を騒がせた存在でもあることだった。なぜ、彼女は専業主婦に?
そこには切ない理由があるのだが、なにより重要なのは、彼女が作品をつくっていない芸術家であるという今現在の事実。リチャード・リンクレイター監督が「世界でもっとも危険な人間は仕事がない芸術家だ」という言葉を引用するように、バーナデットはまさにそんな状態にある。
日常の中でイライラは募り、心の安定は絶望的な状況に陥り、医師から心の病を指摘され。エルジーとビーが南極へ行く間に治療を――、そう提案された彼女の混乱はピークに達し、「ちょっとお手洗いに」と言って姿をくらましてしまう。
年齢的にもバーナデットは、いわゆる‟中年の危機”に差し掛かっている。髪を振り乱し、全身全霊で打ち込んできた子育てはひと段落。その間、棚に上げていた自分というものと、もういちど向き合う必要がある時期に来ている。
年齢を重ねて経験を積み、より客観視したときに自分と対峙するのは、ナイーブでもある芸術家と呼ばれる人種にとっては恐怖でもあるだろう。それは大げさではなく、命をかけた‟冒険”と言っていいかも。だって人としての欠落を認めなければならないし、そうしないと真の創作なんて出来ないし。そうして夫と娘と現地で合流しようと南極へ。そこから彼女の、本当の‟冒険”が始まる。
シアトルでは何をやっても空回り、変人ぶりが際立っていたが、南極に来てからの彼女はようやく歯車がガチっとハマったよう。表情はイキイキと輝き、行動はより大胆になる。
こんなシーンがある。南極の海でカヤックをしながら「ハロー、あなたは誰?」と声を掛けられ、「偶然ね、私もそれを自分に聞いていたところ」と答えるバーナデット。見渡す限りの海と氷山、そんな風景のただなかでゆったりとカヤックを浮かべ、日常から遠~く離れた地で、何かが始まる前の凪みたいな時間を味わう。
それもまた冒険。自分を生きることは本当の意味で命の危険をはらむけど、心臓がバクバクして楽しい!みたいな瞬間がきっとある。
映画はバーナデットが、氷山に囲まれた海でカヤックをするシーンでスタートする。グリーンバックで撮影して合成する予定だったが、ケイト・ブランシェットの強い希望でグリーンランドでロケをしたそう。だからそこに映る海と氷は本物。
冒険ってとっても危険、だけどやっぱりめっちゃ楽しい!
『バーナデット ママは行方不明』(配給:ロングライド)
●監督・脚本/リチャード・リンクレイター
●脚本/ホリー・ジェント、ヴィンス・パルモ
●出演/ケイト・ブランシェット、ビリー・クラダップ、エマ・ネルソン、クリステン・ウィグ
●9/22~新宿ピカデリーほか全国公開
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文/浅見祥子