近年何かと話題の昆虫食。テレビ番組の罰ゲームでは偏見まみれの扱いを受ける一方、世界を救うスーパーフードとしてもてはやす空気もある。人はなぜ虫を食べるのか?
人が虫を食べ続けてきた理由は、肉や魚を得られなかったからではない。答えは簡単。おいしいからです
立教大学文学部教授 野中健一さん
近年、アウトドアや自然教育の現場でよく話題にのぼるのが若者の虫嫌いだ。各種アンケートなどを見ても、高校生や大学生の過半数が苦手意識を持つ。それもかなりの率で、である。
そうした反映だろうか。本来は地域の文化であったはずの虫を食べる習慣は、テレビではバラエティー枠で扱われ、芸人の過剰な反応とセットで視聴率稼ぎに使われる。一方、虫は次世代のスーパーフードとも呼ばれている。近代畜産は環境に対して高い負荷を与えている。肉に代わる新たんぱく源として、コオロギを養殖するベンチャービジネスが注目されているのだ。
そもそも人間にとって虫とはどんな存在なのか。その関係史を「食」と「地理」を通じ30年以上にわたり研究しているのが野中健一さん(58歳)である。
──地理学と昆虫食。頭のなかではすぐに結びつきません。
「学生の反応も最初はそうですよ。私が担当する授業科目は文化環境学といいます。文化は地域や集団によって多様性を持っています。その文化空間が育んできたさまざまな事象を手がかりに、文化と環境との相互作用を解明しようというものです。
この講義のテーマのひとつが昆虫食文化です。地理学の授業なのに虫を食べる話を始めるものですから、学生はみんな首をかしげます。ですが最後には、腑に落ちた、新たな知見が得られた、異文化を尊重しなければならない意味がわかったという感想が返ってきます」
──昆虫食の研究を始めた経緯を教えてください。
「私は名古屋大学文学部の学部生のときに愛知県内の森林組合でアルバイトをしていまして。作業班で下草刈りなどを担当しました。ある日の休憩時間、班のおじさんがアシナガバチの巣を見つけました。それを獲って幼虫を生のまま口に入れ、私にも勧めてきたのです。
おじさんの、なんともうれしそうな笑顔が印象的でした。そのとき閃いたのです。人間と自然との関わりの本質は文学部で取り組むべきテーマだと」
──蜂の子は食べたのですか。
「食べました。抵抗感はありませんでした。じつは私、ヘボを食べて育ったので。ヘボというのは地域によってはスガレとかジバチといった名前で呼ばれるクロスズメバチのことです。地面の下に巣を作る小型のスズメバチで、中部地方ではこの蜂に目印のついた餌を持たせ、追いかけて巣を突き止める遊びがあります。掘り出して巣の中のサナギや幼虫を食べるのですが、近年は早めに親蜂ごと生け捕りして庭で飼い、巣を大きく育てて楽しむ方法が主流です。
うちは父がこのヘボ追い文化圏の人。平野部育ちの母はイナゴは食べていましたが、ヘボを食べる習慣はなく、父の実家に通うようになってから食べるようになったそうです。父方の祖父がヘボ追いが大好きだったこともあり、私も物心つかないころから食べていたそうです。
アシナガバチの幼虫をうれしそうに口に入れる森林組合のおじさんを見て思い出したんです。ヘボを獲る人、獲らないけれど食べる人、そして食べない人もいて、これらの差には地域性があったと。これぞ地理学。卒論は昆虫食でやります! と指導の先生方に宣言したのですが、総スカンを食らいまして」
──なぜでしょう。
「そういう食習慣はかなり特殊だというのです。地理学は一般化に貢献する学問でなければならないといわれました。いやいや、岐阜県あたりでは普通に食べていますといっても、誰もが食べるわけではない、ほんとうは隠しておきたいことなんじゃないの? といわれたり。
そのときはじめてわかったんです。虫を食べる習慣は世間一般から非文明的なことと見られているのだと。食べる地域が存在する事実の意味を、知らない人のモノサシで評価するのは違うのではないか。蜂の子を食べることは特殊ではないことを明らかにしようと思いました」
──どんな卒論になりましたか。
「どこまでは蜂の子(ヘボ)を食べ、どこからは食べないかをはっきりさせる分布的な研究でした。中部地域を蜂の子を食べるかどうかひたすら尋ね回っていきました。どうやって獲るか、どう食べるか、どういう名前で呼んでいるかも調査項目に入れました。さらに他の昆虫や野生食用資源も聞いていきました。
先ほどいいましたように、ヘボに対する意識には地域差があります。自分でも盛んに獲りに行く地域、偶然見つければ獲る地域、食べる習慣はあっても獲ることまではしない地域、そして食べない地域。当時の研究室は計量地理学というコンピューターを使った統計分析をやっていたので、フル活用しました。
食べる地域と食べない地域との境は、長野方面だと新潟と群馬の県境付近。愛知方面だと名古屋市あたり。蜂の子以外には、当時はカイコ、イナゴくらいしか知らなかったのですが、いろんな話が出てきました。カミキリムシの幼虫はうまかったとか、ザザムシ(水生昆虫)は酒の肴に最高だとか、セミやゲンゴロウも食べたとか」
──偏見は払拭できましたか。
「卒論は受理されたのですが、次に進んだ修士課程では昆虫食はやるなと釘を刺されまして。昆虫食という文化があることは認めよう。けれど食の中でのウエイトは微々たるものだろうと。広域なテーマほど地理学の研究が評価された時代でした。
また、当時の地理学はなんらかの形で経済に結びついていなければなりませんでした。伊那地域では佃煮産業になっていますと反論しても、そんな規模は経済のうちに入らないといわれてしまう。昆虫食調査で各地を回るうちに関心を持ち、虫よりもう少し認知度がある川漁を修士論文のテーマに選びました」
──博士号は京都大学で取得されていますね。
「大学院中退で北海道大学に就職したので、博士学位は得ていなかったのです。たまたま生態人類学会で日本の昆虫食の発表をしたのが縁で、京都大学の田中二郎先生からカラハリ砂漠の狩猟採集民の調査のお誘いを受けたのです。ブッシュマンの食生活における昆虫食の役割をテーマに研究をし、それが元となり博士号取得に至りました」
──そもそも人間はどれくらい虫を食べてきたのでしょう。
「虫を食べる習慣は世界各地に存在します。日本を含む東アジアから東南アジア、インド、オセアニア、アフリカ、中南米。欧米諸国やイスラム教の影響下のある国ではあまり食べませんが、北米のネイティブの人たちや北極圏の一部でも食されてきました。利用する種類は地域で異なりますが、昆虫食は特別変わった食習慣ではありません。
日本では1919年に農商務省の三宅恒方という人がまとめた『食用及藥用昆蟲ニ關スル調査』という報告があります。この調査が行なわれた大正期、ほぼすべての道府県で何かしらの昆虫がリストに上り、種類の合計も50以上。昆虫を食べることはさほど珍しくはなかったのです」
──イナゴの佃煮は近年までよく売られていた記憶があります。
「今も東京の下町の佃煮屋さんには並んでいますね。ただ、虫はどこでもそれほどの量は食べていないんです。集めるのが面倒だったり、発生する、あるいはおいしく食べることのできる季節が限られ大量に獲れなかったり。採集にかかる手間暇に比べると得られる栄養価は知れていますから、肉や魚に並ぶおかずにはなりません。どの国でも昆虫の位置づけというのは嗜好品なんですよ」
虫は世界各地で食されてきた。日本でも珍しい習慣ではなかった
──信州の郷土料理に虫を使ったものが多いのは、海から遠く魚が食べられなかったから……というような説も聞きます。
「ほかに食べるものがなかったから、虫でも食べざるを得なかったのだろう。つまり昆虫は貧者の食材だという論ですが、これは昆虫食に関して最も多い誤解です。昆虫食の先行研究者にもそう書いている方がいますが、私の見方はまったく違います。
なぜ虫は世界中で食べられてきたのか。答えは簡単。おいしいからですよ。カラハリ砂漠のブッシュマンはたくさんの種類の虫を利用しますが、いずれもおいしい種類で、まずい虫は食べていません。虫の味に関する言葉にはネガティブな言葉も少ない。おいしくないものは積極的には利用しないからです。
狩猟採集民の研究では、彼らは合理性の中で生きているのでエネルギーにならないものは利用しないといわれていました。ですが、つぶさに調査してみると腹の足しにもならない虫にけっこう執着していました。
植物採集のために出かけたのに、途中でシロアリの巣を見つけるとそっちに夢中になって獲り始める。オオアリなどは数グラムでも大切に持ち帰って調味料にします。いずれもエネルギー的合理性に反します。ほかの食材では得られない微量栄養素を虫で摂取している可能性もありますが、動機がおいしさであることに変わりありません。
さらにいえば虫は貧しい食べ物ではありません。日本のヘボやザザムシの瓶詰は今や超高級食品です。巣に入ったままのヘボはキロ1万円くらいしますし、蜂の子だけにするとキロ2万円以上。世界各地の市場に行くと、タガメやカメムシ、バッタやコオロギ、甲虫の成虫や幼虫、シロアリ、クモとさまざまな虫が売られていますが、どこでもみんな高価ですよ。重量や栄養価で比較すれば、じつは肉の値段よりうんと高い。虫は貧しさの象徴どころか贅沢品です」
──高価な理由はなんでしょう。
「まずは費用対効果。労力のわりに収量が少ないことです。一方で、高いお金を出してでも食べたいという人たちがいて根強い需要がある。コオロギのように養殖物もありますが、天然物のほうが人気があり高価です」
──異文化との向き合い方を考える意味で、とても示唆に富んだ教材のように思いました。
「学生にはいつもこういっています。驚きを持つことは当然の反応だし、好き嫌いもあっていい。ただ、どの食文化圏でも何を食べるかという選択はおいしさが土台になっている。虫を食べる地域の人たちの感覚は、フライドチキンが大好きというあなたの意識となんら変わらない。そのことを理解できれば、どんな文化にも興味が持てるよと」
──ところで、国内における異文化ともいえる中部地方のヘボ追いは今、どうなっていますか。
「楽しんでいる人たちの高齢化が進んでいます。70代以上が中心で、その下に60代と50代がちょっといるという感じ。
最大の課題は文化の継承ですが、たとえば岐阜県恵那市では、地元農業高校の生徒がヘボクラブを作り、地域おこしに生かしながら未来に繋ごうという試みもありました。若い子が教えを請いに行くようになったことで、おじいちゃん、おばあちゃんたちは俄然元気づきました。活動を続けるうちに、地元からもやりたいという若い人たちが出てきました。アウトドアとしては極め付きで面白い遊びですから、一度知るとハマります。
また、’90年代に現在の恵那市串原地区のヘボ文化がNHKで放映されたのをきっかけに、この虫遊びに魅せられた人たちが各地で続々と愛好会を旗揚げしました。全国地蜂連合会というネットワークも作られ、私はその顧問を拝命しています。
串原では、毎年11月3日に愛好家が捕獲して手塩にかけて育てた蜂の巣の大きさを競うヘボまつりが行なわれます。幼虫が詰まった巣の即売があったり、ヘボ料理の屋台が出るなど、中部地方に今も残る昆虫文化の熱気に触れられます。先の高校生が建てたものを引き継いだ世界唯一の『ヘボミュージアム』では生態観察もできます。興味のある方はぜひお越しください」
虫は貧者のたんぱく源にあらず! 肉や魚よりはるかに高価な贅沢品
思い出すだけでヨダレが出る!
野中健一 流 世界の美味昆虫 ベスト3
1 ふんわりトロリで濃厚な甘み。ラオスで出会ったカイガラムシ
ラオスの市場で出会ったカイガラムシの幼虫。上品な薄桃色で、揚げて食べてみると、ふんわりトロリとした濃厚な甘みがあふれた。
2 南部アフリカ地域で味わったシロアリの女王アリ
交尾飛行をするために蟻塚からたくさん飛び出すときに捕獲する。体長が1㎝ほどあって食べ応え十分。脂肪的なうまさとコクがある。
3 沖縄で入手したサイカブトの幼虫。カレーで食べると驚きのうまさ
料理コンテストの際に沖縄で入手したサイカブトの幼虫。カレーにすると美味な甲虫とされるサゴムシの幼虫よりさらにおいしく驚く。
SDGs時代の新たんぱく源
養殖コオロギは食の救世主になるのか?
昆虫食といえば、近年の大きな話題がコオロギパウダー入り食品だ。発端は2013年にFAO(国連食糧農業機関)が公表した報告書『食用昆虫類:未来の食糧と飼料への展望』。昆虫は栄養価に優れ、生産回転率が早く、エサに食料残渣も利用できる。食糧危機を見据えると非常に有望なたんぱく源になるという論だ。
SDGsも追い風に始まった食用昆虫の養殖ビジネスは、ESG(環境への配慮、社会的負担の軽減、内部統制)を満たす投資先としても注目されるように。
ただ、値段はまだ嗜好品並みだ。養殖されているのはフタホシコオロギなど熱帯性コオロギで、日本での通年生産には冬の加温が不可欠。新たなたんぱく源と位置づける以上、肉や魚と遜色ない価格で供給できることが前提となる。食糧不足を視野に置くのなら、植物性たんぱく質の大豆栽培を持続可能な方向に修正するほうが現実的という声も出よう。また、フタホシコオロギは九州以北では外来種。施設から逃げ出せば生態系問題になる。
野中さんによると、新たんぱく源としてのコオロギフードと、文化として存在してきたコオロギ食は似て非なる存在だという。
「今年8月に、ラオスの居酒屋でコオロギの素揚げを肴にビールをおいしくいただいてきました。村でもイナゴの若虫がでてきて、村人はおやつにつまんでいました。昆虫食というのは本来こういうものだと思いますね」
※構成/鹿熊 勤 撮影/藤田修平 写真提供/野中健一
(BE-PAL 2023年10月号より)