とんがった山頂が特徴的な名峰、槍ヶ岳に次男の南歩と登った。
1年前に長男の一歩も含めた親子3人で穂高連峰を縦走したが、天候に恵まれなくて山上からの景色を眺めることができなかった。そのリベンジとなる山旅だが、槍ヶ岳をめざした理由はそれだけではない。おそらく史上初であろう某イベントを槍ヶ岳で実施するために出かけたのだが、その内容はBE-PAL12月号の『シェルパ斉藤の旅の自由型』を読んでもらいたい。WEBでは槍ヶ岳へ向かう道中の写真をたっぷり紹介しようと思う。
登山前夜は井上靖の「氷壁」に描かれた宿へ
槍ヶ岳に登るルートはいくつかある。表銀座縦走コースを歩くルートや富山県側から西鎌尾根を歩くルート、岐阜県の新穂高温泉から飛騨沢に沿って登るルートなどがあるが、最もポピュラーなのは上高地から梓川に沿って槍ヶ岳をめざすルートだ。
1日で上高地から槍ヶ岳まで行けなくもないが、僕らは上高地から歩いて約1時間半の徳澤園に初日の宿をとった。
徳澤園は井上靖の小説「氷壁」に描かれた宿であり、「氷壁の宿」がキャッチコピーになっている。山小屋とは異なる設備やサービスを提供する老舗旅館的な宿で、登山前夜に心地よい睡眠をとることができた。
槍ヶ岳の穂先を目指して慎重に足を運ぶ
翌日の天気は快晴。紅葉の名所である涸沢周辺が色づいているため、涸沢方面と分岐する横尾までは団体の登山客が多かった。横尾から先は登山者の数も少なくなり、道幅も狭くなって登山届が必要な山道に入っていく。
森林限界を越えて急峻な岩場の登山道に入ると、槍ヶ岳が姿をあらわす。山に詳しくない人でも、富士山と槍ヶ岳は遠くからでも判別できる。とてもわかりやすい形をしているが、間近で見ると穂先とよばれる山頂のとんがり具合が際立つ。空気が澄んだ秋の青空が広がっているため、すぐ近くに感じるのだが、ここから登りがさらにきつくなる。一歩一歩慎重に足を運んでゆっくり進んだ。
難関ルートなのに「県道」!?
途中で知人が働く殺生ヒュッテに立ち寄り、そこからは西鎌尾根を直登して槍ヶ岳山荘に向かった。
西鎌尾根の稜線に出ると槍ヶ岳の穂先が目の前にそびえる。そこから北に向かって急峻な尾根が連続する北鎌尾根が見える。
北鎌尾根には登山道はない。スキルと経験を併せ持ったクライマーのみが通過できるバリエーションルートで、孤高の人で知られる加藤文太郎も登山家の松濤明も北鎌尾根で遭難している。それほどまでの難関ルートだが、じつはこのルートは長野県の県道に認定されている。
北鎌尾根の北部を流れる高瀬川沿いの道を歩いているときに発見したのだが、高瀬ダムの先に行き先が「槍ヶ岳」と表示された道路標識が掲げられていたのだ。帰ってから調べたらその区間は県道326号槍ヶ岳線(起点が槍ヶ岳山頂で終点が大町市)として認定されていた。クルマどころか、一般の登山者も歩けそうにない超難関ルートが県道であることが痛快でもある。
息子とふたり、いよいよ山頂へ!
山頂直下にある槍ヶ岳山荘で宿泊の手続きを済ませたあと、レンタルヘルメット(1回¥500)を山荘で借りて、南歩とともに山頂へ向かった。
僕は4回目の槍ヶ岳になるが、息子とともに登頂できた幸福感もあって、最高の絶景を堪能することができた。
標高3000mで味わう満月の夜
夕食後は槍ヶ岳山荘の前で稜線に沈む夕陽を眺めることもできたが、この日の絶景はそれで終わりではなかった。
僕らが出かけた9月29日は満月だったのである。しかも中秋の名月である。
山でのご来光や夕陽はそれほど珍しくないが、中秋の名月を山上で眺めるなんて、なかなか経験できない。南歩とともにダウンジャケットに身を包んで、標高3000mのムーンライズと月明かりに照らされる穂高連峰をじっくり眺めた。
ガスに覆われて何も見えなかった1年前のリベンジを果たせた、至福の山旅となった。槍ヶ岳に初登頂した南歩にとっても、生涯忘れない山旅になるだろう。