アウトドアギアを中心に、世界の名品をいちはやく日本に紹介した油井 昌由樹さんをご存じだろうか。若き日に世界一周に旅立ち、そこで出会ったコールマンとの出会い、そして古い道具の魅力を語っていただいた。
アウトドアへの入り口を開いたのが、燦然と輝くコールマンの赤ランタン
スポーツトレイン代表 油井(ゆい)昌由樹さん
出会ったのは’71年、今でも現役。200Aと紡いできた自分だけのストーリー
1971年。今でいうところのパリピ青年油井昌由樹氏は(何せ趣味は赤坂で踊ること)、パンタロンにロングヘアーという出で立ちで、アラスカ州のアンカレッジに降り立った。目的は世界一周の旅。
「当時はベトナム戦争の真っ只中だったから、出撃拠点だった日本には米兵がたくさんいてね。それが格好良くて。ただ、戦争が終息に向かうと米兵も撤退して、赤坂もスイッチを切ったみたいにつまらなくなっちゃった」
米兵への憧れからの旅だった。
「最初に泊まった3階建ての木造ホテルの隣に、アウトドアショップがあってさ。向こうはそういう店が生活の一部だから、風景に溶け込んでるんだよ」
油井さんの目を奪ったのは、店先に吊るされた赤いランタン。
「だってさ、光り輝いてるんだよ。もうそれしか見えないぐらい」
当時、日本で野外用の照明といえば、灯油ランプかローソクぐらいだった。
「明るさが違うんだよ。暗闇のなか、その店だけ昼間みたいに輝いてる。その風景を見た瞬間、オレ、これをやりたかったんだ、って。カルチャーショックってこういうことをいうんだね」
翌日、リーバイス501とダンガリーシャツに着替え、頭にはワッチキャップ、ワークブーツを履き、そのショップで買ったいろいろな道具を持って、バックパッカーに変身を遂げた。
「地下で遊んでいて外に出たら、いきなり森だった。そんな気分」
マッキンリーに登ったり、タイガ地帯をアラスカ鉄道で内陸奥深くまで旅した。旅するなかで気に入ったモノに出会うと、それを日本に持って帰ったりもしていた。
「そうするとさ、オピネルのナイフとかイムコのオイルライターとか、みんなが欲しがるんだよ。で、輸入販売会社として’72年に『スポーツトレイン』をオープンしたわけ」
もちろん、店先にはコールマンの赤ランタン200Aを吊るした。これがスポーツトレインの目印になった。
それから51年経つが、いまだ赤ランタンは健在だ。
「200Aはランタンの基本の基。キャンプにもいまだ持っていくよ、オレはコレクションの趣味はないからさ。たまたま200Aと出会ったから、そいつと、とことん付き合う。今日まで一緒に過ごしている歴史が、乗っているでしょ。その自分だけのストーリーに価値があるわけよ。っていっても、最新のランタンだとちょっと難しいか」
LEDランタンだって便利でいいんだけどね、と油井さんは話す。それを使ってどう過ごすかが大切なのだとも。
「昔の道具ってノスタルジックな思いもあるけど、いい具合に面倒臭いんだよ。でも、その面倒が面白い。だってさ、せっかく空焼きしてマントル作ったのに、灰だから、ちょっと触っただけでボロッて壊れたりするんだよ。面倒みてらんないよな」
といいつつ、赤ランタンを見つめる目は、どこか楽しそうだ。
「構造が単純なんだよ。でもその分、部品さえ持ってれば修理できるから、いつまでも使える。ポンピングしてたらさ、カスカスするからポンプはずしてみたら、革のポンプカップがカッサカサでさ。オイルなんて持ってなかったから、とりあえずバター塗ったら、何とかなったよ(笑)」
逆にいまの道具は便利な分、壊れたら直せないし、捨てるしかないのが残念だと。
2年前、リアルな森のなかに自分の思い描くキャンプ場を作った油井さん。森のなかではどんなふうに過ごしているのか。
「本当のキャンプは自分の痕跡を残さないもの。痕跡を残さないってことは、ありのままの自然が残ってるってこと。人間が無秩序に足を踏み入れると、自然が駄目になっちゃう。キャンプしてる横で勝手に野鳥が来て、カエルが卵を産んで、っていう世界観が大事なわけで。年を重ねるにつれて、道具が知恵という形に変わっていくのが理想かな。道具のおかげで随分気楽に生かさせてもらってるけどね」
油井さんが作ったキャンプ場「スポーツトレイン インフォレストキャンプ」
住所:山梨県南都留郡富士河口湖町西湖2169-1
電話:TEL:090-7988-3152
料金:1サイト¥6,000〜 大人¥1,000/人
HP:https://www.sportstraincamp.com/
※構成/大石裕美 撮影/小倉雄一郎
(BE-PAL 2023年12月号より)