第21座目「不詳の築山」
今回も登山口は有楽町線江戸川橋駅登山口です。 前回僕は松尾芭蕉の足跡を偶然発見したのですが、実はその先の江戸川沿いにも「山」が あったのでした。
これまでの記事はこちら
心地良い庭園散策(と築山登山)
まずは、有楽町線江戸川駅を下りて江戸川公園を目指します。前回同様、江戸川公園の入り口を通り、江戸川沿いの遊歩道を歩いていきます。ちなみに、公園 入口にある三松青果物店をふとのぞいてみたのですが、果物が安くて驚きました。帰りに買っ ていかないと。
前回も通った勝手知ったる遊歩道を抜け、一気に胸突坂まで歩いていきま す。関口芭蕉庵を通り過ぎ、そのまま真っすぐ進むと門が見えてきました。
実は前回、椿山荘に行った際、その先に肥後細川庭園があることは確認していました。そして、江戸のお屋敷には庭園があり、そこには「築山」(つきやま)がつきものです。築山とは、庭園などに人の手で築かれた小山のこと。つまり、今回は「築山よ、あれ!」と願いを込めて、肥後細川庭園を目指したのでした。
せっかくなら正門から入ろうと思い、そのまま南門をスルーして正門方向へ進んでいきます。 右手には肥後細川庭園の壁、反対側は住宅と非常に閑静な住宅街です。
この取材はいつもそうですが、今回も事前に撮影許可をとっていなかったので、正面入り口から入ってすぐ左にある松聲閣 (しょうせいかく)事務室に相談に行きました。すると、 「いいですよ!」と快く許可をくださり、腕章をお借りして庭園内の撮影をさせていただけることになりました。こちらの庭園は、入場無料です。という事もあってか、多くのお子さん連れの方で賑わっていました。
さて、肥後細川庭園の一帯は、江戸時代中頃まで幕臣の邸宅があったところだったそう です。その後、何度か所有者が変わり、幕末には細川家の下屋敷のひとつとなり、明治時代に は細川家の本邸となったそうです。1960年に東京都が当地を購入し、翌年には公園として開園。その後、1975年に文京区に移管されたそうです。
この付近は、目白台からの湧水が豊富な場所。その湧水を生かした回遊式泉水庭園を主体とし た公園となっており、江戸時代の大名屋敷の庭園の雰囲気を現在でも堪能することが出来ます。
江戸時代の大名屋敷の築山でも、すでに壊され無くなった山もあります。その一方、ここ肥後細川庭園では地図にしっかりと「築山」と記されていました。名もなき人工の築山ですが。
この庭園は、先述したように、池を望みながら回遊してまわれる豊富な自然が特徴です。南出入口と反対方向には細川家の所蔵品を展示している「永青文庫」(エイセイブンコ)、そして季節ごとに咲く、肥後六花。3〜4月には肥後椿、 4月〜5月には、肥後芍薬(ヒゴシャクヤク)、6月には肥後花菖蒲(ヒゴハナショウブ)、11月〜12月 は肥後山茶花(ヒゴサザンカ)と、門外不出の肥後六花の内4種類が楽しめます。
湧き水と地形を上手く取り入れた庭園。ここが東京のど真ん中であることを忘れてしまいます。そして、一時期は細川家の住まいとして使用されていた松聲閣。どこに目を向けても心落ち着く眺めが広がっていました。
いちおう築山を「山登り」しましたが、端から見たら「ただ庭園を散策してる人」だったかもしれません…。
それはともかく、肥後細川庭園は季節ごとにイベントも開催されており、紅葉の時期には期間限定でライトアップも行われているそうです。 四季を通して通いたくなる、そんな素敵な庭園でした。今度は、桜の時期にも来てみたいな。
次回も「文京区の音羽富士縦走」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。