東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第22座目は、東京都文京区のミニ富士と、そこからの縦走です。
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第22座目「音羽富士ほか」
今回の登山口(最寄り駅)は、丸の内線新大塚駅です。目的地の最寄り駅は有楽町線護国寺駅ですが、あまりにも近すぎるし、ちょっと離れた登山口からのんびり歩くのも悪くないよなと思ったからです。いや、ヒマだったから…というわけではなく、降りたことのない駅だから新大塚駅からスタートした、というのが正直なところで、特に深い理由はありません。
メジャーな富士山と隣接する幻の山
と、歩き始めてすぐに、「帽子の学校 スダシャポー学院」という気になる文字が目に飛び込んできました。帽子の学校ってなんだ? ググってみると、帽子だけを教える学校はあまりない様子で、テレビなどでも紹介さ れているようです。
「スダシャポー学院」から少し進むと、今度は「ポポー広場」です。ちょっとレトロなネーミ ング。ポポー広場は、防火を目的とした公園で、看板の後ろにある木がポポーの木らしいです。 ポポーは北米産で、バンレイシ科の温帯果実だそうで、耐寒性があり、病害虫に強いことから栽培しやすい果樹だそうです。果樹なの?と驚きました。 ポポーの葉や茎にはアセトゲニンという毒性の成分があるそうですが、果実はなんと食べ ることが出来て写真で見る限り美味しそうです。僕の住む山形にも作っている農家があっ て、ホームページをみるとトロピカルフルーツのような味わいだそうです。
「ポポー広場」から、護国寺周辺の住宅街へと進んでいくと、長い参道のある福田稲荷が現れました。どういった由縁のお稲荷様なのかとググったのですが、明確な情報はヒットしませんでした。それはともかく、気になることがか多すぎる道のりで、なかなか先に進みません。
住宅街を抜け、国道437号線(不知火通り)に出ると、すぐに護国寺共葬墓地という看板があります。中に歩を進めると、大きな墓地エリアになりました。ここは陸軍共同墓地で、山縣有朋の墓などがあるそうです。今回は墓地に入らず、墓地脇の道を通っていきます。この道は、夕方に閉鎖されるそうで、夜間は通れないようです。さすがに夜は歩く気にはなれませんが。 墓地を抜けると、ついに護国寺です。
護国寺仁王門では、風神と雷神が出迎えてくれます。門をくぐり少し歩くと右手に、今回の最初の目的地である音羽富士への案内が出ます。
音羽富士は、富士信仰に基づき、富士山を模して造営された人工の山です。音羽富士は一合目から山頂に至る道があり、登ることも出来ます。しかし、今回はこれでは終わりません!
実は、この護国寺の直ぐ近くに「権現山」があるらしいのです。 (ミニチュアの)富士山を登った勢いそのままに、今回は久々に縦走を試みます。
まず、護国寺仁王門を出て不知火通りを川越街道方面に 歩きます。 3分ほどで、閉ざされた門に着きます。そう、ここが権現山のある場所らしいのですが、表示も何もありません。しかも、Google Mapにも載っていません。 国土地理院地図には、「豊島ヶ丘御陵」と出ていました。正確には「豊岡墓地」と呼ばれるそうで、 皇族(皇后になった者を除く)専用の墓地だとか。結論をいうと、一般には解放されておらず、中に入ることは出来ませ んでした。
ここは元々、隣接する護国寺が所有していたそうですが、明治政府により召し上げられ、「陵」に埋葬される天皇と皇后を除く皇族専用の墓地として整備されました。標高34メートルほどもあったので、墓地となる前は広く権現山と呼ばれていたようです。
護国寺と隣接しているので、明治以前は築山(音羽富士)と自然の山(権現山)の縦走が出来たのか もしれません。現在は 残念ながら権現山に登ることは出来ませんが、間違いなく「山」があっ た事実は確認できました。門の奥にある権現山を想像し、今回の縦走を終えたのでした。
次回は「小石川後楽園」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。