東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第23座目は、文京区の超メジャースポットに隣接する山をめぐります。
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第23座目「小廬山」
今回の目的地は、小石川後楽園です。察しのよい方なら、この名前を見てピンとくるかもしれません。そうです、都立公園で、自然豊かな庭園がある所に「山」あり。今回は、小石川後楽園にあるという小廬山 (しょうろざん)を目指します。
僕が選んだ登山口(最寄り駅)は、丸の内線後楽園駅です。なぜなら、学生時代に後楽園駅は通学路の一部だったのですが、当時は、東京ドームの脇を抜け水道橋駅まで歩いて通っていたのです。つまり、後楽園駅から 小石川後楽園方向には一度も歩いたことがありませんでした。そこで今回は、丸の内線後楽園駅からスタートした次第です。
お殿様気分で「絶景かな!」
現在、「東京ドーム」や「東京ドームシティアトラクションズ」などが建つ場所は、もともと水戸藩 の土地で、殿屋が建てられていたそうです。 また、小石川後楽園は、江戸時代初期の1629年に水戸徳川家初代藩主・徳川頼房が江戸の中屋敷(明暦の大火後に上屋敷となる)に築造し、2代藩主・あの水戸黄門で有名な光圀の 手により完成しました。江戸の大名庭園として、現存する最古の庭園なのです。
後楽園駅登山口から、水道橋駅方面と反対の方向に進んでいきます。 左手に小石川後楽園の塀を見ながら歩くのですが、しばらくすると、区立後楽公園や野球場などもある静かなエリアに入っていきました。公園を進んでいくと、小石川後楽園の入り口が見えてきました。いい感じの散歩道です。さて、チケットを購入していざ、後楽園へ。 ※現在、東門は閉鎖中ですので西門からのみの出入りになります。小石川後楽園の入園料などの基本情報は公式サイトを。
園内は、「大泉水」の「海」の「景」を中心に、周囲に「山」「川」「田園(村里)」などの「景」が配置 されていて、変化に富んだ風景が展開する「回遊式築山泉水庭園」だそうです。池を中心にした回遊式庭園としての庭園形式は、ここ小石川後楽園が江戸の大名庭園の先駆け としてつくられ、後の大名庭園にも大きな影響を与えたそうです。
入り口でパンフレットをもらい、小廬山の位置を確認してから、どういうルートでめぐるかを考えます。やはり、いきなりメインディッシュの小廬山では味気ないし、もったいない。せっかくの大名庭園です。小廬山を後半にして、まずは園内を一周 する事にしました。 それにしても、山手線の内側にこんなに大きな庭園があるとはと改めて驚きます。
まずは、木曽川方向に歩いていきます。しばらく歩くと、ん?木曽山を発見しました。地図にも出ていません。案内板によると、古木が多く、日中でも暗く、渓流に沿っていたことから、その姿が木曽路 に似ているとして木曽山となったそうです。
また、シュロの木が多くあったことから、棕櫚山(しゅうろさん)とも呼ばれているそう。 シュロってなんだろうと思ってググると、日本原産の唯一のヤシ科の植物、つまりヤシの木だそうです。九 州ではよく見かけていたのですが、まさか日本原産の植物だったとは驚きです。ただ、木曽山、もしくは棕櫚山は残念ながら登れない山です。
小石川後楽園内の歩道は、鬱蒼と木々が生い茂り、一般的な公園なら見えてしまう高層ビルもほぼ視界に入りません。自分がどこにいるのか、分からなくなる感じです。
東門を抜け、そのまま公園の外側のルートを歩いていきます。海外からの観光客の方をたくさん見かけました。 得仁堂(とくじんどう)という建物の横を抜け、小廬山(しょうろざん)へ向かうと、いつの間にか庭園を見下ろす景色が現れました。 ふと目を向けると、小廬山山頂が左手に見えました。小廬山もまた、登れない山のようです。
山は登ってしまうと、その姿が見えづらくなります。裾野から眺める山が一番美しく見える、 とハイカーである僕は思うわけです。ここは庭園ですが、大名にとっても山は目で愛でるものだったのかもしれません。
実際、小廬山には登れなかったけれど、素晴らしい庭園をじっくりと堪能することができました。水戸光圀公が憑依したわけではありませんが、この小石川後楽園の庭園を眺め、「絶景かな」などとつぶやきながら、今回の山行を終えたのでした。
と、山行は終えたものの、せっかくなのでもう少しお庭を楽しもうと、こんどは沼のほとりを歩いていました。すると、池の少し奥に「大黒山」(ダイコクヤマ)の表示があるではないですか。
次回は「文京区の植物園にある山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。