東京23区内、特に山手線の内側はビル街や飲食店街、住宅街ばかり。そう思っている人が多いかもしれません。でも、目を凝らせば東京都心にも「山」はあります。そんな東京の山の世界を、日本で唯一のプロハイカーである斉藤正史さんが案内します。第26座目は、文京区にある庭園の築山をめぐります。
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第26座目「藤代峠」
今回の目的地は「六義園(りくぎえん)」。この連載で以前に紹介した小石川後楽園とともに、江戸の二大庭園に数えられるそうです。その始まりは、1695年。五代将軍綱吉の家臣である柳沢出羽守保明が、広大な土地を幕府より拝領しました。庭園の名にある「六義」とは、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之(平安の貴族・歌人)が転用した和歌の「六体」に由来するそうです。
※公園の詳しい由来や利用案内は公式サイトを参照してください。
最高峰とは別に、偶然出会った2座
今回の山行のスタートは、JR駒込駅。下町風情溢れる東口とは違い、近代的な雰囲気のある北口から、六義園を目指して歩き出しました。六義園では、園内の一番高い山として藤代峠が知られています。ん?「一番高い山」。この言葉に少し引っかかりを覚えながらも、本郷通りを東大方向へ進んでいきます。
今回は、もしかしたら最短で到着してしまうのではないかと思ったのですが、駒込駅から直ぐの染井門は閉鎖されていました。とはいえ、駒込駅から正門もさほど遠くはありません。そのまま、これというネタのなさそうな本郷通りを進んでいきます。
六義園ができた当時、駒込は武蔵野に繋がる原野(原っぱ)地帯で、樹林と豊富な水量に恵まれた地区だったそうです。将軍家の鷹狩りの場として、江戸近郊の52村が指定されました。雑司ヶ谷、本郷、小石川村などとともに、駒込も鷹狩場となっていたそうです。前回の駒込富士の記事(FILE25リンク張る)でも、近隣に鷹狩場があったことに触れました。
さて、本郷通りを進み、道標に従って歩を進めると、そこには煉瓦の壁で覆われた重厚な佇まいの六義園がありました。六義園は、大政奉還の後の1874年に、岩崎弥太郎(現三菱グループの創始者)が買収し、岩崎家の別邸となります。その後、東京市(東京都)に寄贈されるまでの60年間は、個人所有の邸宅だったのです。このレンガづくりの重厚さは、邸宅だったころの名残りなのかもしれません。
目的地の藤代峠は、入り口の反対側に位置します。今回は大泉水(中央にある沼)を反時計回りに歩く事にしました。
地図を見ながら歩いていると、あれ!なんと山があるではないですか。妹山(いものやま)と、背山(せのやま)の2座。いずれも築山だそうで、古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼んでいて、男女の間柄を表現しているそうです。
池を中心にぐるっと回っていくと、少し急な登りになります。登りきった頂上が藤代峠になります。六義園最高峰の築山といわれるだけあって、山頂からの眺望も最高です。さすが、小石川後楽園と並ぶ江戸の二大庭園といわれていただけのことはあります。
近年まで岩崎家の邸宅として利用されていたこともあるのか、六義園は庭園というだけでなく住居としての佇まいも感じます。岩崎弥太郎は、この素敵な庭園に囲まれた別邸でどんな風に時間を過ごしたのでしょうか。
今回は、偶然にも2つの山の発見もあり、素敵なお庭の散策する楽しい山行となりました。この庭園を築き、300年以上の長きに渡って守ってこられた先人たちに感謝しつつ、駒込の地を後にするのでした。
次回は「文京区にある文人ゆかりの狸山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。