第31座目「新堀山」と「見越山」
2つの山の存在が気になっていました。
それは、荒川区にある新堀山(ニッポリヤマ)と呼ばれる山と、文京区にある見越山です。
僕がいつも参考にしている手島宗太郎さんの「江戸・東京百名山を行く」の中には、両山共に掲載されているのですが、個人的には悩ましく感じていました。
それは、新堀山の記載があるのが、「江戸鹿子」という地誌で、見越山の記載があるのが後楽園最古の地図とされている「水戸様江戸御屋敷御庭之図」です。
さて、一般的に山と呼ばれていたのでしょうか? 百聞は一見にしかず、2つの山を巡ることにしました。
まずは、新堀山から
ついついいつものように、面白そうな場所をメインにルートを決めてしまいました。
登山口は、日暮里駅です。歩き始めてすぐに裏道に入ったのには理由があります。小説家・倖田露伴の居宅跡があったからです。ここから見える天王寺の五重塔を毎日眺め、あの名作「五重塔」が生まれたそうです。
通りに出て、谷中銀座を入らないで西日暮里方向に曲がります。
しばらく進むと、富士見坂が見えてきました。
残念ながら現在は富士山が見えないそうです。
でも、あえてこの道を通りました。今はビルが出来て見えないようですが、看板にある写真を見ると間違いなく富士山は見えていたようです。
さて、新堀山があるとされているのは、坂を登って直ぐにある諏方神社でした。
一般的に、「諏訪神社」の名前の方が多いのですが、ここの神社は「諏方神社」です。調べてみても明確な定義は無い様子です。もしかしたら字を略しただけなのかもしれませんね。
新堀山があるかさっそく、神社内や周辺を探して見ました。
残念ながら三峯山信仰です。
神社内を探しましたが、あったのは本殿脇の奥にある三峯山信仰の碑だけでした。周辺のお寺などの看板も見てみましたが、新堀村という記述は見つけたのですが、新堀山という存在は残念ながら見つけることが出来ませんでした。
やはり、一般的に新堀山と呼ばれていた事実は無いようですね。史実として一部の方に呼ばれていたに過ぎなかったのかもしれません。実は神社から2~3分歩くとFILE29の道灌山があります。さて真相はどうなんでしょうね。
見越山はどうでしょう?
見越山への最寄登山口は、丸の内線後楽園駅です。学生の頃、隣接する文京区立礫川公園を通って水道橋駅に通っていました。とても懐かしい場所です。公園があるのはもちろん知っていましたが、ここに山があるとあるとは思いもしませんでした。
もし、ここに山があったら最短の山行になるなと思いつつ、懐かしき公園を登っていきました。
山があるなんて聞いたこともなかったので、半信半疑で階段を登っていきました。
公園の上には、東京都戦没者霊苑があるのは知っていましたが、中に入るのは初めてだったと思います。敷地に入り、一番高いと思われる場所に着きましたが、山らしい痕跡はありませんでした。周辺を見渡してもやはり山の痕跡はなく、むしろ隣接する中央大学の敷地の方が高いような気さえしました。あるとすれば中央大学の敷地内でしょうか。
東京都戦没者霊苑展示棟に入り、職員の方に事情をお話し聞いてみましたが、ここが山である事は初めて聞いたとのこと。その昔、この一帯は小石川後楽園も含め、水戸藩の庭園でだったそうです。もしかしたら設計した方が図面に書き込んだだけで、一般的には山として知られていなかったのかもしれませんね。やはり周辺を見て歩きましたが、山らしい痕跡はありませんでした。
新堀山も見越山も山としての明確な事実はありませんでした。しかし、新堀山に至る道のりには、谷中銀座や初音小路、パティシエ ショコラティエ イナムラショウゾウやその他にも面白そうなお店などがたくさんありました。
また、見越山には、無料で利用できる東京都戦没者霊苑やその展示棟や休憩室などあります。初めて利用させて頂きましたが、戦争を知らない世代が戦争に触れることができるそんな施設が、多くの人で賑わうこの後楽園エリアにあるとは住んでいても知りませんでした。
残念ながら山ではありませんでしたが、こうして山を探すことで目にした物事にも意味があるのではないかと思います。
僕は頂上を目指すことを目的としないハイカーですので、山頂がなくても十分楽しむことが出来ましたが、山頂があるか気になる方は、ぜひ山の痕跡を見つけてみてください。
そんな山登りも楽しいですよ!
次回は「原宿駅近くにある源氏山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。