FILE34は、築地にあるといわれる山です。
第34座目「旗山」
登山口は久々に新橋
実は、山手線沿線の山を見直していたところ、なんと中央区の山を2座も見落としていました。久々に中央区に戻り、いざ旗山へ!
実は、人生初の築地です。
テレビでもよくグルメ番組で見ますし、市場があったことでも有名な築地ですが、現在は市場は豊洲に移転しています。もう、築地に行くことは無いんだろうなと思っていました。
築地にいくとは…。
ちょっと調べてみると、豊洲に移転する前の旗山を訪れた情報は結構あったのですが、近年の情報はほとんど出ていないようです。もしや市場と一緒に移転したのでしょうか。
初の築地へ、登山口はJR新橋駅汐留口登山口です。
FILE13浜離宮恩賜庭園と同じルートで、大手門口まで歩いていきます。大手門口からは道なりに築地方向に歩いていきます。少し進むと、壁に覆われていて築地市場跡地は現在も工事中の様子でした。築地に近づくにつれて、人が増えていきます。特に外国の方が多いような気がしました。
築地場外市場前の波除通りに入ると、平日なのにまるで土日のアメ横のように人がたくさんいます。波除通りの人ごみをかき分け真っすぐ歩いていきます。築地魚河岸海幸橋棟の前に着いてきょろきょろしますが、旗山らしき山はありません。周りをぐるぐるまわり、築地魚河岸 海幸橋棟1階を見て歩きますが、何もありませんでした。移転する前の情報ではすぐ見つかるようでしたので、時間の合間に来たのですが、残念ながら次の予定の時間が迫っていたため、この日は探すのを断念しました。
リベンジ旗山
軽くネットで情報を調べたのですが、特に情報は無し。もし、市場が移転しているとなれば、水神社に旗山があるようでしたので、移転先をどこかも含め、リベンジすることにしました。
前回と同じように、築地魚河岸海幸橋棟のスタートです。真っ先に疑ったのが、波除稲荷神社でした。早速神社へ。しかし、何もありません。
手がかりがあまりにもないので、もしや移転していないのではと思い直し、元々あったらしい築地魚河岸・海幸橋棟辺りをもう一度探して見ることにしました。
しかし手掛かりはありませんでした。ふと、築地魚河岸・海幸橋棟をみると、屋上があるようでした。もしかしたら屋上に行けば何か見つかるかもしれない。
脇のエレベーターで屋上へ上がりました。工事中の元築地市場の見える場所へ歩いていくと、ほぼ更地になった市場跡地が見えるだけでした。
無かった…。と諦めて下を見ると、なんとなく見たような景色が。築地魚河岸海幸橋棟に隣接したひと区画だけが壊されずに残っていました。旗山の石は見えませんでしたが、あれが水神社で、反対側の位置に旗山の石があることを過去の写真を見てなんとなく確信しました。
あった…。久々に達成感を感じました。今回はいい仕事したなと。
旗山
築地市場一帯は、江戸時代に「浴恩園」と呼ばれた別邸があったそうです。1872年に、海軍省が置かれ、浴恩園内にあった築山に海軍卿の旗が上げられたことから旗山と呼ばれたそうです。旗山の碑は、1933年、築地市場が移転してきた時に元の位置から少し動かされて、水神社の敷地内に置かれたとか。そもそも、神社の周囲は金網で囲われ、正面の扉も閉じられていたそうですよ。
次回は「八丁堀にある鉄砲洲富士」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。