FILE42は、高田馬場にあるらしい富士塚・高田富士です。
第42座目「高田富士」
今回は、JR高田馬場駅登山口です。
目指す高田富士ですが、情報によると新宿区立甘泉園公園(かんせんえんこうえん)にあるようです。甘泉園公園は区立公園としては唯一の回遊式庭園です。「甘泉園」の名は、ここから湧く泉の水がお茶に適していたところからきたと言われています。
きっと、以前は有名な方のお庭だったのかもしれませんね。
今回は、神田川沿いのルートを歩いていきます。
せっかく、湧き水があるほどの水の豊かな地域です。学生さんで賑やかな大通りを歩かず、神田川沿いに歩いていくことにしました。一歩裏通りに入り、僅か5分ほどで神田川沿いの道に入ると、あれだけ込み合っていた高田馬場駅周辺の人混みがうそのようです。
さて、桜並木をゆっくり歩く道をイメージしていましたが、序盤は何とも気になるお店が目に入ってきます。
ちょっと歩いてキョロキョロしただけで、3店もありました。手作りパンのお店も、白カレーも気になりますが、行きも帰りもババ ミャンマー ヌードルに行列が出来ていたので(しかも外国人の)、ここは要チェックかもしれませんね。メモメモ。
神田川沿いにそのまま進んでいくと、お店は少なくなり始め、桜の木が増えてきました。春、桜の満開の時に歩いたら綺麗でしょうね。そんなことを思いつつ進んでいきます。
※魚道は、川の段差部の高低差が比較的大きな箇所に魚が行ったり来たりできるように設ける魚専用の道です。
都電荒川線の面影橋駅を過ぎてそのまま神田川沿いを歩いていき、仲之橋で大通り方面にでると、正面右手に甘泉園公園らしき森が見えてきます。
そのまま飯田橋石神井新座線を登っていくと、甘泉園公園裏門が見えてきます。急な階段を登っていくと公園に入ります。
水稲荷神社方向へ歩いていくとあるはずなんですが・・・。高田富士は見当たりません。
出口付近の柵に覆われた隙間から鳥居が見えました。グーグルマップで確認すると、どうやらここのようです。現在は立ち入ることが出来ない模様です。
ここか、と思ったのですが、隣に水稲荷神社があります。何か手掛かりがないか念のために探してみました。
新宿区のど真ん中にいるとは想像も付かない動物たちに遭遇。あやうく何しに来たのか忘れるところでした。水稲荷神社に入り、社殿の裏側にまわると…。登れそうな場所がありました。
これが、高田富士なのだろうか。
高田富士
高田富士は水稲荷神社の境内にあり、江戸最古の富士塚として知られているそうです。
この高田富士・水稲荷神社は、現在の早稲田大学キャンパス9号館の場所辺りにあったそうですが、早稲田大学がこの土地を入手した際に現在の位置に移転されたそうです。
高田富士は、毎年、海の日(7月第3月曜)とその前日の日曜の2日間だけ、登拝出来るそうです。
ちなみに、江戸時代には、品川富士、千駄ヶ谷富士、下谷坂本富士、江古田富士、十条富士、音羽富士、高松富士の7ヶ所の富士塚をめぐる「江戸七富士参り」が人気だったそうですよ。そういえば、TOKYO山頂ガイドでは、品川富士、千駄ヶ谷富士、下谷坂本富士、音羽富士の4カ所登りましたね!
裏手の山は一体…
さて、やはり高田富士は先ほどの場所で間違いなさそうです。では、この社殿の裏にある物は一体何でしょう。調べてみると、この地域の戸塚の町名の起源ともいわれている「冨塚古墳」だそうです。こちらも元々、早稲田大学9号館裏あたりにあったそうです。奥の赤い鳥居から登って、社殿の脇にでる道のりでした。
現在の早稲田大学9号館付近に高田富士があった頃は、高田富士もこの富塚古墳の一部を流用して作られていたとか、そんな話もあるようです。
時代と共に移り変わる中で、こうして移転してまでも残されたのには、何か意味があるのかもしれませんね。
ちなみに、馬は「百太郎」、やぎは「ゆき」だそうですよ。
次回は「高田馬場にあるおとめ山」を予定しています。
なお、今回紹介したルートを登った様子は、動画でご覧いただけます。