博多のメキシコ料理店で生まれたクラフトビールが、海沿いの小さな町に九州有数のブルワリーを建てた。目指すのは、福岡県産のクラフトビールを福岡の名産品ラインナップに加えることだ。
クラフトビールでメキシコ料理を広めたい
博多駅からJR鹿児島本線快速で小倉方面へ40分ほど。海老津駅に着く。駅前からバスも出ているのだが本数が少ないため、タクシーに乗って15分。フクオカクラフトの岡垣工場に到着した。目の前に田畑が広がり、裏手には竹林が茂る土地に、2階建ての青い建物がポツンと建っている。
博多から1時間圏内なのに、とても遠くまで来た気分になれる風景だ。2階に上がると広々としたテラス。屋内からは大きな窓ガラス越しに工場が見渡せる。
始まりは、博多の繁華街、大名(だいみょう)にあるメキシコ料理店エルボラーチョだ。店長で現在フクオカクラフトの社長の杉山芳文さんに話を聞いた。
もともと料理人の杉山さんは、メキシコ料理に魅せられ、メキシコに渡る。2年ほど本場で修業し、2002年に博多の大名に店を開いた。
本格的なメキシコ料理を看板にしたが、「本場の味を打ち出すほど、めずらしさでお客さんにはハードルが上がってしまう」というジレンマを抱えていたそうだ。
メキシコ料理に合う酒というとテキーラ、「コロナ」に代表されるライトなビールが思い浮かぶ。クラフトビールの印象はどちらかというと薄い。しかし2010年代に入ると、アメリカと地続きのメキシコにもクラフトビールの波が押し寄せてきた。杉山さんは毎年メキシコを訪れていたが、「行くたびにブルワリーの数が増え、ビールの種類が増え、質が上がっていく」のを肌で感じたという。
「クラフトビールを切り口にメキシコ料理を売り出すのもいいなと思いました。クラフトビール業界の方には申し訳ないくらいですが、そんな思いつきでクラフトビールをメニューに加えました」
軽いノリで始まった「ビールも造ったらいいんじゃない?」
エルボラーチョはあくまでメキシコ料理がメインだが、クラフトビールの本場アメリカで評価が高いビールを数多く揃えた。これが評判を呼んだ。メキシコ料理と、しっかり味のあるクラフトビールのマッチングは意外やはまり、クラフトビールファンも惹きつけた。
「最初から造ったらいいんじゃないですか?」
自前のビールを造ろうと杉山さんが思いついたのは、あるスタッフの何気ないひと言だった。
「ウチはトルティーヤもテキーラも自前で作っていたので、ビールを造るのもありだなと。軽いノリだったかもしれませんが」
杉山さんはメキシコだけでなく、アメリカの中でもクラフトビールの聖地と呼ばれるポートランドに足を運び、クラフトビールへの造詣を深めていく。そして、ブルワーとは奇跡的な出会いがあった。当時、日本でブルワーの仕事を探していたアメリカ人のビクターさんが、杉山さんのブルワリー計画を耳にして、自分で造ったビールを持ってプレゼンに来たのである。
杉山さんとビクターさんのクラフトブルワリー造りが始まった。
2018年に醸造所をオープン。醸造所はエルボラーチョの隣の小さなスペースに設えた。500リットルのタンクが2本の小さなブルワリー。造るそばから隣のエルボラーチョで飲まれた。
順調にクラフトビールの波に乗れたエルボラーチョだが、2年後にコロナ禍が訪れた。地元の若者やインバウンドで賑わう大名がゴーストタウンと化した。
このとき、全国のマイクロブルワリーが急いで導入したのがオンラインストアだ。より効率を上げるために、瓶から缶に切り替えたブルワリーも多い。杉山さんは、山梨に大きな工場をもつFAR YEAST BREWINGに缶詰め作業を委託することができた。これが吉と出た。クラフトビールが生き残れただけではない。缶製品化によって、フクオカクラフトのビールは初めて博多以外のクラフトビールファンの目に留まることになったのだ。
ピンチをチャンスに。フクオカクラフトの売り上げはまだ伸びる勢い。大名のブルワリーは文字通りマイクロで醸造量はこれ以上、増やせない。杉山さんは新規ブルワリーの建設を決めた。コロナ禍の助成金や飲食業界のネットワークを広げて投資を集めた。
このときは軽いノリではなかった。「フクオカクラフトを福岡の名産にする」ことを目指した。
ブルワリーを岡垣町の観光スポットに
新しいブルワリーは広い土地を要することから必然、都市部から離れる。杉山さんが福岡北西部の遠賀郡岡垣町を選んだ理由は、「水がいい」という評判を聞いたからだ。
もうひとつの理由は、岡垣の町に「ぶどうの樹」という杉山さんがよく知る会社があったこと。「ぶどうの樹」はその名の通り、ぶどうを栽培し、自前のワイナリーを持つ。レストランやホテルと幅広い事業を展開している。杉山さんは「ぶどうの樹」の知り合いにブルワリーのロケハンにつき合ってもらった。そしてワイナリーのすぐ近くに、ぽっかりと空いた土地を見つけたのだ。
「ここにしよう!」
すぐに気に入った。改めて水質を調べてみると、日本ではめずらしい硬水だった。町の公式HPによると、硬度は1リットルあたり136mg。100年以上の時を経た水であることがわかっている。これには杉山さんより醸造長のビクターさんが喜んだ。「ペールエールはもともと硬水で造られるビール。ちょうどいいですよ」
目の前に田畑が広がる地にフクオカクラフトの岡垣工場が誕生、2022年12月に稼動した。
「地元の人は “何もない”と言いますが、そんなことありません。こんなに気持ちのいい場所はありませんよ」
岡垣タップルームの営業時間は金土日曜日の11時から日没まで。夏至の頃なら7時半ごろまでだ。夏、あたりが暗くなれば、タップルームの近くの川沿いにホタルの光が舞うという。春は花見が楽しめるように前庭に桜の樹を植えた。季節を感じながらビールを飲んでほしいと杉山さんは話す。
工場から1キロ少々で海岸に出る。海を見渡すオーシャンビューの寿司屋があるらしい。魚がおいしい。
しかも2022年には、岡垣の町に日本酒の蔵元が移転してきた。七曜酒造という。ワイン、ビール、日本酒の3種の醸造所が、これほどコンパクトにまとまっている地域は珍しいのではないだろうか。杉山さんは、フクオカクラフト岡垣工場を町の観光スポットの拠点にしたいと語る。
「海老津の駅からブルワリーまでジャンボタクシーを出してもらってね、ウチでビールを飲んだら、次に日本酒の酒蔵を見学。それから海岸に行って焚き火をしながらぶどうの樹のワインとバーベキューを楽しんで、夕陽もきれいですし……と、いろいろアイデアが浮かびます」
酒飲みツアーではマイカー以外の足が欠かせない。JR海老津駅からジャンボタクシーは岡垣町の町長にも提案済みだと言う。
ブルワリーがこの町で末永く稼動していくために、杉山さんはこんな構想を語る。
「将来的には、ここで完結できるブルワリーを目指しています。現在、水は地下から汲み上げて自給できています。今後は太陽光パネルの設置を進めて、少なくとも水と電力は自給できるようにしたい。工場の立地は災害ハザードからはずれているので、災害時には避難所としても使えるように整備していきたいですね」
近隣の農家さんとの連携もある。
醸造工程で大量に出る麦芽カスは近所のトマトの生産者に引き取ってもらい、資源の循環が始まっている。時期にもよるが、タップルームには地元生産者の野菜や果物が並ぶ。飲みに来るだけでなく、買い物に来るタップルームなのだ。
オープンして1年3ヶ月余り、ブルワリーは岡垣の町の人に受け入れられているようだ。今年から岡垣町でホップの生産も始める予定だ。
フクオカの名に賭けて福岡名産をどんどん吸収
一方、福岡市内におけるフクオカクラフトの知名度もジワジワ上り調子だ。メキシコ料理店エルボラーチョの大名店をはじめとした全5店舗、PayPayドーム内の直営店を始め、市内の飲食店への販売量が伸びている。
市場拡大のカギを握るのは、やはり流通だ。クラフトビールの場合、冷蔵管理が求められる点で、一般の飲食店や小売店が取り扱う際にハードルが上がってしまう。その課題を、フクオカクラフトは酒販店との取引を広げることで乗り越えようとしていている。
営業担当の林優留さんは「ウチだけではなく、クラフトビール市場が広げられるかどうかは、いかに質を担保しながら流通できるか」だと語る。
すでにフクオカクラフトは市内の数店の酒販店を通しての飲食店への搬入を実現している。酒販店と取引できることにより、オリジナルビールのOEM生産もしやすくなったと言う。
「いろいろな飲食店のオリジナルビールのオーダーが増えました。1ロットでも数千本になりますが、これだけの量を冷蔵保存しておくのは飲食店にとっては大変なこと。そこを地元の酒屋さんに一部を保管してもらうことで、発注しやくなってきたと思います」
飲食店のオリジナルビールや企業とのコラボビールなどのオーダーメイドは、クラフトビールブルワリーの得意とするところだ。
ところで、フクオカクラフトのHPを見ると、ビールのラインナップが凄まじく多い。
「昨年は醸造量が増えたこともあって80種くらい造りました。コラボを入れたらもっとです。ちょっと多すぎました(笑) 今年は評判のよかったものをさらに洗練させて定番化を図ります」
なぜこれほど多いのか。ちょっと見てみよう。たとえば「RAMEN BOY」。これは博多名物とんこつラーメンをイメージして造られたビール。とんこつラーメンといっしょに飲めば、さらにコッテリおいしい、ゴマがたっぷりの白濁濃厚なIPAだ。
「NIWAKA Juicy IPA」は博多名物「にわかせんぺい」で有名な老舗・東雲堂とのコラボビール。お菓子のお供にもなりそうな、甘い香りとしっかりした苦みのIPA。ラベルに「にわか」のお面のデザインが施されている。ちなみに「にわか」は博多の伝統民俗芸能「博多仁和加」のことである。
イチゴブランドの「あまおう」を加えたビールや、糸島市産のレモンを使用した「レモンエール」など、福岡県産の素材も原料に取り入れている。原料でもデザインでも、できる限り福岡名産をちりばめ福岡をアピールする。それが名にフクオカを冠したクラフトビールメーカーの使命! との自負が伺える。
「明太子やとんこつラーメン、屋台、博多どんたくなど、福岡にはさまざまな名産があります。クラフトビールもその一つに数えられるようになりたい。そして、福岡の名産品として次は世界に発信していきたい」と杉山さん今後の展望を語る。
福岡という土地の魅力を詰め込んだビールを、岡垣という町の工場で生産する。そこは小さな町の観光拠点になり、町にツーリズムの流れが生まれるかもしれない。これもクラフトビールが生み出す1つの循環の可能性である。
3月13日には博多駅筑紫口の駅前に直営店がオープンする予定だ。博多の特産品になる日に向けて、また一歩、進む。
■フクオカクラフト 福岡県遠賀郡岡垣町内浦544
https://fukuokacraft.com