FILE46は、まさか、あったの?神田山です
第46座目「神田山」
実は探すのを1回諦めていました
実は、神田山も1度探してみたことがありました。さらっと調べただけですが、江戸城の築城や江戸の町づくりで、土砂採掘するために神田山は切り崩されたようです。以前、神田大明神付近からお茶の水までを調べたのですが、特に何もなかったので無いか…と1度諦めていました。
山手線沿線の山の歩き残しはないか調べていて、偶然その痕跡を見つけたのでした。
今回は都営三田線神保町駅A5登山口
今回の登山口は都営三田線神保町駅A5登山口です。僕が上京すると80%の確率で神保町に降り立ちます。なぜなら神保町には小学館をはじめ多くの出版社があるからです。また、出版社以外にも石井スポーツやさかいやスポーツをはじめとした登山用品店も多く、学生のころから古本目当てで通っていましたし、学生寮の寮生しかできない日払いのバイトが神保町でしたので、今も昔も馴染みのある町なのです。
さて、そんななじみの神保町を裏側から攻略することにしました。神保町駅を出てすぐ裏通りに入ります。するといつも正面からしか見ていない石井スポーツの裏手を通ります。神保町の裏通りには飲食店を中心に色々な面白いお店が軒を連ねていますね。
さすが出版社の多い町、さっそく文人の碑が
なんと吾輩は猫であるの碑があるではないですか?!ふと見ると小学校の敷地でした。調べてみると夏目漱石が通った小学校があったとか。小学校が統合され、この場所に建てられたそうです。ちなみに、この夏目漱石碑の並びにあるうどん 丸香には、かなり長い行列が出来ていました。ちょっとメモします。
あの山の上ホテル!
工事中の錦華公園を過ぎると、急な登りが始まりました。山の名残を感じます。
坂を上りきると、HILL TOP GEADENの文字が見えてきました。
そうです、ここをさらに登ったところには「山の上ホテル」があります。現在は老朽化もあり2024年2月13日で休館となったのでした。周りには白い工事用の柵が立っていました。
山の上ホテルは、1954年に創業。出版社が多いエリアにあったことから、作家のカンヅメに使われることが多く、ロビーで原稿を待つ編集者もいたそうです。多くの文人に愛されたことでも知られ、川端康成、三島由紀夫、池波正太郎、伊集院静などが定宿として利用していたそうです。実は、神田山はこの山の上ホテルと明治大学の創立100周年記念図書館付近だといわれているそうです。
神田山の痕跡がここに!
山の上ホテルを越えて、なだらかになった台地をJR御茶ノ水駅お茶の水橋口を目指して歩きます。JR御茶ノ水駅お茶の水橋口の向かい側、お茶の水交番の直ぐ脇に目指す場所がありました。
お茶の水の碑とその近くに神田山がかつてあった記述が載っている看板がありました。実は、ほぼ山頂にJR御茶ノ水駅があるので、御茶ノ水駅を登山口にすると、信号が青ならばTOKYO山頂ガイド史上最短の登頂になります。おそらく30秒ほどでついてしまうかもしれません。
今回、こうして歩くことで、あのFILE14で紹介した三笠山とつつじ山があった日比谷公園が、実は入り江になっていて、神田山から切り出された土でこの時埋められ、その後に築山が作られたとことを知ることが出来ました。他の山を登って他の山の歴史を知るのもTOKYOの山を歩くからかもしれませんね、かつて山だった台地、かつて海だった土地。
いまとは全く違った景色が広がっていたのでしょうね。資料を残し伝えることの重要性を感じました。100年後の誰かに、このTOKYO山頂ガイドが役に立つこともあるのだろうか?とりあえず、江戸時代の地図を見たくなりました。
次回はFILE47神田柳森富士です。