FILE53は、代官山ほど近くにある西郷山です
第53座目「西郷山」
いよいよ山手線沿線から23区内の山へ
独断と偏見で山手線沿線の山という事でTYOKYO山頂ガイドを進めてきましたが、今回から心機一転23区へ歩き進めていきたいと思います。
今回の登山口はJR恵比寿駅西口登山口です。
え?山手線沿線じゃないの?と聞こえてきそうですね。最寄り登山口は代官山駅登山口ですが、あまりにも近い。西郷山を見てどこから歩こうか考えると、恵比寿駅がちょうど良かったのです。深いことは気にせず登りましょう。
とりあえず駒沢通りを代官山方向へ
駅を出て、駒沢通りを代官山方向へ進んで行きます。駅前はさすがに人も多いですね。駒沢通りから少し中に入ったところに恵比寿神社があり、裏道を通っていくと代官山駅方向に行けるのですが、なんとなく今回は、どストレートに駒沢通りを進む気分でした。駒沢通りから、旧山手通りに入り、代官山交差点を曲がり裏通りに進んでいきます。
旧朝倉家住宅
通りに入ると直ぐに、旧朝倉家住宅の門が見えてきました。どうやら入館は有料らしいです。入ろうかなと思い、門に張ってある注意事項を読むと…。動画も写真も撮れませんでした。
諦めて先に進みます。
さすが代官山エリア、裏撮りもオシャレです。
旧朝倉家住宅を過ぎると少し急な下り坂になっていました。DEAN & DELUCA カフェやら、東京音楽大学 中目黒 代官山キャンパスが見えてきます。実にオシャレな空間です。田舎に住むコンプレックス全開で全てがオシャレに見えてきました。
坂を降りきると、目切坂の案内板が出ていました。
目切坂
この道はかって鎌倉街道だったそうです。源頼朝 が鎌倉に幕府を開いた後、何かあった場合でも援軍が鎌倉へ急行できるようにとつくられた道の一つだそうです。その後、江戸時代になると、近くに石臼の目切りをする腕の良い石工が住んでいたことから、この坂にこの名前がついたそうです。
上村坂
名前の由来は、明治時代の軍人で海軍大将・男爵に出世した上村彦之丞(かみむらひこのじょう)の邸宅がこの坂の上にあったためといわれているそうですよ。
2つの坂の下を通り、住宅地へ入っていきます。高級車に高級住宅地。INSTA360を長く伸ばして歩いている僕はどんな風に見えるのでしょう。いつもと違い、警察に声をかけられないか不安になりますね。坂を登っていくと、西郷山公園の入り口が現れてホッとしました。
西郷山公園へ、西郷山へ
西郷公園を目黒区立菅刈住区センター方向から入ると、西郷山までは登りになります。直登で階段を登っていくルートと、大きくスイッチバックしながら登るルートがあります。今回はスイッチバックのルートを選択。ゆっくり登っていきます。実はこの山も何回か来たことがあります。山頂らしきものが無く、いままで温存していました。つい最近、調べていて西郷山由来の碑があることを知りました。この碑は、歩道から見るとただの岩ですが、反対側の芝生エリアからみると、西郷山の由来が書かれてあるので、通りを通るだけだと分からないちょっと意地悪な碑です。
西郷山公園
西郷山は、台地の端の斜面を利用してつくられた公園です。この場所は旧西郷邸、西郷隆盛の弟で明治期の政治家・軍人の西郷従道(じゅうどう)の敷地だったそうです。この公園は、旧西郷邸の北東部分にあたり、付近住民から「西郷山」という通称で親しまれていたところからこの名が付いたそうです。冬のよく晴れた日には遠くに富士山も望めるそうですよ。
しっかり探さないと山の痕跡を見逃してしまいますね。それにしても、こうして、西郷山にしっかり碑があって良かった。とホットするのもつかの間、新たな問題が発生したのでした。
次回はFILE54 目黒元富士です。