FILE59は、小塚原富士です。
第59座目「小塚原富士」
今回は、JR南千住駅西出口山口からのスタートです。
JR常磐線で上野から僅かに4駅、駅に降り立ち、西出口前のロータリーに出ると東京の中でも少しのどかなイメージ。なんとなく親しみのある風景がそこにありました。少し歩きだして思い出したのが、以前台湾トレイルから帰って来る時、宿の空きが無くて南千住の宿に予約して、パソコンを自宅から送ってもらった事です。資料作りに追われていましたので、あまり歩き回りませんでした。
今回の目的地は、あの素盞雄神社です。
ロータリー奥の道を進んでいきます。とりあえず神社のある旧日光通りと並行した裏道を歩きます。何の変哲もない普通の住宅街。途中で旧日光通りへ合流すると、結構微妙な商店街というよりは、通りな感じです。ふとみると、街灯に奥の細道、千住あらかわと書かれたのぼりが通りにいくつもかけられていました。通りの名前かな?よくわからず通りを進んでいきます。
結局何もないまま神社へ
何かを探すようにきょろきょろ。何かあってくれという願いも通じず、あっという間に素盞雄神社に着くのでした。着いてしまうともう抗えません。素直に心を決めて、石造りの鳥居を一礼してくぐります。
鳥居をくぐった直ぐ左手に
鳥居をくぐると直ぐ左手に大きな山が見えました。これが小塚原富士だと直ぐに理解しました。ぐるっと周り、正面を向きます。やはり通常は登れないようですが、7月1日の山開きには登ることが出来るそうです。じつは、素戔嗚人神社御創建の起源となった「瑞光石」(ずいこうせき)のある小高い塚に、1864年に 富士塚を築き浅間神社をお祀りしたそうです。
実は各地にある素盞雄神社
素盞嗚神社、素戔嗚神社、素盞鳴神社、素戔鳴神社、須佐之男神社など二文字目が変わっている場合があるが同じく、祇園信仰の神社だそうです。特に西に多く、愛知県がもっとも多いようです。
素盞雄大神(スサノオ大神)
天照大御神の弟です。八俣大蛇を退治し、その尾から三種の神器の一つ「草薙の剣」を取り出し、天照大御神に献上した勇敢な神様です。八俣大蛇から助けた稲田姫との間には多くの子宝に恵まれ、幸せな家庭を築いた神様として知られています。
「スサ」には「清浄」の意味があり、罪・穢れ・災い・厄など身に降りかかる悪しきことを、強い力で祓い清める災厄除けの神様です。別名を牛頭天王(ごずてんのう)といいます。
ハイカー松尾芭蕉の碑
松尾芭蕉は1689年弟子の曾良を伴って深川から船で遡上して千住に降り立ち、陸奥へと旅立ちました。松尾芭蕉奥の細道600里、矢立初め(旅立ち)の旅の始まりの句として「行春や鳥啼魚の目は泪」を詠んだといわれています。松尾芭蕉の命日に、江戸随一の儒学者で書家としても高名な亀田鵬斎が文字を掘り、千住を代表する文人建部巣兆(たけべそうちょう)が座像を手がけるなど、千住宿に集う文人達により建てられたそうです。
ちょうど僕が訪れた時には、多くのひな人形が飾られていました。これは桃の節供(せちく)の雛飾りといい、多くのご家庭で飾られなくなったお雛様を神社に咲く桃の花をお供えお飾りしているそうです。
ちなみに
素盞雄神社には多種の桃の木が植えてありました。これは、邪気を祓う霊木である桃の木で災厄除けの御守を作ったからだそうです。桃の原産地である中国では、魔を祓う霊的な存在として信仰され、漢詩に登場する世俗を離れた理想郷『桃源郷』に広がるのは、桃の花だそうです。もしかしたら桃太郎も桃からうまれたのにはこんな理由があったからかもしれませんね。
次回は、FILE60同じく南千住にある白髭富士です。