東海自然歩道は東京の高尾山と大阪の箕面山をつなぐ、全長千数百kmの長距離自然歩道だ。1974年に開通してちょうど50年。この機会に東海自然歩道に光をあてよう、みんなでもっと歩けるようにしようと、トレイルハイキングの精鋭であり、トレイル文化の伝道者でもある「トレイルブレイズハイキング研究所」のスタッフたちが東海自然歩道の現地調査に乗り出した。その報告会を兼ねたイベントが開催されたので、僕も名古屋の会場へ足を運んだ。
国内の旅に目を向けるきっかけとなった長距離自然歩道
東海自然歩道はシェルパ斉藤の原点でもある。
元号が昭和から平成に変わった1989年。僕は高尾山から西に向かって東海自然歩道を歩きだした。
自ら望んで企画した旅ではない。BE-PALが創刊100号記念企画として東海自然歩道を踏破する連載を立案し、若くて体力があって時間もたっぷりある僕に白羽の矢が立った。
当時の僕は海外に目が向いていた。連載がスタートする前年もMTBでアジアの辺境を旅して、エベレストベースキャンプまで到達した。ネパール帰りだし、読者を歩く旅にいざなうわけだからと、ヒマラヤ登山ガイドの代名詞である「シェルパ」の名を編集部員につけられ、「シェルパ斉藤の東海自然歩道全踏破」の連載がスタートした。
感動や発見は身近な場所にもあることを知る
東海自然歩道に興味はなかったが、フリーランスのライターにとって、毎月定収入が得られる連載は大きな魅力だ。あわよくば連載終了後に単行本を出版できるかも、と編集者にいわれて、二つ返事で引き受けた東海自然歩道の旅だった。
ところが歩きはじめたら、思いもよらぬ出会いやドラマがたくさんあって、僕は東海自然歩道の旅に夢中になった。海外の旅に憧れ、辺境の地にこそ大きな感動があると信じていた僕に、じつは身近な場所にも感動や発見があることを東海自然歩道の旅は教えてくれた。
あのとき、日本経済はバブルのまっただ中にいた。僕は金満な日本社会に背を向け、お金に頼らず、人にも頼らず、自分の足で野営道具を背負って東海自然歩道を歩きだしたわけである。
シェルパ斉藤としての最初の旅が東海自然歩道でよかった。あの時代に身近なトレイルをシンプルなスタイルで旅したから、34年以上経ったいまでも僕は幸せな旅を続けていられる。
ジャンケンで行き先をゆだねる旅
名古屋で開催された東海自然歩道のイベントに参加した僕は、そのまま東海自然歩道を歩く旅に出た。そのルートは自分では決めずに、人にまかせた。
34年前の踏破以降も東海自然歩道はちょくちょく歩いているし、どこを歩けばいいか決め手に欠いていた。そこで思いついたのが、トレイルブレイズハイキング研究所のスタッフたちに行き先をゆだねる旅である。
彼らは東海自然歩道の全行程を3つのパートに分け、2人1組で各パートを歩いて現地調査している。各班長にジャンケンをしてもらって、勝者の班が歩いたパートのオススメルートを歩くことにしたのである。
どのパートを歩いて、どんな旅になったのかは、BE-PAL5月号『シェルパ斉藤の旅の自由型』を読んでもらいたい。
11都府県にまたがる東海自然歩道は運営管理を各自治体にまかせていて、看板や標識は都府県によって異なる。ここではどこを歩いたのか、ヒントとなる標識を掲載することにしよう。
アウトドア用の五右衛門風呂に浸かって八ヶ岳の春を満喫
話は変わって、八ヶ岳生活の近況報告を。
本日(4月2日)庭の桜が満開状態となった。ソメイヨシノではなく、サクランボの実がなる桜である。
桜の木の脇には五右衛門風呂を設置しているので、毎年恒例となっている花見風呂を満喫した。
『チームシェルパ』で参加費無料の投げ銭ライブを開催!
最後にイベントの案内を。
BE-PALのフォレストキャンプにも出演したウクレレシンガーの宮武弘さんを招いて、わがカフェ『チームシェルパ』でライブを開催します。
参加費無料の投げ銭ライブ。参加希望者は下記の案内を参考に、メールで事前申し込みをお願いします。
アウトドアが心地いいシーズンです。焚き火を囲んで、新曲『焚き火THE DAY 』をリリースした宮武弘さんのライブをまったりと楽しみましょう。僕もとっておきの旅の話を披露しますよ。