めざしたのは宝満山(829m)
コースタイム:4時間00分
総距離:6㎞
標高差:679m
GOAL 宝満山
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中宮跡
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徳弘の井
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一合目鳥居
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竈門神社
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START 内山バス停
太宰府駅から内山バス停までバスで10分。中宮跡から山頂までは男道という巨岩の多い急坂を登り下りしたが、下山は東側のなだらかな女道を歩いてもよい。
私が挑戦しました!
生徒 黒田りささん
福岡県久留米市出身。「度胸と愛嬌」をモットーに、地元テレビ局のリポーターや、ラジオ番組のパーソナリティーとして活躍する。
先生 大塚 真
ライター、編集者。石仏・石碑を見つけると裏に回って銘文を読む習性がある。編集した本に『伊能忠敬の古地図を歩く』など。
巨岩を両手で支えてはしゃぐ!
黒田さんは小学校のとき久留米市のイベントで、地元の高良山に夜どおし登り、朝日を見た思い出が今も印象深いという。
「高良山にも高良大社という有名な神社があるんです」
あれれ、生徒といっても歴史に詳しそう。けれども、登山はかなり久しぶりだという。
宝満山にも竈門神社という古社があり、今回はそこから上り始めた。参道左には石造物が並ぶ。山のなかの歴史的遺物はほぼ石に限られるから、その銘文を読むことが歴史を楽しむ第一歩となる。黒田さんをともなって碑の裏に回る。
「ロゼッタストーンのヒエログリフみたいですね」
意表をつくたとえにたじろぐ。「私、世界史専攻だったんです」
石に刻まれた種子を解読するために、参考書の『石仏探訪必携ハンドブック』を手渡した。
「種子っていうのは、さまざまな仏さまを梵字一字で表わしたもので、梵字とは……」
「インドのサンスクリット語がもとですかね。あ、これ大日如来だと思います」
なかなか詳しいなぁ……。
歴史を楽しむ二歩目は、文献との照らし合わせである。今回は測量家・伊能忠敬の日記を用意した。測量隊は、文化9(1812)年に宝満山を測量している。とくに以下の記述に目が釘付けになった。
「行者堂 巖穴中に役の行者 金の小像あり」
ネットや本を調べても、この金像に言及したものはない。見つけたら大発見ではないか。
「宝探しですね!」
日記のコピーを手に進む。まずは一の鳥居で小手調べ。日記には「大旦那筑前太守松平光之」と書かれている。柱を見るとたしかにあった。光之は福岡藩三代藩主・黒田光之のこと。太宰府の観世音寺を再興したり、貝原益軒に『筑前国続風土記』を編纂させたり、信仰や学問に力を入れた名君らしい。
いよいよ「行者堂」があった中宮跡に到着し、岩穴を探す。種子がふたつ彫られた大岩の下に、小さな仏像が安置されていた。
「ここか!」と思って中を覗くと首の欠けた仏像と小さな陶片があるだけで、金像はなかった。
「卑弥呼の金印と同じで、簡単には見つからないものサ」と、しばし感慨にふけった。
山頂に向かうと、巨岩が次々に現われる。平らな面にまっすぐな亀裂の入った岩が多い。
「『鬼滅の刃』の炭治郎が割った岩のモデルはたぶんこれです」
突拍子もないことをいう。が、よく聞いてみると、作者は福岡出身であるし、宝満山の古名は炭治郎の苗字と同じ「竈門」山。もしかするとありえるかも……。
黒田さんは巨岩を、両手で支えて、はしゃいでいる。
「先生は文字の刻まれていない岩にはテンションが上がらないんですね」と図星のひと言。
やがて、「益影の井」への分岐が現われた。案内板によると、水に顔を写すと「老顔も益々若く少壮の如く」なるという。
「来ようと思えば簡単に来られた山に、こんなにもたくさん歴史の跡があるなんて。気持ちいい汗をかくってこと以外にも、登山には“発見する”っていう楽しみがあるんですね」
頂上は雲上のような大展望。黒田さんは稚児落としの岩の上で、大宰府銘菓の「梅ヶ枝餅」をふたつ食べた。
古代の役所・大宰府政庁跡から見た宝満山。雲をまとった姿が煙を出す竈に似ていることから、古くは竈門山と呼ばれた。
07:25 種子をチェック
『石仏探訪必携ハンドブック』には種子の一覧表があり、その石塔がなんの仏さまを敬ったものかが明らかになる。
歴史の山の必携品!
(左)仏像や石塔の見方を解説する冊子。
(右)国土地理院の旧版地形図。古道発見に必須だ。
07:30 竈門神社に参拝
山は、大宰府の東北(鬼門)に当たるため、災いを除けるために山頂に神を祀ったのが始まり。こちらは下宮。現社殿は昭和2年建造。
08:00 一の鳥居の碑文を確認
右柱に「松平光之」、左柱に「平石坊弘有」の銘。弘有は廃れていた宝満山を再興した修験者。ここで林道が終わり、石段の道となる。
08:30 水場で水分を補給
徳弘の井。井戸は失われているが、沢水を汲むことができる。この前後はきつい石段の登りなので、水分補給をしておきたい。
09:00 ジブリ風の廃墟に遭遇
石塔に「福岡市寄進」。福岡の松屋百貨店が建造を試みた「岩窟ホテル」の残骸だという。もとは亀石坊という修験の宿坊跡とされる。
09:15 倒れかけた芭蕉句碑
鳥居の笠木製。芭蕉がここに来たのではなく、句中の「栗」の字が西方浄土(西+木)を表わし、縁起がいいから建てられたという。
徳弘の井の先の「百段ガンギ」。歩きやすい石段だが、上りが続くので疲れる。「これは修行ですね」とゆっくり歩を進めていく。
09:20 中宮跡で役行者像を探索
ふたつの種子の彫られた磨崖梵字岩。銘の「文保二年」は1318年(鎌倉時代)だからとても古い!
下の岩穴に役行者の金像はなかった。
09:30 二の鳥居を探索
日記に出てくる二の鳥居は柱の下部だけ残して倒れていた。
地元の登山者によれば、芭蕉句碑はこの鳥居の笠木を利用したものだという。
大正時代までは立っていた。
10:10 頂上の眺望を堪能
山頂の稚児落としの岩。山頂は360度の展望が開け、福岡市街や博多湾のほか、英彦山、雲仙岳、脊振山など九州の名山を望める。
山頂で昼食
歴史の山では地元の銘菓を。
やす武「梅ヶ枝餅」。
梅園「宝満山」。カステラと卵焼きを足したような食感。
山頂の上宮。現社殿は昭和32年建造。神社にしては珍しく西北(博多湾方面)を向いている。海防の願いが込められているという。
山頂下は巨岩、奇岩が連続
竈門岩のひとつ仙竈岩。字は書画で有名な仙厓和尚。これらの岩が竈に似ているから、竈門山と名付けられたという説もある。
11:30 益影の井で若返る
帰りに立ち寄った。道からはずれて20mほど下ったところにある。雨乞いの祈祷水に使われ、今も清水が湧く。「顔つやつやでしょ」
宝満山の岩が天満宮に
太宰府天満宮の手水鉢は宝満山から切り出した巨大な一枚岩。天満宮は竈門神社から歩いて40分。隣の九州国立博物館と合わせてぜひ。
ハイクで一句!
岩見れば
探してしまう
梵字かな
かまどりさ
※構成/大塚 真(DECO) 撮影/江藤大作
(BE-PAL 2024年6月号より)