今回は夏の北海道へチョウ採集にでかけたときにふと出合った「天国」について語ります。
「虫屋」って何だ?
人生で大事なことはすべて夏に学びました。
6月に入ると、私は北海道の林道を思ってそわそわしてきます。
本州では梅雨の真っ最中ですが、そこでは春と夏が一緒に来たような季節。花が一斉に咲き誇り、チョウが羽化する季節です。北海道のチョウは、短い夏を知っているのか、さまざまな種類が週替わりで羽化します。
虫屋にとっては、初夏の北海道とは、じつに天国そのものなのです。
あっ、「虫屋」というのは、昆虫愛好家のことです。虫屋は自嘲とプライドをもって自分たちをそう呼びます。
虫屋とひと言で言っても、カミキリを専門とする「カミキリ屋」、ガを専門とする「ガ屋」など、興味の対象ごとに細分化されています。
しかし虫屋の入口は「チョウ屋」とだいたい相場が決まっているようです。というのは、虫屋同士がフィールドで出会ったら、まず挨拶がわりに「いま何チョウを見た」とか、「何チョウの食草はこのあたりで見かけない」とか、まずチョウの情報を交わすものです。いわばチョウは虫屋の一般教養過程で、ここを経てからそれぞれの専門過程に進むのが通常のコースです。一般教養を経ないで、いきなり専門過程に行ってしまった虫屋だと、会話がもたないかもしれません。
私もまたチョウから始まり、ガ屋を経て、甲虫屋になっています。と言っても、どれも中途半端で、表面をなぞっただけで、虫屋と名乗ることさえおこがましいのですが。
オオイチモンジを探しに北海道へ
そんな私ですが何年にもわたって、オオイチモンジというチョウを狙って北海道の林道に通ったことがあります。
オオイチモンジは、名前の通り焦茶色の翅に白く一筋の線が描かれている大型の美しいチョウです。本州の高山にも生息しているが、極めて希少であり、たいてい本州の産地で採集禁止になっています。それが北海道では標高の低い所でも見ることができます。それが羽化するのが7月なのです。
高山蝶はその他にもいて、たとえばベニヒカゲやコヒオドシといった高山蝶もさほど苦労しないで見られます。また北海道にしかいない特産種も飛んでいます。とりあえずこの季節、北海道の林道に行く機会があったらすべてのチョウに注意しなくてはいけません。
目にするものがすべて未知という高揚感は、人生にそうありません。
虫屋はそれを再び味わいたくて、同じフィールドに通い続けることになるのですが、やはり初めての感動には及ばないのです。
さいわい当時の覚え書きが残っています。それを読むと当時のわくわく感が蘇ります。
以下、できるだけ加工しないでお見せします。
「荒野」とは大変カユイところ
林道は川の支流に沿って延びていた。
営林署や地元のクルマが通行できるくらいの道幅はある。もちろん舗装はされておらず、大きくえぐられている箇所もあれば、川に半分沈下した橋もある。ほとんど人が入らない林道だけに周囲の木々は伸び放題、轍(わだち)の間にも草が繁茂してクルマの底をザラザラとこする。
そろそろと慎重にクルマを進めているのに、フロントガラスに虫がぶつかる。コツリ、またコツリ。虫の層が厚いのだ。たまに大きく黒い影が横切るのは何のチョウだろう。
片側が崖になっているところで、クルマを寄せて停める。
アブは排気ガスが大好きで、クルマの背後にずっとまとわりついてくる。クルマを停めると慣性の法則でいっせいに前方、つまり運転席のほうに移動してくる。
チョウが多いところは、当然ながらアブやブヨも多い。
「日本のインテリは『荒野』『曠野』などの言葉を好んで使い、これを口にする時、涙を流して喜ぶ癖があるが、現実の『荒野』とは、まず第一に大変カユイ所である。」
とはカヌーエッセイストの野田知佑さんの言葉。けだし名言である。
しかしそうは言っても外に出ないことには、チョウを採集できない。
ままよ、勢いよくドアを明け、大急ぎでリアハッチを開いて、捕虫網を取り出す。
網を取り付けてから金属製の柄をひねって繰り出す。この短い動作の間にも、アブがやってきては無防備な腕や首筋にたかる。なかにはシャツの上から噛み付くのもいる。
しかし痛さ痒さは次の瞬間には忘れている。
ふわりと視界を横切るチョウのシルエット。まだ捕まえたことのないチョウだ。呼吸を合わせて網を振り抜く。
逃げられれば、次のチャンスを待つべく、寄ってくるアブを払い払いつつ、周囲に鋭く気を配る。
「捕れたぞ」採集網を通してチョウの種類を確認する。
ここでやるのは採集だけではない。チョウが姿を見せなくなる合間に、花に留まっているチョウをカメラで接写する。その作業の間にアブどもの群がること群がること。私にとって採集と撮影、どちらも大事な作業なのだ。
7月の道東で出合ったチョウたち
視界を横切るチョウは、ほとんどが初見のものばかり。
優雅にたくさん飛んでいるのは、エゾシロチョウ。
ミヤマカラスアゲハはありふれたチョウだが、ここのは翅に北方の空に現れるオーロラが描かれている。
すっと現れたカラフトヒョウモンを捕る。
これは翅の裏側がパッチワークのように赤茶、灰、黄、焦茶、そして銀白色となっている。とくに後翅中央の銀白色のコマが特徴で、これがないのはホソバヒョウモンという別種。シロオビヒメヒカゲという一見シジミチョウとも思える翅の裏を見せるタテハも採取。
道路脇の花にはアカマダラ、クジャクチョウなんかも吸蜜に来ている。
見たことのない明るい黄色をしたセセリチョウも採取。あとで調べるとカラフトタカネキマダラセセリという長い名前のチョウだった。
チョウを追いかける幸せな時間
レンタカーの屋根にはサトキマダラヒカゲ。大型で目立つ全国に分布するチョウだが、私はこのときに初めて見た。四十も過ぎてから目覚めた趣味で、目にするものはすべて初見、教えられることはすべて新知見という、とっても幸せな時期だったのだ。
そう、私は幸せでした。
このとき、私の脳裏には、会社のことも人との約束もありませんでした。家族のことすらなかった。
人の姿は見えません。
ヒグマは道端のフキの葉陰からこちらを見ていたかもしれませんが。
聞こえるのは川のせせらぎと、アブの羽音だけ。
ああ、天国とはこういうところなのだろう。
この瞬間は私にとって人生の転機になりました。詳しいことは書きません。いい齢をしたオヤジでも、夏に学ぶことはあるのです。
ところでオオイチモンジはどうした?