「川から何ができるのかを考えた」という山田さんは、アフリカでの植林や四万十川流域の持続可能な森づくりで先頭に立ってきた。その活動の原点とは? 関野さんが迫ります。
「世界の川をすべて旅する」をライフワークにする、川下りのレジェンドが環境保全活動を始めた理由
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
山田高司/やまだ・たかし
1958年高知県生まれ。東京農大探検部OB。大学在学中の1981年、南米大陸の三大河川を現地のカヌーで縦断し、「青い地球一周河川行」計画をスタート。川を通して自然環境の破壊にいち早く気づき、アフリカや四万十川などで環境保全活動を行なってきた。2023年植村直己冒険賞を受賞。愛称は「山田隊長」。
川は地球の血管、川下りは地球の血液検査
関野 山田さんが南米の三大河川を繋いで縦断したのが1981年。その後、世界中の川を下って世界一周を目指すのですよね。
山田 南米の川の計画を作っているとき、どうせなら世界一周しようと構想していて、地図上で世界中の川に線を引いていました。南米の後はヨーロッパとアフリカを行き来しながらセネガル川、ニジェール川、セーヌ川などを下りました。さらに1990年には長江を下りました。
関野 その後、活動の重心が川下りから植林に移っていきました。それはどうしてなのですか?
山田 僕は農大探検部のちょうど20期生で、もう一度創部の原点に立ち返ろうというのが活動指針でした。そこで何度も見直していたのが、1961年の創部宣言でした。「未知なる土地の人と自然を愛し探求する。かつその発展に寄与し究極の目的は世界平和にある」。
ラブアンドピースがしっかり入っていて、いま見てもいい宣言だと思います。僕たちは、ラブアンドピースの精神で川から何ができるのかを考えました。そして、川から世界を見てみることにしたんです。川は地球の血管みたいなものです。だから、地球の血液検査をして問題を見つけ、解決策を探り、ラブアンドピースで世界の環境問題と平和の問題を解決しようじゃないかと壮大な夢を描いたんです。
大まかには、1980年代の10年間で世界中の川を回って検査し、1990年代はその解決にあたろうとしました。ですから、環境回復運動に重心が移っていったのは、ある意味予定通りでした。同時に、背中を強く押すできごともありました。1985年と1986年にニジェール川を下ったとき「飢えるアフリカ」を目の当たりにしたことです。ニジェール川は西アフリカの熱帯雨林の源流から北東に進んでいったんサハラ砂漠に入り、そこで大きく南に曲がって再び熱帯雨林に戻ってギニア湾に注ぐ大河なのですが、流域のかつて森だったところが砂漠化して砂丘になっていました。
そこで枯れ枝みたいに痩せた子供たちを見て、素晴らしい想いをいっぱいさせていただいた人たちに何とかお返しをしたいと思い、調査の上で植林を始めたんです。1991年から1996年まではチャドで、1997年から2005年まではルワンダで植林を行ないました。おもしろいのは、今の時代、僕らが作ったマンゴーやグアバの果樹園をグーグルアースで見られるんですよね。自分が植えたインドセンダンの木がわかることもあってとても嬉しいです。
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以下の動画で、誌面に掲載しきれなかったこぼれ話をお楽しみください。