アダム・ドライバー演じるエンツォ・フェラーリをはじめとして、この映画はこれまでのモータースポーツ映画とは一味も二味も違う。映画の見どころと、独特の深みをリポートします。
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モータースポーツを描いた名作映画
映画『FERRARI』を配給会社の試写室で観てきました。
クルマやモータースポーツを題材とした映画は、いつの時代でも製作されてきました。2019年の公開時に観た『フォードvsフェラーリ』は1966年にフォードがルマン24時間レースで優勝するまでを、テストドライバー出身ながらレースでも重要な役割を果たしたケン・マイルズを主人公に設定し、大袈裟な仕掛けやハッタリなどを用いず秀作に仕上がっていました。
『ミシェル・ヴァイヨン』はルマン24時間レースを題材とした2003年のフランス映画。実際のルマン24時間レースに映画のためのマシンをエントリーして走らせた撮影シーンを現地で見ました。その後、パリのスタジオにも取材に行きました。もともとはフランスのコミックスであり、テレビアニメ作品が映画されたものでした。
もっと前となると、『デイズ・オブ・サンダー』が印象に残っています。NASCARシリーズというアメリカのストックカーレースのドライバーをトム・クルーズが演じ、ニコール・キッドマンが相手役となる1990年の作品です。
さらに遡れば、スティーブ・マックイーンが資金を投じ、主演を務めた『栄光のルマン』は、その名の通りルマン24時間レースをドキュメンタリータッチで撮影した1971年の作品です。
もっと昔だと、世界を転戦するF1グランプリを群像劇として描いた『グラン・プリ』が1966年に公開されています。もちろん、公開当時ではなく、のちに名画座だったかレンタルビデオだったかで観たことがありました。ジェイムズ・ガーナーやイヴ・モンタン、カーク・ダグラスなど当時のスター俳優がF1レーサーを演じたハリウッド作品です。F1参戦中のホンダをモデルとしたであろうヤムラモータースのオーナー、ということは本田宗一郎を三船敏郎が渋く演じています。
日本映画では、『栄光への5000キロ』(1969年)で石原裕次郎がサファリラリーに挑むという大作がありました。これも劇場ではなく、ずっと後になってBSで放送されたものを観たことがあります。他にも、たくさんのモータースポーツを題材にした映画がありました。
多くの作品は、どれも優れたエンターテインメント作品に仕上がっていました。レーサーたちがいかにして勝利を収め、チャンピオンの座に就くのか。そのプロセスそのものが物語となります。
いずれも、娯楽映画として満足できるレベルに達していながら、F1レースとは、ストックカーレースとは、ルマン24時間レースとは何かなどに対する啓蒙効果も大きく果たしていました。
従来のクルマ映画とは一線を画す点
しかし、『FERRARI』はそうした類型とは少しばかり趣向が異なっていました。まず、主人公がレーサーではなくエンツォ・フェラーリである点。フェラーリ社の創設者であり、経営者であり、レースの責任者でもあるエンツォが主人公です。彼には婚外子がいて、その母親や妻との関係なども重要なモチーフとして描かれています。
主人公の行動の動機付けが複数存在していることから、単純な流れに陥っていないところがこれまでのモータースポーツ映画と違っているところです。
物語のクライマックスは1957年のミッレミリアに設定されています。イタリア国内の公道を1000マイル(1600km)走るレースです。公道ですから危険も剥き出しで、たくさん潜んでいます。創成期のレースは、このミレミリアのような都市間の公道レースでした。時代の変遷に伴って公道は使われなくなり、次第にサーキットでレースが行われるようになります。
公道レースを舞台に選んだことは映像として大きな成果を挙げています。サーキットではなく、公道レースをハイライトに設定して良かったのは、映像に広がりが出ることです。山々の間を赤いフェラーリやマセラティなどが駆け抜けるシーンではドローンによる上空からの撮影によって自然の大きさが表現できていて、反対に町や村の石造りの建物の間の細い道を抜けていくシーンなどでは、自分が走っているかのような感覚にしばし浸ることができます。
CGを多用し過ぎていないように見えるのも好ましかったです。イタリアの自然と都市、1950年代後半のフィアットやアルファロメオ、ランチアなどのクルマや人々の装い、建築、腕時計やストップウオッチなども抜かりなく描写されて、好きな人たちには大いに楽しめるでしょう。
テスト中やレース中などのクラッシュシーンなども決まりごとのように派手な映像処理や演出が行われていないところも大いに首肯できました。
アダム・ドライバーが演じるエンツォ・フェラーリ
しかし、それと表裏一体とも言えるのがアダム・ドライバー演じるところのエンツォ・フェラーリの明るさのなさ、表情の乏しさです。会社を存続させ、レースに勝ち、妻や愛人などと上手く日常を重ねていかなければならず、つねに呻吟しながら二重三重の苦悩に囚われているのですから、明るく振る舞えないのも無理はありません。笑顔を見せるのも、終盤に子供に向けた一瞬だけです。
その実在の子供が成長した現在の境遇も、テロップで最後に明らかにされます。他にも、登場人物のその後の様子がエンディングでテロップで明らかにされます。この手法はジョージ・ルーカスが『アメリカン・グラフィティ』で始めたそうですが、物語の余韻を長引かせることができる反面、一方では、どうしても説明的にならざるを得なくなってしまいます。
やはり、ヒッチコックが『映画術』という本の中で「映画における物語の推進力は、俳優たちの演技によって生み出されなければならない」とトリュフォーに説いているように、セリフやテロップでの説明が増えてくると、冗長にならざるを得なくなります。
反対に、ミッレミリアの悲劇的な結末は映像で表現されていますが、僕には露悪的で悪趣味過ぎるように感じられました。
ハッピーエンドではない結末が暗示するもの
ハッピーエンドではない結末も、フェラーリ社のこの後の迷走ぶりを暗示しているかのようです。やはり、エンツォ・フェラーリという男の生涯は1本の映画では描き切れないほど濃密であったのでしょうか?
物語を構成する要素を少し削ってみてはと思わなくもないでした。しかし、単純化や類型化してしまっては、この映画の深みは出せなかったでしょう。クルマやレースではなく、エンツォという男の苦悩に力点が置かれている脚本なので、重く、暗めの仕上がりです。だから、そのぶん見応えがあるし、反芻にも耐え得ています。クルマとモータースポーツを扱った映画としては稀有な作品に仕上がっています。
映画『フェラーリ』概要
7月5日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
配給:キノフィルムズ
監督:マイケル・マン(『ヒート』)
脚本:トロイ・ケネディ・マーティン
原作:ブロック・イェイツ著「エンツォ・フェラーリ 跳ね馬の肖像」
出演:アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシー
2023年|アメリカ|英語・イタリア語|カラー・モノクロ|スコープサイズ|原題:FERRARI|字幕翻訳:松崎広幸|PG12