FILE.64は、江戸川区にある 長島富士です。
第64座目「長島富士」
東京メトロ東西線・葛西駅の博物館口登山口より出発
前回に続き、今回も登山口は葛西駅。いつもは隅田川を超えることがないのに、いきなり来てしまいました。この沿線は単独の路線の駅が多く、南北に移動するのが大変な様子でした。
ノートPCを見ながら計画を立てていると、今回止まった宿のスタッフの方にバスを利用すると良いと教わりました。各駅からバスが出ているそうで、都営バス1日券を購入すると、バス・都営線をお得に利用して時短で移動できるそうです!
今回の長島富士は、FILE.63の桑川富士と結構近い位置にありました。同じルートを通るのもつまらないと思い、博物館口登山口からの出発を選びました。しかし、今回も全く見どころを見つけられないまま、不安の残る中での出発となったのです。
実は、前回の山行でも地下鉄博物館を通りましたが、前回はネタが豊富だったので温存していました。ということで、今回はさっそくメインのカードを切ります。
地下鉄博物館
1986年開館した東京メトロ東西線葛西駅の高架下にある、地下鉄を専門に扱った博物館です。館内の一部で銀座線開通時の上野駅ホームを再現しているそうで、地下鉄で実際に使用された車両の展示、地下トンネル点検車のほか、地下鉄運転シミュレーター、鉄道模型レイアウトや模型の展示もあるそうですよ!
じつは、館内には図書室もあり、鉄道関係の一般書や絵本なども置いてあるそうです。※土・日・祝日のみで資料帯出・コピーはできません。まさに地下鉄の歴史を知ることが出来る博物館です。
詳しくは、地下鉄博物館のホームページをご覧ください。
駅の高架下にある地下鉄博物館を過ぎ、そのまま歩いていきます。
きれいな公園、住宅街、しばらくは特に何も見るものがない不安な時間帯が続きます。ただの散歩なら静かな街並みにホッとしますが、記事を書く身としては心中穏やかではありません。
随分歩いてきました。どんどん目的地が近づくのに何もない…と思っていた中で、お寺と神社を発見。
梵音寺(ぼんのんじ)
梵音寺は曹洞宗の古いお寺だそうで、寺に伝わる由来によると、847年慈覚大師が唐から帰朝する時、航行をなやます暴風が起こり始め危険な状況になったところ、観世音菩薩に救われて、この地、袖しが浦に上陸することが出来ました。
そこでここに建物を建て観世音菩薩をまつったのがこの寺の始まりだそうです。また、その時海上より竜燈(主に海からでると言われている火)が寺の境内にある古い松へ上ったので、この松を「竜燈の松」と名づけたそうです(現在は枯れていて根しか残っていません)。
長島村は「長島の湊」として早くから開けたところであり、また同寺境内からは室町時代末期に作られた宝篋印塔(ほうきょういんとう)の破片などがみつかったところからみても創立は相当古いそうです。
長島稲荷神社
稲荷神社は日本で一番数の多い神社で、その数は3万社以上もあるんだそうです。総本社は京都の伏見稲荷大社だそうで、江戸時代には江戸城下を含め、東日本にも数多く迎え入れられたのだそうです。
この地域の地誌「新編武蔵風土記稿」(しんぺんむさしふどきこう)によると162社の神社が掲載されているとか。そのうち30社は稲荷社で、江戸川区域でも最も多い神社だそうです。江戸時代の初めに新田開発された地域では、五穀豊穣(ごここくほうじょう)を祈願して村や組の鎮守(ちんじゅ)となったそうですよ。
さらに住宅街に入っていきます。すると、また1つお寺があるのでした。
東善寺
東善寺は、真言宗豊山派のお寺で医王山応心院と呼ばれているそうです。寺院にまつられている薬師如来像(やくしにょらいぞう)は、眼病に御利益のある「薬師像」として広く知られています。この薬師如来坐像は719年に、大坂春日野で制作されたもので、1152年、空円上人がここに安置したと伝えられています。
東善寺は「葛西大師まいり」(長島・桑川組)の巡礼する霊場の一つとなっています。この大師まいりは、弘法大師をまつる霊場を巡拝し、万霊を供養し、二世(現世と来世)の安楽を願います。江戸川区では、古くからこうした大師巡拝がさかんだそうです。
梵音寺、長島稲荷神社、東善寺と住宅街に多くあらわれた神社やお寺は、この長島地区が古くからあるという歴史を物語っているのかもしれませんね。そして、このお寺や神社の並ぶ住宅街に、今回の目的である香取神社がありました。
香取神社
長島香取神社は長島村の鎮守で、旧別当は真言宗の覚王山自性院だそうです。1861~64年に、火災で古記録が焼失したため、創建年代や由緒は分かりませんが、400年以上の歴史があるだろうと言われていて、香取神宮から迎いいれたそうです。
古くは茂呂神社と呼ばれていたそうですが、茂呂の名の由来はわからないようで、この地域の地誌『新編武蔵風土記稿』には「茂呂神社 村内の鎮守とす。祭神香取太神宮なり。茂呂と号せる謂われを伝えず。本地仏十一面観音を安ず」とあるのだそうです。
ちなみに、香取神社はこの周辺にとても多く、他にもこの香取神社以外に8つあるそうです。
- 香取神社 江戸川3-44 旧上今井村の鎮守。
- 香取神社 西一之江3-35 鎌倉時代に藤ヶ谷氏祖先が創建。
- 香取神社 中央4-5 旧西小松川村の鎮守。
- 香取神社 東葛西1-45 旧下今井村の鎮守。
- 香取神社 中葛西5-36 旧東宇喜田村新田の鎮守。
- 香取神社 東葛西4-38
- 香取神社 旧 東 宇喜 田村 雷 鎮 守 。慶安 2年 (1649)創 立。天保 7年 (1836)真蔵院の所管に際し、 隣に 移動 。
- 香取神社 中央4-25 旧東小松川村の鎮守。
これだけ香取神社があると、もしかしたらFILE.64以降に登場する神社もあるかもしれませんね。
香取神社の鳥居を抜けると、広い敷地の奥の方に富士塚があるようでした。
長島の富士塚
頂上に近い部分はボク石(溶岩)を積み上げて作られていて、下部は丸石で覆われています。高さは約4メートル。
頂上には「浅間神社」と刻まれた石碑があります。塚の南側にある「御山築設の由来」によると、この塚は、1908年に旧長島・桑川両村の山玉三拝講の人びとによって築かれたそうです。以降、1917年に長島・桑川・南新川・十五面などの有志によって改築されたと記されています。
こうして住宅街にひっそり佇む長島の富士塚。建立から現在まで、地域の方々に愛されてきた様子が目に浮かびますね。さすが江戸川の富士塚です。
次回は、江戸川区にある今井の富士塚です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。