好奇心を持って危険なところに入っていくという行動原理が探検部的な安田純平さん。その原点に関野さんが迫ります。
命のリスクを承知の上で戦場に飛び込んでいくジャーナリストが語る戦場のリアル
関野吉晴/せきの・よしはる
1949年東京都生まれ。探検家、医師、武蔵野美術大学名誉教授(文化人類学)。一橋大学在学中に探検部を創設し、アマゾン川源流などでの長期滞在、「グレートジャーニー」、日本列島にやってきた人びとのルートを辿る「新グレートジャーニー」などの探検を行なう。
安田純平/やすだ・じゅんぺい
1974年埼玉県生まれ。一橋大学卒。信濃毎日新聞の記者を経てフリーランスのジャーナリストに。2002年からアフガニスタンやイラク、シリアなどの紛争地を中心に取材を続けている。2015年、シリアで武装組織に拘束され、3年4か月監禁された後に解放された。
戦争状態になると砲火の下の人間はどうなるのか?
関野 戦争や内戦が起こっているところに飛び込むモチベーションは何なのですか?
安田 高校生のときに湾岸戦争が起こり、夜空に砲火がチカチカ光る映像をテレビで見ました。でも映像はチカチカばかりで、その下の町の様子は全然出てこなかった。チカチカの下にいる感覚というのはどんななんだろうと当時すごく思ったんです。戦争状態になったときに人間はどうなるのか、自分自身はどうなるのか、見てみたかったし経験したかった。それが一番大きなモチベーションになっています。
関野 どうなっているんだろうという好奇心を持って危険なところに入っていく。発想が探検部的ですね。
安田 大学時代には休学してアラスカに行き、ユーコン川を下ったこともあります。100㎞四方に人がいないところに行って、自分がどうなるのか知りたかったんです。
関野 なぜ、フリーランスに?
安田 イラク戦争が始まることがわかったので新聞社を辞めました。リアルタイムで戦争を見る機会なんてなかなかないのでどうしても見たかった。
関野 2003年ですね。アメリカを中心とする有志連合がイラクを攻撃した戦争ですが、新聞社にいながら取材することはできませんでしたか?
安田 日本の新聞やテレビは全社がイラクから撤退しましたから、どこのメディアにいても無理でした。会社を辞めた私は開戦前からイラクに行ってフセイン政権崩壊まで取材し、その後も2度取材して、2007年には、内戦が激化していたイラクに戦場出稼ぎ労働者として再び入りました。
関野 戦場出稼ぎ労働者というのは?
安田 米軍は、戦闘以外の業務は民間の労働者にやらせるんです。兵士にやらせると効率が悪いからです。すると、収入が少ない地域の人たちが、少しでも多く稼ぎたいと集まってくる。イラク戦争では外国人労働者が何万人も入っていて、「戦争の民営化」が顕著でした。
私はクウェートで就職活動をして、料理人の仕事を見つけて入りました。バグダッドから南に150㎞のところのあるイラク軍基地の建設現場で働いたのですが、ネパールやインド、フィリピン、アフリカなどから多くの人が出稼ぎに来ていました。彼らはブローカーに何千ドルという斡旋料を払って来ているのですが、それは戦場ではもっと稼げることを意味します。こういう出稼ぎ労働者がいないと、今や戦争はできないんです。
この続きは、発売中のBE-PAL7月号に掲載
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