FILE.65は、江戸川区にある今井の富士塚です。
第65座目「今井の富士塚」
都営新宿線瑞江駅北口登山口からの出発
今回の登山口(最寄り駅)は、初めて降り立つ都営新宿線の瑞江駅。調べてみると1986年の開業と比較的新しく、都営新宿線の船堀−篠崎間の延伸に伴って出来た駅なんだそうです。ちなみに建設当時は「西瑞江」と呼んでいたのだとか。
今回めざす今井の富士塚までの道のりは、結構距離があり複雑でした。軽くグーグル先生を頼りに歩く事にしました。瑞江駅の通りは、新しいビルが多く立ち並ぶ、新しい町並みです。
お気づきかと思いますが、今回も住宅街を通りそうな予感です。これ!というものは何も無いかもしれません。そんな不安を抱えつつ歩き出すと、大きな開けた敷地が見えてきました。何かと思って門の前から見ると、今井自動車教習所がありました。駅前に自動車学校があるシチュエーションってあまり記憶がありません。便利でいいですね。
え、ここで田植えが出来るの?
今井自動車学校の角を曲がり、住宅街方向に進みます。すると新しく綺麗な公園が見えてきました。ふとのぞくと中に湿地帯のような一角がありました。何か植えるのだろうか。歩いていた時には全く気にしていませんでしたが、あまりにもネタが少なすぎて調べてみると、町会の方が近くの下鎌田小学校の生徒に田植え体験をさせてくれるのだとか。田植えの出来る公園なんて珍しいですね!
世にも鬼門な住宅街
更に住宅街を進んでいきます。もはやロストしそうな住宅街で、同じ道を戻ってくる自信が全く無いほど特徴のない道のりです。一度大きな通りに出て安心したのもつかの間、グーグル先生は僕にさらなる試練、袋小路へと導くのでした。
もう、同じ道を通って戻ることは不可能だと感じました。今回のルート図は、僕が歩いた袋小路等は割愛しました。(ルートが違っていたらスミマセン。動画は撮りなおしました)たまに、グーグル先生でナビをして車で出かけると、細い峠道で大きなトラックとすれ違ったとき、あー、グーグル先生に導かれてトラックもこんな道を来たのかと嘆く。そんな感じでした。
なお、江戸川区に入り歩いていると、お庭にお稲荷さまでしょうか、祀ってあるお宅を見かける事が多くなりました。一般的お庭にお稲荷さまがある場合、商売繁盛や土地の災いを鎮めたりするために祀られたり、同じような目的かもしれませんが、屋敷神(やしきがみ)(※屋敷に付属している土地に祀られている神・神社)として祀られる事が多いようです。
この辺りは江戸時代に治水されてきたエリアですので、五穀豊穣や舟運(しゅううん)で栄えたその名残なのかもしれませんね。
すずやかな親水緑道
ようやく住宅街を抜けると、FILE63の桑川富士で見かけたような遊歩道が見えてきました。今回は鎌田川親水緑道です。
鎌田川は1950年、江戸川用水と結ばれる形で、農業用水路として作られた水路です。その後、市街化が進む中で、家庭からの排水が流れ込む排水路となり、蓋をかけ歩行者用通路として利用されてきましたが、下水道整備に伴いその役目は終了しました。現在はこの跡地を利用し、緑豊かな親水緑道として整備されたのだそうです。
残念ながら方向が違うので水路を通らず、そのまま進んでいきます。やがて浄興寺と浄興寺幼稚園が見えてきてさらに進むと、地蔵菩薩が見えるので角を曲がると直ぐに目的地である今井富士のある香取神社が見えてきます。
気付いたでしょうか?そうです、FILE64の長島の富士でご紹介した江戸川に9つある香取神社の1つ、上今井香取神社に今井富士はあるのです。
上今井香取神社
上今井香取神社は1564年に武州葛西領上今井村一帯の鎮守として創建されました。1966年には近くにあった上今井八雲神社を合併したそうです。
今井の富士塚
高さが約2メートルあり、全体がボク石(溶岩)で覆われています。現在の富士塚は1930年に上今井割菱八行講(わりびしはちぎょうこう)によって築造されました。頂上近くがそそり立っているのは、富士山の山容を強く表しているからだそうです。頂上に石祠を祀り、登山道の途中に「浅間大神」の碑があります。そのほか「元祖食行身禄」の碑などもありました。
ちなみに——。
神社の前の通りを渡り、土手を登ると直ぐに江戸川が見えます。今井の富士塚の資材もこうして江戸川から運ばれてきたのかもしれませんね。土手のすぐわきには、屋形船の乗船場がありました。富士塚を登り、屋形船で江戸川の歴史に想いをはせ、料理を楽しむ。いつか、そんな贅沢な山行をしてみたいですね!
次回は、江戸川区にある下鎌田富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。