アパラチアントレイル最終章 ビバルマントラックの旅 vol.021
「君がMASAか?日本人だろう? 君は有名だよ、そしてハンサムだってね」
この言われ方は初めてでした。ウォールポールに着くとYHAに宿泊していたハイカーに声を掛けられたのです。彼は、これから出発するようでした。誰がハードルを上げるようなことを言っているのだろう? と思ったり、オーストラリアでは受けるのかな?と思ったり。
ウォールポールで僕は久々のゼロデイを取る予定でいました。ここからは1つ山を越えると、一気に海岸線へルートが変わります。そして、残りもデンマークとゴールのアルバーニを残すだけになるのです。
そんなタイミングで2014年から使い続けた、フォックスファイヤーのトレッキングポールが故障!
2014年ニュージーランドのトレイルテアラロアから始まり、2015年ジョンミューアトレイル、2016年インターナショナル・アパラチアン・トレイルと、延べ3年。5,000kmを超える旅で、僕のハードな使い方によく耐えてくれた。とは言え、この小さな町にアウトドアショップはなく、1本で歩くのか…。
そんなこと考えていると、ホステルのスタッフのリチャードが、ちょっと見せてみてと言ったので、渡すと「きっと直せるよ」といって、バックヤードから、工具を持ってきてくれました。
その風貌に似合わず器用に手際よく、修理してくれたのです。「あとはセメントが乾くのを待つだけだよ」といって僕に返してくれます。なんと優しいんだ。
ウォルポールの町はコンパクトでけっこう好きでした。スーパーが1件あるのもうれしく、1日数回来店する僕をスタッフはすぐに覚えてくれて、毎回話しかけてくれます。
お昼過ぎ、夕食の材料を探しにスーパーへむかう途中、偶然ロイと出会いました。ちょうど町に着いた様子で、握手をすると「MASAと同じところに泊まるよ!」と。ロイはかなり足を痛めている様子で、明日パース行きのバスに乗って帰るそうです。
「MASA、海沿いのルートはとてもきれいだからゆっくり歩いてね、とにかく最高だよ!」と何度も言っていたことを思い出します。
ロイもきっと楽しみにしていたのかなと思うと、それを見れずに帰るのも寂しいだろうと感じました。
翌日、ロイを見送ると、僕はこの先のスケジュールを確認しました。
ウォールポールから先は、川幅200mくらいのところをカヌーで渡るポイントと、潮の満ち引きの関係で通れるか分からないエリアを通過しなくてはなりません。
少しだけ、テアラロアを思い出しました。僕の一番嫌いなルート条件です。しかも、カヌーは管理する人がいない様子。
情報によると、圧倒的に南へ歩くハイカーが多いため、乗れるカヌーが無い場合もあるそうです。
その時は、着た道のりを戻り大きく道路を迂回しなくてはなりません。その距離は記されていませんが、場合によっては丸1日迂回に費やされてしまうように見えます。
潮の満ち引きで通れないエリアも、迂回路はあるのですが、同じように道路を大きく迂回するため、どのくらいかかるか予測できませんでした。
対策は…「食料を多めに持つ」しか考えつきませんでした。
この手のルートを通らせる意図を僕はいつも理解できないでいます。アメリカのトレイルでは、通れるかどうか分からないのは、山火事が起きたなどの自然災害に遭遇するだけなのに。
個人的には、道路を迂回しなくてはならないなら、ヒッチハイクをしようと考えていましたが、地図を見る限りきっと車なんか1日に1台も通らないような道にしか見えませんでした。
もうあとは天に祈るだけです。
翌日の準備をしていると、リチャードが、「また、明日から歩かなきゃいけないから栄養をつけないと!」といって、ステーキ用のラムチャップの肉を2枚くれました。
夕方、それを調理をしていると、美しいアジア人の若い女性がやってきました。その女性は家族と一緒だったようで、たまたま同じタイミングで夕食を作ることになったので、話しかけてみると、台湾から来たと話してくれました。
ただ、英語があまりできないようだったので、英語が堪能な彼女のお母さんとばかり話すはめに…。娘さんと少しお話したかったな…と後ろ髪をひかれつつ、僕は早めに寝て、いつものように早朝に出発したのでした。
つづく
【Profile】斉藤正史
山形県在住
LONG TRAIL HIKER
NPO法人山形ロングトレイル理事
トレイルカルチャー普及のため国内外のトレイルを歩き、山形にトレイルを作る活動を行う。
ブログ http://longtrailhikermasa.blog.fc2.com/
山形ロングトレイル https://www.facebook.com/yamagatalongtrail