FILE.72は、江戸川区にある平井諏訪神社の富士塚です。
第72座目「平井の富士塚」
今回もJR平井駅北口登山口からの出発
前回に続き、今回もJR平井駅から出発。しかも、同じ北口登山口です。実は、目的の平井富士までは徒歩7分ほど。すたすた歩けば、あっという間に着いてしまう距離です。何も書くことがないなんてことになったら困るなと思いつつ、北口から前回伺った安養寺の富士塚と同じ方向に進んでいきます。
前回曲がった呑み処 がんちゃん家を曲がらず真っすぐ歩いていきます。そこから蔵前橋通りをそのまま渡り、ぐんぐん進みます。
やばい、もう半分くらいの地点まで来てしまった。急に焦りだします。動画もこの調子で行くと2倍速ぐらいが限界か。4倍速にしたら2分持たないかもしれない。とはいえ、特に良案も浮かびません。ここまで来たら覚悟を決めるしかありませんね。
由緒ある煎餅屋さんとお寺
不安にかられながら歩いていると、目に入ってきたのが金太郎せんべい 田尻商店です。何かないか必死に探していると、見つかるものです。
昔ながらの丸い瓶にせんべいが入っています。調べてみると、金太郎せんべい田尻商店は、初代である田尻弥平さんが栃木県佐野市で「弥平煎餅」を開店したのが始まりだそうです。大正12年に東京下町へ移り、2代目にあたる田尻一郎さんが跡を継がれました。昭和23年頃有限会社となり、現在の店主の方は3代目になるそうです。
東京下町だけで90年以上。開店してからはすでに120年以上の間、初代からの味がそのまま受け継がれています。じつは店頭から工場内を見ることができます。人気は「ザラメせんべい」で、オンラインでも購入できます!
続いて目に止まったのが、燈明寺(とうみょうじ)。燈明寺は、新義真言宗に属し明雅山明王院(みやびやまみょうおういん)と称し、本尊の不動明王は身長1丈3勺(3.9m)で胎内に弘法大師1刀3札の不動明王を安置しているそうです。開山は元暁法印(がんぎょうほういん)といわれていますが、年代は不詳だそうです。
本堂は大正12年関東大震災の際に被災したため、1929年に起工し同1944年に完成したそうです。建物は総高14.4m、幅17.1m、奥行27mの金堂造りで、内部の奥の院は飛鳥朝風、中陣は平安朝風に、外陣は鎌倉風に造られ、シャンデリヤは鹿鳴館で使用されたものだそうです。先代澄道大僧正は、正岡子規や伊藤左千夫などと親交が深かったので、それらの文人たちの短冊をはじめ、雪舟の「水墨山水図」、「南岳草花図譜」、応挙の「宇治橋」、牧渓の「虎の図」などを所蔵しています。
また、燈明寺の別堂である聖天堂は「平井聖天」といわれ、古くから埼玉県妻沼聖天、File.57で紹介した江戸浅草待乳山聖天とともに関東三聖天の一つとして知られています。江戸時代には歴代将軍の鷹狩の時、聖天に参詣され、御膳所にもなっている由緒正しきお寺なのです。立派な佇まいなのも納得の由緒ですね。
燈明寺を正面に道なりに曲がって少し歩くと、面白い建物が見えてきました。入り口には犬の像があり、「Pet Care Montion J’s ハウス」と書いてありました。入り口付近には、ペット専用のシャワーがあります。よく見るとウンチダストまでありました。マンションですし、あんまりキョロキョロすると不審者に思われてしまうので、軽く見学して先へ進みます。
普段、山形に住んでいるとペット用のマンションを見る機会がありませんが、実際にこうして都会を歩いていると本当にあるのですね。ワンちゃんと住むにはいい環境です!
いよいよ平井諏訪神社へ
「Pet Care Montion J’s ハウス」を過ぎると直ぐに、平井諏訪神社の大きな鳥居が見えてきました。さらに先に進むと富士塚にほど近い場所に、石の小さな鳥居も見えてきました。
平井諏訪神社
享保年間(1716-1735年ころ)に信州出身の燈明寺の惠祐法印(けいすけほういん)が、諏訪大社から神霊を勧請し創建。下平井村の鎮守社となりました。1933年には、四所神社・稲荷神社を合祀し、いまの平井諏訪神社となったそうです。1843年の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築が変化する特色をよく伝えているんだそうです。
平井富士塚
平井の富士塚は1920年頃、旧下平井村の丸星講(まるぼしこう)の人たちによってつくられました。高さは約1.5mと小さめの富士塚です。登山道が2本あり、1本は頂上に向かって、もう1本は中腹の小御嶽神社に通じています。
駅からわずか7分ほどの登山でしたが、旧下平井村の歴史まで分かる山行でした。前回、今回とJR平井駅の北側を中心に歩きましたが、平井の町も結構ディープですね!
次回は、江戸川区の逆井富士です。
※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。