神奈川県川崎市を横切るJR南武線の沿線にも、近年クラフトビールブルワリーが増えてきた。その中でも早く、2011年に久地駅の近くで創業したのがブリマー・ブルーイング。アメリカと日本のブルワリーで醸造経験を積んだスコット・ブリマーさんが夫婦で開いたブルワリーだ。
土地勘のある場所でビールを造ろう
川崎市最大のターミナル駅川崎と、東京の西のターミナル駅立川を結ぶJR南武線。武蔵小杉、武蔵溝ノ口、登戸などをつなぐ川崎の大動脈でありながら、いまだに6両編成の黄色い電車として独特のローカル色を放つ。
その南武線のちょうど真ん中あたりに位置する久地駅は、登戸と武蔵溝ノ口のちょうど中間にある。沿線でも5指に数えられそうなマイナーな駅である。その小さな町に2011年、ブリマー・ブルーイングが創業した。
経営するのは、スコット・ブリマーさんと小黒佳子さんの夫婦だ。ふたりが出会ったのはアメリカのカリフォルニア州立大学。1990年代後半、小黒さんは国際関係論を学んでいた。スコットさんは大学に通いながらアメリカでも有数のブルワリー、シェラネバダ・ブルーイング・カンパニーでアルバイトをしていた。日本にも熱烈なファンがいるブルワリーで知られる。ここですっかりクラフトビールに魅入られたスコットさんは、ブルワーを目指して、そのままシェラネバダ・ブルーイング・カンパニーに就職した。
2002年にふたりは結婚。当時の日本は地ビール人気が低迷していたが、「本物のクラフトビールを広げたい」と日本でのビール造りを決断。スコットさんは静岡県の御殿場高原ビールで醸造家として働きながら独立の準備を進めた。静岡県には当時、御殿場高原ビールのほか、富士桜高原麦酒、反射炉ビア、ベアードビールなど、今も名だたるクラフトビール(地ビール)がひしめいていた。
5年ほど勤務して、2011年春。東日本大震災があった春に、スコットさんはブリマー・ブルーイングを立ち上げた。この時期を選んだのは、スコットさんが「日本にこれからクラフトビールの大きな波が来る」と予想したからだ。見事に当たった。
問題は場所だった。どこにブルワリーを建てるか。地ビール先進地だった静岡県にそのまま留まる選択肢もあった。しかし、選んだのは川崎。妻の小黒佳子さんの実家に近い久地だった。
小黒さんは川崎市の二子新地という町に生まれ育った。実家はブリマー・ブルーイングから車で10分くらい。歩いても30分くらい。ほぼ地元と呼んでいい。
「いろいろ考えたのですが、最終的にはいちばん土地勘のきく所を選びました。私たちは一からブルワリーを造らないといけないので、知っている場所のほうが何かとスムーズに進められると思いました。それに近くに私の実家があるというのは、大きなアドバンテージ。子育てもありましたし、何かと頼れる場所があることは重要でした」と、小黒さんは地元の利を話す。
たしかに買い物ひとつとっても、どの店に行けばどんな食材が手に入るか。この時間、あの店に行くのにどの道を行けば早く着くか。おおよその見当がつく。検索するまでもない。地元とはそういうものだ。また、「川崎に住んでいる人の特性や雰囲気が、余所よりはわかります。何かとプランニングしやすいですよね」。
川崎は東京と横浜に挟まれていながら、東京の都会感はなく、横浜のおしゃれブランドもない、狭間の存在である。筆者も南武線沿線の出身なので実感がある。生まれ育った地域なら、そうしたマーケティング的な勘も働くのだろう。
さらにスコットさんはこう話す。「静岡にはすでにいくつもいいブルワリーができていました。そこで私たちが小さなブルワリーを始めても埋もれてしまう。新規性という意味でも、川崎はいいと思いました」
2011年当時、川崎にあったクラフトビールブルワリーは1軒。クラフトビールの名はまだ浸透していなかった。「クラフトビールはもともと地ビール。地元でしっかり認められてから全国に展開していこうと考えていました」
スコットさんのクラフトビールづくりは、ローカルを基盤にする地ビールの精神が生きている。
自分の飲みたいビールを造りつづける
ブリマー・ブルーイングはJR南武線久地駅から徒歩7分ほど、住宅と町工場が混在するエリアにある。
当初、ビールをどこで売っていたのですか? とたずねると、はじめから特に営業活動はしなかったと言う。
2010年代はじめ、都市部のビアバーではクラフトビール、特にアメリカのクラフトビールの人気が高まっていた。新しい銘柄が入荷するとすぐに売り切れてしまう。それも1パイント1500円くらいで。そんな時代があった。
実は、スコット・ブリマーさんの独立は、クラフトビール界隈ではちょっとした話題になっていたそうだ。アメリカのシェラネバダ・ブルーイングと御殿場高原ビールで腕を磨いたブリマーが独立するってよ! そんな注目と期待を受けて、創業当初からブリマー・ブルーイングのビールは主に都市部のビアバーで人気を呼んだ。
ただ、スコットさんの造ったビールはその期待とはウラハラだった。小黒さんがこう説明する。
「当時はアメリカンIPAの人気が急上昇していました。ホップがたくさん入った苦いビールです。スコットはアメリカ人ということもあり、どんなIPAを造るのだろうと注目されていたようです。ところが、スコットが造ったのはペールエールだったのです」
ペールエールといえばエールビールの代表格。もっとも伝統ある、もっとも由緒正しい、基本スタイルといっていい。そのため醸造家の個性や実力が出やすいといわれるが、スコットさんの造ったエールは、ほどよい苦味とほどよい甘み、均整のとれたペールエールだった。苦さがほとばしるIPAでも、濁り輝くヘイジーIPAでもない、極めてノーマルなペールエールだった。
スコットさんは「いろいろ造ってきたけれど、結局、自分の飲みたいビールを造ることにしました。自分の好きなビール、自分がおいしいと思うビールが、いちばんいいビール」と、さらりと言い切る。それはどんなビールかというと、おいしくてゴクゴクいけちゃうビール。「スコットは何杯でも飲みたい人なので」と、小黒さんが補足した。
ブリマー・ブルーイングの造るエールは、アンバーも、ゴールデンも何杯でもいける。筆者も飲んでいる。飲み飽きない。ホップがどっさり入ったIPAだとそうはいかない。
定番ビールはペールエール、ゴールデンエール、ポーターの3種類。きわめてオーソドックスなスタイルが並ぶ。創業以来、13年間、変わらない。しかし、ただオーソドックスなのではなく、「アメリカ、ドイツ、イギリスのビール、各地のビールへのリスペクトがある。いろいろなスタイルのいいところをフュージョンしたビールを造っていきたい」と話す。たとえば、ペールエールにもイングリッシュ・ペールエール、アメリカン・ペールエール、ベルジャン・ペールエールなど微妙に異なるスタイルがある。久地の小さなブルワリーで、エールのフュージョンが行なわれているのである。
なんの変哲もない町にブリマーのビールがなじんでいく
ブリマー・小黒夫妻の小さな会社である。特別な営業活動をしている余裕はない。ブリマー・ブルーイングの知名度を高めるために、ふたりはビアフェスに積極的に参加してきた。今でこそ日本各地で多くのビアフェスが開催されるが、2010年代はビアフェス横浜、けやき広場ビール祭り(埼玉)、地方では京都や新潟などに限られ、ふたりはできるかぎり出店してきた。その甲斐もあり、ブリマー・ブルーイングのビールを仕入れてくれる店が地方にも見られる。
そして地元のイベントといえば「高津区民祭」。コロナ禍前まで毎年出店し、スコットさんは神輿も担いできた。小黒さん自身、子どもの頃から楽しみにしてきた高津区最大の祭りである。
「ブリマー・ブルーイングの名は、区民の方にはだいぶ知られるようになったのではないかと思います」と小黒さん。少しずつ、着々と、地元に根づいている。
2017年には久地の駅前に、ブリマー・ブルーイングのタップを扱う「ブリマーステーション久地」がオープンした。長年ブリマー・ブルーイングのビールを仕入れてきた飲食店の経営者が経営している。改札から徒歩1分、扉のガラスから踏切が見え、黄色い電車が走るのが見える。
「鉄男さん、鉄子さんもいらっしゃいますよ」と店長の嶋田直樹さん。
今年4月〜6月、JR東日本横浜支社が主催した「NAMBU LINE CRAFT BINGO」が開催された。南武線沿線の7か所のクラフトビールブルワリーを巡るビンゴ型スタンプラリーだ。期間中は、この小さなバーの前に行列ができたという。
「オープンして8年目ですが、こんなことは初めてでした。鉄男さん、鉄子さんの熱意はすごいですね」と、嶋田さんはびっくりしている。鉄道ファンもすごいが、JR東日本がクラフトビールのイベントを開くことに驚く。
最近、常連客もだいぶ増えてきた。「飲んだ後、徒歩で帰られる方がほとんどです」と言う。
改札を出て1分の場所に、ブリマーのタップルームがある。ビール好きにはたまらないだろう。創業して13年、ブリマー・ブルーイングが造る定番ビールはペールエール、ゴールデンエール、ポーターと変わらない。スコットさんは自分の好きなビールを造りつづける。たまたま妻の地元にブルワリーを構えた、カリフォルニア出身のスコットさんの好きなビールが、この町のなじみの味になっていく。としたら、それはクラフトビールならではの面白さだと思う。
ブリマー・ブルーイング
神奈川県川崎市高津区久地4-27-14 https://www.brimmerbrewing.com/ja/