FILE.103は、北区の十条富士です。
第103座目「十条冨士塚」
今回の登山口は、JR十条駅です
長らく江戸川・葛飾・足立の冨士塚エリアを歩き続けてきましたが、いよいよ今回から北区に入ります。今回の登山口(最寄り駅)は、JR十条駅北口。僕にとって初めて降り立つ駅です。
学生のころに住んだ寮が山手線のど真ん中にあり、山手線の外側に出る機会はほとんどありませんでした。そんなこともあって、この連載で初めての場所に来るとワクワクします。ちょっとした小旅行気分。ということで、早速歩き出します。
十条のアジア料理ストリート
駅を出て北側の線路沿いに歩いていきます。踏切の前に立つと、すぐ隣が駅のホームです。動画撮影用の長い棒を持って歩いているせいか、安全確認している駅員さんと目が合いました。そこはちょうど商店街の入り口に当たるようで、僕は踏切を渡った演芸場通りを進んでいくことにしました。
さっと地図を見ると、目的地の十条冨士塚はさほど遠くない様子です。下手に路地に入って住宅街で「書くことがない…」とボヤくより、ここは正当派の商店街を進む道を行くことにしました。この商店街、ちょっとディープな匂いがします。
十条中央商店街を少し進むと、ちょっと気になる店構えのお店を目にしました。店名はサディア カレー & ビリヤニ ハウス。この日は早朝から取材をしていたので、商店街の多くのお店はまだ閉まっていました。ちょっと調べてみるとインドカレーのお店ですが、店主の方はバングラディッシュ人だそうで、バングラデシュ料理も充実しているとか。小さなお店ですが、結構な評判店でした。機会があれば来ようとメモしました。
サディア カレー & ビリヤニ ハウスのほぼ隣に、またまた気になるお店が。その名もエベレストストア。東京の山を巡るこの連載にピッタリ(?)なネーミングですよね。ネパールなどの食材店のようです。
開いていたドアから店内をのぞくと、見たことのないパッケージがたくさんありました。近年、十条周辺はインド・ネパール・バングラディッシュ料理のお店が多いようです。それに伴って食材屋さんも増えてきているのでしょう。時間に余裕があるときに十条でアジア散策とか楽しんでみたいです。
そして、とどめはビザン。これまたド派手な外観ですが、パレスチナ料理店です。学生の頃、江古田にあるイスラエル料理屋さんに行ったことはあるのですが、パレエスチナ料理は未知です。めちゃくちゃ気になりました。
調べるとパレスチナ料理は、中東と地中海の味覚が合わさった独特な食文化だそうで、新鮮な野菜や果物から脂っこい濃い口の料理、甘〜いデザートまで、多種多様なんだそう。
主食はパンで、円形の薄い「ホブズアラビー」と呼ばれ、中は空洞になっていてその中に具材を入れて食べます。ひよこ豆やチキン、ビーフなどをペースト状にした「ファタ」や、水切りヨーグルトをディップするそうです。
また、お米を使った料理もあるようでマクルバ(マクルベ)は「ひっくり返した」という意味を持つお米料理。鶏肉や牛肉のどちらかを使い、肉と米を層にして炊きます。最後に大皿にひっくり返して盛りつけをする、おもてなし料理などがあるそうです。ちょっとイスラエル料理と似ているかもしれません。いやー食べてみたい!
それにしても、十条商店街はアジア料理が熱いですね!ちょっと本来の目的を忘れそうになったので、先に進みます。さらに行くと、ここがなぜ演芸通りなのかを知る建物に出会います。ちなみに、この演芸通りはこのまま真っすぐ進むと東十条駅に着きます。
篠原演芸場
篠原演芸場は、1951年(昭和26年)に開業した都内随一の歴史を持つ大衆演劇場です。大衆演劇協会に所属する劇団と関西、九州所属の劇団が月替わりで芝居および歌謡ショーを行うそうです。
地域に根づいた芝居小屋で、1998年(平成10年)に劇場前の中央商店街の通りが演芸場通りの呼称に変更されました。あの梅沢富雄さんもその昔、ここの舞台に立っていたとか。場内で炊いた米を使った手作りおにぎりが名物で、1日なんと500個ほど販売するそうです。
篠原演芸場の艶やかな雰囲気の建物を過ぎ、旧岩槻街道を曲がります。そして、旧岩槻街道を北に進むと、今回の目的地である真新しい姿の大きな冨士塚が見えてきます。
きれいかつ立派な目的地へ
十条冨士神社
創建年代は不明だそうですが、食行身禄(じきぎょう みろく、1671年生~1733年没)の冨士信仰運動以降に創建されたようです。毎年6月30日、7月1日には、冨士山の山開きに合わせて、冨士講「十条冨士神社伊藤元講」が主催する大祭が行われます。このお祭りは「おふじさん」とも呼ばれ、都道460号線(日光御成道)から十条銀座まで続く道に露店が並び、多くの人で賑わうそうです。
十条冨士塚
元々は十条台古墳群を構成する古墳の一つだったそうです。円墳に石碑などを配置して冨士塚に整備したそうです。2023年に改修工事が完了。冨士塚改修工事以前にあった鳥居や山頂の石祠は、食行身禄150回忌を祈念して1881年(明治14年)に建てられたものだそうです。1991年(平成3年)に北区の有形民俗文化財に指定されました。
十条冨士講
十条冨士講は身禄派の滝野川丸参伊藤元講(たきのがわまるさんいとうもとこう)の枝講で、1818年(文政元年)ころから活動していたとか。滝野川の講が廃絶してからも、十条地域では継続してきたそうです。現在も、年に数回の月拝みを行っています。十条冨士講中は、こうした伝統の正統な継承者として活動されているそうです。なお、十条の冨士塚や冨士講の歴史などについてはホームページに詳しく紹介されています。
これまでにさまざまな都内の冨士塚を巡ってきましたが、残念ながら過去の遺物として放っておかれているような場所も少なくありません。そうした中、毎年盛大に大祭が催され、しっかりと冨士講の活動が行われ、きちんと冨士塚が整備されている十条冨士神社を訪れて、心からうれしくなりました。
通りすがりの登山者が軽々しく言うことではないかもしれませんが、これからも十条冨士塚が地域の方々に親しまれ続け、末永く引き継がれていくことを心から願っています。
次回は北区の八幡山です。