火の見櫓はなぜだか懐かしい
中山道では、火の見櫓をずいぶん見ました。
千葉県生まれの私の記憶には火の見櫓はありません。存在は知っていても、意識して見るのは初めてです。
そしてなぜでしょう、「知っている」「懐かしい」と思います。
それはおそらく昔見たモノクロ映画の影響かもしれません。
たとえば空襲やゴジラの来襲から、人々が大八車を曳いて逃げ惑うシーンでは、カンカンという半鐘の音が鳴り響いていたような気がします。
だからある年代以上の日本人の原風景には「火の見櫓」が立っている、と言ってもいいのではないでしょうか。
さて、そんな火の見櫓ですが、仰ぎ見て、はたしてこれは今でも機能しているのか、という素朴な疑問が湧いてきます。
実際、多くの火の見櫓から半鐘が取り払われて、替わりにスピーカーが付けられています。なかには中途半端に半鐘を櫓の途中に移動させている櫓もあります。
まあ、これも時代の趨勢といえば趨勢で、はっきり言って人力で鐘を叩くよりも、サイレンのほうが確実に遠くに届かせることができます。
虫屋流に火の見櫓を分類してみた
火の見櫓のデザインですが、ほとんど同じです。
金属の屋根から傘の骨のようなものが張り出していますが、一様に先がくるっと曲げられています。そして頂上には風見鶏のような、大きい矢印の飾りが付いていることもあります。
全体で見ると、かなりメルヘンチックで、影絵作家の藤城清治氏の作品を見るようです。
なんともほのぼのとして、本来の役割から外れて、町のオブジェとして愛されているようです。
ほとんど似たようなデザインですが、それでもよく見ると地域ごとに微妙な差異はあります。
このあたりが「なんちゃって虫屋」の本領発揮なのですが、同じ昆虫の種でも場所によって微妙に模様が違うのです。それを地理的変異といいます。
中山道歩きは、火の見櫓の地理的変異をウオッチするのに適した街道なのです。東京から京都方面に向かうと、おおよそ次のような変異が見えます。
火の見櫓の地理的変異
8-4型
大まかに言うと埼玉県の火の見櫓は屋根は八角形で、四本脚(8−4型)。そして背の高い紳士的なものが多い。
深谷宿(埼玉県) 埼玉県に多く、長野県の一部にもあります(群馬には火の見櫓を発見できず)。屋根が八角形の4本脚なので、8−4型と命名。
4-4型
長野県では塩名田(しおなた)宿あたりから屋根は四角形、四本脚が多い(4−4型)。少し低い気がする。
簡易型
3-3型
同じ長野県でもは下諏訪(しもすわ)宿では、屋根が三角形で三本脚(3−3型)というものに変化します。
6-3型
塩尻(しおじり)宿より西では屋根が六角形、三本脚(6−3型)となり、これもなかなか姿がいい。
群馬県にはなぜか火の見櫓がない
そしてここで特筆すべきことをふたつ。
中山道を歩いて見える範囲ということで、ひとつは群馬県には火の見櫓がありません。埼玉県まではたくさんあって、長野県もこれまたいっぱいあるのに、なぜか群馬県にはありません。
もうひとつは岐阜県以西には、これまた火の見櫓は少ない(あくまで中山道沿いの話)。
鵜沼(うぬま)宿(冒頭の写真)と赤坂宿に、ユニークなものが散見されるだけでした。
火の見櫓の地理的変異。
こんな発見も歩いてみないと知らなかったことです。
宮川 勉
中山道のリアル: エッセイのある水彩画集
5年かけてちんたらと中山道を歩き通しました。中山道というのは、東京の日本橋から京都の三条大橋までをつなぐ旧街道です。東海道は有名ですが、中山道はその山道版とでもいうロングトレイルで、信州や美濃といった山がちな場所を歩きます。そのときに心に残った風景を水彩画として描き、まとめたものが本書です。