かつて存在した北区の平塚城と、向かう途上で知った貝塚の山【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.106】
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    2024.12.26

    かつて存在した北区の平塚城と、向かう途上で知った貝塚の山【プロハイカー斉藤正史のTOKYO山頂ガイド File.106】

    第106座目「平塚城跡

    今回の登山口は、JR田端駅です

    JR田端駅北口登山口。

    いよいよ、この連載「TOKYO山頂ガイド」もFILE100を越え、ラストシーンへ向けてカウントダウンが始まりました。

    時々、紹介する山の候補リストを見直すのですが、1座見落としていることに気づきました。きっと「城」だったからかもしれません。

    さて、なぜ「山」を紹介する連載に「城」が関係するのか。これまでにも何度か説明していますが、あらためて軽くおさらいします。

    日本の城は、大きく以下の4タイプに分類されます。

    ・水城:水源のある場所を利用した城
    ・平城:平地に建てられた城
    ・平山城:低い山や丘と平地に建てられた城
    ・山城:山に築かれた城

    今回の目的地である「平塚城」は、平山城に分類されます。もともと丘や山があり、その地形を利用して築かれた城です。つまり、そこに「山」があったと考えられるのです。

    早速、平塚城を目指して歩くことにしたのですが…。平塚城グーグルマップで探してみると、なんとJR上中里駅から2分圏内という駅地チカの立地。これではあっという間に着いてしまいます。

    では、別の近くの駅から歩こうかとも思いますが、王子駅は他の山の登山口としても何度か紹介しています。さて、どうしたものか悩んでいたのですが、ふとひらめきました。

    その答えは、JR田端駅で良くない?でした。

    これまで、この連載ではFILE28「田端富士」とFILE29「道灌山」で、田端駅を登山口として利用してきました。ただ、いずれも山手線の内側でした。でも、今回は駅=登山口から山手線の外側に進んで行きます。方向が逆なので、必然的に今まで通っていないルートを歩くことになるのです。

    鉄道マニア垂涎ルート?

    ということで、田端駅を出て田端ふれあい橋を通ると展示物があります。山形在住の僕にとっても馴染みのある、東北新幹線200系の車輪、東北新幹線200系の連結器カバーです。連結器カバーは新幹線の一番とがったあの部品です。

    東北新幹線200系の連結カバー。

    東北新幹線200系の車輪。

    さらに進むと田端駅周辺で一番大きな建物、東日本旅客鉄道株式会社 首都圏本部が現れます。

    実は、JR田端駅とJR尾久駅の間には、車両基地があるので今回のルートは、線路に挟まれた道を進んでいく。もしかしたら鉄道マニアにはたまらないルートなのかもしれません。

    見習いから一人前になるための鉄道関連の訓練センター。

    東日本旅客鉄道首都圏本部を過ぎるとすぐに、グーグルマップでは「鉄道神社」が表示されます。都内で唯一の鉄道関連の神社です。実際に行ってみると、残念ながら公園内は立ち入り禁止になっていて、関係者以外は見ることができません。この鉄道神社は、かつては東京都千代田区の旧国鉄本社ビル屋上にあったそうです。

    写真ではわかりませんが、木々の隙間からわずかに見える「鉄道神社」の鳥居。

    JR東日本の関連施設や車両を見ながら歩いていくと、中里貝塚の看板が見えてきたのでちょっと寄り道をしてみます。行ってみると、柵に覆われた広い敷地には何もありませんでした。ついで離れた場所にある中里貝塚跡地は現在工事中で、大きな公園が出来るようです。ちょっと気になり調べてみると、中里貝塚は、その周辺に暮らした人々が貝加工を行っただろう痕跡が残された巨大な貝塚なんだそうです。

    幅約40メートル、長さ1キロメートルにも及ぶという巨大な貝塚には、カキ(マガキ)やハマグリが大半を占めており、獣などの骨が一切出てこなかったそうです。縄文時代にあって自給自足を越えて内陸の他の集落へ貝を供給することを目的として加工処理があったことを具体的に伝える重要な遺跡なのだそうです。

    そして、江戸時代には貝殻がたくさん出てくるので、「かいがら山」と呼ばれていたそうです。なんと、中里貝塚は幻の「かいがら山」でもあったのです。

    現在は何もない中里貝塚。

    新幹線車両センターから陸橋を渡り、JR上中里駅方面に歩いていきます。駅を右手に、蝉坂(せみさか)を登っていくと途中に階段が現れます。階段を登った先に平塚神社がありました。

    平塚神社

    平安後期にあった後三年の役の帰りに、源義家、義綱、義光の三兄弟がこの地の城のあるじ、秩父平氏豊島近義(ちちぶへいしとしまちかよし)より手厚いもてなしを受けたそうです。義家は感謝のしるしとして鎧一領と十一面観音像を与えてくださったそうです。近義は、後に、この鎧を城の守り本尊として塚に埋めたそうです。これが塚の始まりで、塚が高くなく平らだったので「平塚」とよばれたそうです。

    そう、神社が出来る前、かつてここに豊嶋郡の郡衙(ぐんが=郡の役所)があり、平安時代に秩父平氏豊島近義がこの場所に城館(平塚城)を建てたと伝わっています。

    紅葉がきれいな平塚神社正面。


    ならば、その痕跡を探そうと、平塚神社の周辺をくまなく探しますが、城跡の碑などを見つけることは出来ませんでした。諦めきれず、神社の正面入口まで参道を歩くことにしました。キョロキョロ見渡しながら歩きますが、残念ながら城の痕跡を示すものは何もありませんでした。

    参道を出て、入口にある大きな石の鳥居を出ると、神社の入口に「平塚伝承地」を示す看板が設置されているではないですか。良かったと振り返ると紅葉に包まれた美しい平塚神社が見えるのでした。

    平塚神社正面入り口脇にある案内板。

    現在は特に痕跡など残っていませんが、かいがら山、平塚城と、結果的に2つの山を訪れることができました。紅葉もあいまって、それぞれの時代の山をめぐる素敵な山行となったのでした。

    次回は北区の飛鳥山です。

     ※今回紹介したルートを登った(歩いた)様子は、動画でもご覧いただけます。

    私が書きました!
    プロハイカー
    斉藤正史
    2012年より日本で唯一のプロハイカーとして活動。トレイルカルチャー普及のため、海外のトレイルを歩き、アウトドア媒体を中心に寄稿する傍ら、地元山形にトレイルのコースを作る活動「山形ロングトレイル(YLT)」を行なう。スルーハイク(単年で一気にルートを歩く方法)にこだわり、スルーハイクしたトレイルだけで22.000km(地球半周以上)を超える。最新情報はブログを。

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